平成24年5月31日(木)(第6回)

◎会議に付した案件

1.幹事の補欠選任

補欠選任 鈴木克昌君(民主)  山花郁夫君(民主)委員辞任に伴いその補欠

2.日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第二章の論点)

衆議院法制局当局から説明を聴取した後、自由討議を行った。

◎自由討議

●各会派の代表からの意見表明の概要

逢坂 誠二君(民主)

  • 2005年に発表した「憲法提言」を紹介する形で民主党の立場を表明する。
  • 憲法は「国のかたち」を示す根本規範であり、主権者である国民が制定し、国会等の公権力に命令するものという意味で、法律とは本質を異にしている。憲法といえども、不磨の大典ではなく、社会の変化に応じて不断の見直しが求められているが、見直しを行う主体も主権者である国民自身である。
  • これまでの憲法議論は公権力の側が中心となり、その内容も公権力の都合が優先される傾向があった。そのため、民主党は、国民自身の議論を喚起することが重要であると考え、そのための素材を提供するため「憲法提言」を取りまとめた。
  • 9条に関しては、日本が攻撃されたときの自衛のための実力行使や、国連のもとでの平和維持活動に対する協力は国民大多数のコンセンサスになっていると考えるが、自衛権の行使や国際協力について、国民が政府に対してきちんとした歯止めの枠をはめることこそが国民主権に基づく憲法の役割と考える。
  • 9条に関する民主党の基本的考えは、@憲法の根本規範としての平和主義を基調とすること、A憲法の「空洞化」を許さず、より確かな平和主義の確立に向けて前進することである。また、安全保障に関しては、@戦後日本が培ってきた平和主義の考えに徹する、A国連憲章上の「制約された自衛権」について明確にする、B国連の集団安全保障活動を明確に位置づける、C「民主的統制」(シビリアンコントロール)の考えを明確にする、の四原則を提示している。

中谷 元君(自民)

  • 現行憲法の三大理念の1つである平和主義の基本は今後も継承すべきであると考えることから、自民党の草案では、 9条のうち、 1項は基本的に変更していない。党内の議論では、「国際紛争を解決する手段としては」という文言を改めるべきとの意見もあったが、この文言は、 1929年のパリ不戦条約以来、侵略目的のものを意味するとの解釈が確立しており、制裁の場合や自衛の場合までは禁止されないとされていることから、同項を大幅に改めるべきとの意見は採らなかった。
  • 「自衛隊は、自衛のため必要最小限度の実力組織であるから戦力には該当しない」とする政府解釈は、自衛隊の位置づけを弱く抑制的なものにしていると言わざるを得ない。独立国家がその独立と平和を保ち、国民の安全を確保するために、軍隊を保有することは、現代の世界では常識であることから、自衛隊を「国防軍」として憲法に位置づけるべきとの立場である。
  • 「集団的自衛権は保持しているが行使できない」という政府解釈は、我が国をめぐる安全保障環境の変化に対応する上で大きな制約となっている。自民党の草案では、憲法改正による集団的自衛権の行使を認めている。集団的自衛権の行使を、憲法解釈の変更等により認めるべきとの立場は、政府のこれまでの解釈との一貫性・整合性を欠き、憲法の正統性や政治への信頼を揺るがす危険性を内包している。
  • 国際協力については、自衛隊の海外活動が重要性を増す中、憲法上の制約から十分な権限が付与されないままであり、現地での活動内容が制約され、任務遂行上も支障をきたしており、武力行使と一体化するとみなされる活動を行うこともできない。自民党の草案では、国防軍が武力行使を伴う国際平和活動にも参加できるようにしており、国際協力について憲法に規定を置くべきとの立場を採っている。
  • 日米安保条約及び在日米軍基地問題については、日米同盟は我が国の外交の基軸のみならず、アジア太平洋地域の平和と安定の基礎であると考えている。非核三原則についてはあえて立法化する必要はないとの立場である。

赤松 正雄君(公明)

  • 9条は敗戦による国家破綻の所産として生まれたものであり、思想的立場によって異なる解釈を生み、混乱のもとになっている。公明党は、昭和 56年まで自衛隊は違憲の疑いありとしていたが、以降、領域保全の能力に限定した自衛隊については合憲という見解である。
  • 公明党は 9条は明文改憲も加憲の必要もない、という立場である。党の憲法解釈は、 @自衛権の所在については、自衛のための必要最小限度の実力は認められる、 A保持できる自衛力の範囲については、攻撃的兵器を保有することは許されない、 B自衛権を行使できる地理的範囲については、一概に言えないが、いわゆる海外派兵については許されない、というものであり、これらはこれまでの政府解釈とほぼ同じである。
  • 以上をもとに行政の現状を検証すれば、上記@については、自国の防衛費・自衛官の漸減など、極めて抑制的である。Aについては、自衛隊の装備について、厳しく律しているといえるが、専守防衛に邁進した結果、むしろ戦力投射能力のない集団になっている。Bについては、紛争再燃防止のための平和的行為(カンボジアPKO派遣)、後方からの人道的支援(サマワへのイラク特措法に基づく派遣)として、憲法の範囲内の自衛隊活動であると考える。
  • 日米安保条約は 9条との関係でいくつもの矛盾を惹起している。当面、その矛盾が集中的に生じている沖縄の状況を一歩ずつ変えていくことが最大の課題である。
  • 政府は、集団的自衛権を国家固有の権利として保有はしているが行使しないと解しており、我が党もこれを肯定している。解釈を通じて変えていいとは思えない。ただ、 PKO活動等における集団的自衛権、武力行使との一体化をめぐる解釈において、国家等以外のものに適用されるような解釈の横行は、是正すべきである。

笠井 亮君(共産)

  • 9条は戦争の放棄だけでなく、戦力の不保持、交戦権の否認など、前文とともに日本国憲法の真髄をなす。侵略戦争の反省、原爆投下等の甚大な犠牲の上に制定されたものであり、平和憲法の中核をなす重要なもので、その理想と精神は日本だけでなくアジア諸国の共有財産ともいえる。
  • 日米安保条約によって、憲法の平和主義と真っ向から異なる一連の法体系が作られ、政府は解釈改憲と違憲立法で 9条をないがしろにしてきた。その最たるものが在日米軍基地の問題であり、全土基地方式、核兵器持込み等、 9条が目指した日本社会と全く反している状態である。特に沖縄では祖国復帰 40周年の今も、占領下と変わらないような、 9条が沖縄に及ばない現実がある。それを合理化している日米安保条約のもとでの実態を徹底的に検証する必要がある。
  • 自衛隊は、日本の再軍備という米国の意向により、 9条に反して創設されたものであり、専守防衛といいながら、日米安保条約と一体に米軍の補完部隊として増強されたのが実態である。 80年代には米軍と自衛隊の共同軍事作戦が問題になり、冷戦崩壊後の 90年代以降、海外派兵のための法律、体制、装備を強化し、自衛隊を海外で活動できる軍として質的に変化させてきた。こうした二重三重に憲法を踏みにじってきた現状こそ検討されるべきである。
  • 条約上も義務のない米軍思いやり予算等について憲法 9条のどこに根拠を見出せるか等、軍事費の問題についても正面から検証が必要である。

渡辺 浩一郎君(きづな)

  • 9条の文面の解釈がはっきりしない面がある。解釈によっては、我が国の安全保障を堅持していく上で制約されることになり、整理する必要がある。
  • 個別的自衛権と集団的自衛権については、国連憲章で個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではないとされている。従って、我が国の憲法もこうした立場に沿うものとして、そのための武力行使は妨げられないと考える。
  • 今後ますます国際貢献が必要となる中で、国連憲章に基づく国際貢献について武力行使は妨げられるものではないと考える。それを前提に国民の生命と財産を守るため、憲法に軍を明記すべきであると考える。
  • 我が国は、国際社会の厳しい現実を直視しつつ平和を追求していく必要がある。どのような変化にも対応できるように憲法で明文化していくのではなく、憲法解釈の変更で現実と理想に対応していく必要がある。従って、 9条についてはなるべくシンプルな文章にしておく必要があり、当たり前に保有する個別的自衛権や集団的自衛権を明記することなく、一方、自衛・国際貢献のためにも軍を置くことを明記するだけにとどめるのがよい。

照屋 寛徳君(社民)

  • 5月28日付東京新聞朝刊で報じられた、 2010年 7月の海上自衛隊の米豪軍との環太平洋合同演習は、訓練内容からして、集団的自衛権行使を前提とした訓練は認められないとする従来の政府見解に反し、到底容認できない。社民党は個別的・集団的自衛権が認められるよう 9条を明文改憲すべきとの主張には反対である。
  • 2006年 2月採択の社民党宣言において、「戦争を放棄し戦力を保持しないとした憲法を変え、日本を再び戦争のできる国に回帰させることを否定する」と誓い、違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指すこと、日米安全保障条約は最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めることを宣言した。また自衛隊を自衛軍、国防軍と明文改憲することにも反対する。
  • 社民党は、憲法前文の平和的生存権が憲法理念の基本的人権の中でも最も根源的な権利と考え、平和を人権の一つとして保障する立場である。平和的生存権は 9条 1項、 2項と一体のものである。平和主義に反する解釈改憲もあってはならず、 9条の条項はいささかも変更してはならない。国連憲章の精神、憲法前文と 9条を指針にした平和外交と非軍事、文民、民生を基本とした積極的な国際貢献により世界の人々と共に生きる日本、平和国家日本を目指すべきである。
  • 民主的国家の基本原則である文民統制の徹底、武器輸出三原則の厳守は大事である。憲法の理念と現実の間に乖離があるから憲法を変えるべきという意見もあるが、それは詭弁である。憲法理念に反する現実を改め、 9条の精神に近づく努力こそ国会議員の使命である。

柿澤 未途君(みんな)

  • 9条改正の有無に関わらず、日米安保条約を基盤に軽武装・抑制的な実力組織を維持しつつ、国連の平和維持活動等を通じて国際社会の平和と安定に寄与するという我が国の安全保障政策は変わらないということで、ナショナルコンセンサスが出来ているのではないか。問題はかかる理念を具現化する上で 9条の文言が制約となっているのであれば、どう見直すのかという実務的な課題である。
  • 我が国の防衛に関する根幹的な方針の法的正当性が内閣法制局の憲法解釈に基づいていることは好ましくなく、 9条改正にせよ安全保障基本法の制定等にせよ、何らかの立法措置による自衛権のあり方の明確化が必要と考える。
  • PKOの武器使用基準について、個人的には、駆けつけ警護も許されないといった内閣法制局の技巧的解釈により現場の活動が制約されている現状には、何らかの立法措置による対処が必要と考える。
  • これらを踏まえて 9条の文言をどう規定するかについては、国民の合意形成が不可欠である。みんなの党は、 2年間の国民的議論を経た後、 9条改正の是非及び改正の具体的文言について、国民投票で決定する方針を打ち出している。

●委員からの意見表明の概要(発言順)

柴山 昌彦君(自民)

  • あまりに技巧的な解釈は、 9条をかえって国民から遠ざける役割も果たす。自衛隊が戦力に当たらず軍隊ではないという解釈は、自国民を欺いているとしか言えない。無理な解釈を重ねることは、本来あるべき平和主義の姿が解釈改憲によって動くことになり、かえって危険である。また、無理な解釈に固執するあまり、国民が正確な情報を得られないことにもなる。今こそ、自衛隊を軍として憲法に位置づけるべきである。
  • 集団的自衛権は、自国の国益をどう守るかという観点から、一定の範囲での武力の適切な行使を明確化すべきであり、他国との同盟関係の態様や、攻撃の特性に適した防衛体制等について要件立てていく必要がある。
  • 集団的自衛権と集団安全保障の問題は混同されることが多いので、概念の整理が必要である。また、集団安全保障については国際的実務に支障がない仕組みの整備を図るべきである。

緒方 林太郎君(民主)

  • 憲法は、戦争の放棄など国の大きな方針を書くべきで、安全保障や国際協力などの政策論を憲法で語ることが正しいのか疑問である。PKOにおける駆けつけ警護などの個別の事例については、 9条違反のような議論ではなく、安全保障基本法を制定する際に議論すればよい。
  • 個別的自衛権と集団的自衛権とを分けて考える意味があるのか。一体的に考えて、日本を守るために必要なものかどうかの観点から、それが過不足なく盛り込まれているかを考えるべきである。
  • 武力行使の一体化の議論に関しては、そのような基準を決めて派遣しているのは日本だけで、国際的には通用しない。憲法の中に国際的活動に関する規定を設けるのは意味がある。
  • 集団的自衛権を「持っているが行使できない」というのはおかしいとの議論があるが、そもそも国際法上認められているものを国内法でどう施行するかは日本の国家としての判断であり、おかしくはない。

篠原 孝君(民主)

  • 9条の意味は非常に大きく、戦争の放棄は大事な観点だが、自衛のための軍隊は持ってしかるべきであり、解釈で持てるようにすべきではなく、自衛のためには軍隊は持てると憲法に明記すべきである。
  • いかなる理由があれ、海外に武器弾薬を持った軍隊を派遣すべきではない。日本の「 9条を守る」という姿勢は国際的にも軍事専門家の間でも相当認知されている。災害発生時に派遣されることはあってもよいが、日本国の意思が働く形での軍隊の派遣はしない、と明記すべきである。

辻元 清美君(民主)

  • 9条は、戦後の歩みや国際社会における役割に照らし合わせると、今日の日本の礎を築く大きな役割を果たした。仮に日本において 9条が存在せず集団的自衛権の行使を認めていて国際紛争に参画していたならば、今日の地位や繁栄はなかっただろうと思う。
  • 国際紛争に参画した諸外国のその後の状況に鑑みれば、日本に求められているのは、民生支援や仲介的な役割である。集団的自衛権の行使を認めるべきではない。
  • 国論を二分するものは国民投票になじまない、という意見もある。 9条は改正するべきではないという世論が多いと承知しており、国民投票になじまないのではないか。

石破 茂君(自民)

  • 集団的自衛権の行使を認める場合における憲法改正の要否についてなど、議論を続けてきたが、@戦争経験者が現役である間に議論に決着をつけるべきであること、Aそう遠くない将来、米国を射程とした大陸間弾道ミサイルを日本が迎撃する能力が確立されることを想定すると、時間的に切迫性を感じている。
  • 基地として国土を提供する義務を負っているのは日本のみである。米国は日本を守る義務を負うが、日本は米国を守る義務を負わない。そこで双務性を確保するために日本は国土を提供する義務を負っている。米軍の駐留は必要だと思うが、それは義務としてではなく、日本政府の選択としてなされるべきである。
  • 日本国が独立主権国家としてやっていくためにはどのようにすればいいか。前文に「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の文言は 9条とセットである。しかしそうでなければどうするのか。私たちはこの問題についてきちんとした答えを出す責任を負っている。

近藤 昭一君(民主)

  • 9条がなぜ生まれたのかが重要で、 2つの大戦で多くの人命が失われてきた現実がある。日本が平和ぼけであるとすれば、これから抜ける方法は、例えば学生が勉強しているときでも戦争に駆り出されるような体制を作ることではなく、世界は平和ではなく、この問題は戦争で解決するということではないとの認識を持つことである。
  • また、 9条は日本が国際平和実現の先陣となる、という意味もある。自衛隊を自衛のための必要最小限度を超えるものとせず、専守防衛の原則を守り、憲法 9条の精神を世界に広げていくべきであり、国連の平和構築委員会の活動を国際社会での日本の貢献基軸とすべきである。
  • 専守防衛の観点から、集団的自衛権の不行使をアジア各国の中でも日本はきちんと明示するべきであり、平和基本法を制定して、集団的自衛権の不行使、非核三原則、自衛隊の専守防衛等を定めて、 9条の精神を守るべきである。

小沢 鋭仁君(民主)

  • 以前、すべての戦争は、その当事者にとっては正義のための戦争であったという話を聞いたことがある。 9条 1項に定める国際紛争を解決する手段としての戦争は行わないという規定には意義がある。
  • どのような時に最小限の武力行使が可能となるかについて、まず、自衛のための武力行使についての異議はない。しかし、我が国を守るための同盟軍が攻撃を受けた場合も行使できないというのでは国際社会の責任も果たせず、国民の安全も守れないということになり、集団的自衛権は、国を防衛する必要最小限度という話があってしかるべきである。
  • 集団安全保障は憲法前文からも読み込むこともでき、積極的に考えていくべきである。具体的には国連軍にどう関与していくかということであり、一時的な国連軍なのか常設的な国連軍なのか分けて考えるべきである。かつて宮澤元総理は常設的な国連軍への参加ならぎりぎり現行憲法で認められるだろうと述べていた。常設であれば、国連軍が動いてもそれは日本の判断ではないといえるので、憲法上可能であるという見解であるが、私もそう考える。
  • 以上のことは、現行の 9条の範囲でできることであるが、これらを明らかにするための憲法改正は支持する。

柴山 昌彦君(自民)

  • 刑法上、正当防衛が急迫の侵害についても必要な場合に認められているように、専守防衛について急迫侵害への反撃についても認められるかどうかなどについて、より具体的な議論が必要である。
  • 民生部門で貢献すべきとの意見があるが、グローバル化し、紛争が多様化する中、武力によるバックアップの必要がないかについて議論すべきである。これまで日本が武力行使に巻き込まれなかった意義は大きく、武力が対抗武力を呼ぶという連鎖を防ぐという考慮は必要ではあるが、民生部門で活動する人の身の安全を確保することは主権国家として当然の義務である。

保利 耕輔君(自民)

  • 個別的自衛権と集団的自衛権は少しニュアンスが違うと考える。個別的自衛権は、個人で言えば正当防衛にあたると考えてよいと思う。集団的自衛権は、国家あるいは国家連合の契約・取り決めがあってはじめてできるのではないかと考える。その取り決めをどう考えるかには政府の判断が必要である。
  • 自衛権と大きくいう場合には集団的自衛権も個別的自衛権も両方含んでいるので、集団的自衛権を持っているけれども、使わないというのが政府の見解である。集団的自衛権を行使するとすれば自ずと限界があると考えるが、契約によって日本が出て行かなければならないこともある。個別的自衛権は自然権的自衛権であり、集団的自衛権は契約的自衛権であるという前提のもとに整理していく必要がある。

石破 茂君(自民)

  • 自衛権に関する戦後の議論の変遷を踏まえれば、集団的自衛権がなぜ認められないのかについては、論理的な追求が必要と考える。
  • 冷戦が終わり、テロの時代となった。当事者がテロリストならば「国際紛争」との評価がなされないことにどう対応するか。また、冷戦終結により二国間同盟の必要性が増すことは明らかであり、集団的自衛権の問題等について早急に答えを出すべきである。

笠井 亮君(共産)

  • 自衛権の問題は、現実との関係をよく考える必要がある。現実には、領土問題等があっても軍事紛争とはしないという対応が進行しており、軍備増強をあおりたてるような議論はむしろ緊張を呼ぶ。 9条改正により国防軍を位置づけることは、時代錯誤もはなはだしい。
  • 集団的自衛権は、他国への侵略の口実として使われてきた歴史がある。世界では、軍事同盟によらない平和構築の努力が広がっており、集団的自衛権の行使を認め、海外での武力行使を可能とする改憲は容認できない。

辻元 清美君(民主)

  • 現在の紛争の形態は冷戦時代と比べて変化している。イラク戦争に関しては、戦争請負会社と言われかねない参加の形も出てきている。 9条や日本の目指すべき方向を考える際には、イラク及びアフガニスタンにおいて、武力を行使して物事を解決しようとして、どういう結果になっているのかを国会としてしっかり検証したうえで議論すべきではないか。
  • 民生支援に関して、民間人は武力で守られないといけないのではないかという議論はいつでもある。しかし、軍隊とセットで派遣した場合には失敗例が多いことについては、NGOのみならず、国連においても議論があり、民生支援と軍隊との関係については見直さざるを得ない。

赤松 正雄君(公明)

  • イラク戦争に関して政党として総括を行ったのは公明党だけである。政府民主党も自民党もぜひ総括を行って欲しい。
  • 在日米軍の問題に関し、日本の中に外国の軍隊があり、基地を持っている状況はなんとしても解消したいと考えているが、それにはあと 30数年かかるのではないか。したがって、短中期的には、日米安全保障条約及び在日米軍基地の存在はやむをえないと考えるが、現状では良くないという考えを持ち続けるのは大事である。その上で、沖縄の問題をどう考えるかは日本人として大事なことである。
  • 沖縄の嘉手納以南の基地を訪問した際、印象的なことが2つあった。1つは、基地の司令官が、普天間のような基地は世界中いくらでもあるから特に危険だということはないと言っていた。これは甚だしい事実誤認ではないかと思う。2つ目は、日本はアメリカに対してホストネーション・サポートを提供しているが、今のアメリカにはゲストネーション・マナーに欠けると訪問先の対談相手に述べたところ米軍側を正当化するような発言があったことである。国会議員はアメリカにその実態を伝える必要がある。
  • 「最低でも県外」という発言から今日の沖縄をめぐる問題の混乱が極まっており、政党によっては党中央と沖縄とのねじれが生じている。

石破 茂君(自民)

  • 日米同盟は強化されなければならないが、日本として、何のために日米同盟を結ぶのか、どこに何をどれだけ置くのかをきちんと論じないままに安全保障を論ずることがあってはならない。
  • 戦争が起きない状態を保つためには、日米同盟は何なのかを我々はきちんと判断していかなければならない。それは本質的な議論であり、日本国憲法と日米安保条約、日米安保体制についての突き詰めた議論を、後世に残すためにしなければならない。

中谷 元君(自民)

  • 日米安保条約は、我が国の安全保障又は地域の安全のために、我が国の選択として、締結された。アメリカは国家としてのパートナーであり、主権国として同盟関係を維持していく上においては、日本側も役割を果たさなければならないし、他国に依存するわけにはいかない。地域をサポートする同志として、地域の安全を守っていく観点から、日米安保を位置づける時代になってきた。
  • 実動面において日米防衛協力のための指針を周辺事態法として制定した。同法は、集団的自衛権を前提としない現行憲法の下に制定されたが、いざという時に実務的な機能が働くのかについては現実的に不備があるので、このような問題を是正するためにも、憲法上、集団的自衛権を行使できることを明示し、アメリカと互いに対等な同盟関係を作るべきである。

笠井 亮君(共産)

  • 日本はアメリカに基地を提供する義務があるとの意見があったが、憲法 9条の理念に現実を変えて合わせていくということが必要である。現行憲法に照らし、日米安保条約をなくしていくのが筋であり、発想の転換が必要である。
  • 日米安保条約をなくすことにより、東アジアで軍縮への転換のイニシアチブを発揮することができる。中国が軍事力をつけているのは事実であるが、争い合うのではなく、 9条と相容れない日米安保条約を解消することにより、軍縮への転換を提起することができる。軍事に頼らない平和的安全保障を目指すべきである。
  • 9条の検証をするのであれば、実際に沖縄を訪問し、嘉手納や普天間の現状を見ることも大切である。

辻元 清美君(民主)

  • 日米安保条約と在日米軍に関連して、日米安保条約をリージョン(地域)サポートという概念に変えるのであれば日米安保条約の改定が必要である。
  • 基地提供は義務であるというが、基地を提供されれば何をやってもいいのかということを国会が検証していかなければならない。例えば沖縄では多くの事件・事故が起きており、基本的人権や生存権を含む憲法に照らし、在日米軍のあり方を検証する必要がある。日本にいるあらゆる人の生存権を保障する立場のもとでの議論が重要である。

石破 茂君(自民)

  • 在日米軍基地問題について、問題の根本は、日本でできることをアメリカにやらせていないか、本土でもできることを沖縄にやらせていないかというところにある。なぜ日本に海兵隊がないかということも、日本にできることをアメリカに負わせているというのが事の本質である。
  • 日本でできることをアメリカに負わせながらの議論はフェアな議論でない。外交的・平和的努力と共に、どこにどれだけ何を置くかなどを一つ一つ考え、説明できなければ、国民に対する義務を果たしていることにならない。真摯な努力をすることが紛争のない平和な世界をつくることになる。リアリズムの立場からバランス・オブ・パワーの考え方が必要である。

辻 惠君(民主)

  • 日米安保条約や在日米軍基地が 9条に違反するのかどうかについて、日本の裁判は司法消極主義をとり、統治行為論で片付けている。これらの問題が今の 9条の改正問題に直結するわけでないという意味では、日本の憲法の現状がどうしても変えなければならないとなったときに初めて改正を行うべきである。上部構造を変えることによって、日本のシステムや社会のありようを変えるのは本末転倒である。
  • 9条問題は国内問題ではなく対外的な関係でも重要な問題である。日本の世界に対する信用力は、 9条を維持していることを前提に培われてきている。唯一の被爆国として平和憲法を持ち、堅持していることは重要であり、アメリカの世界戦略に従属する形で、集団的自衛権を認めるような憲法 9条の改正をすべきではない。

篠原 孝君(民主)

  • 他国の軍隊を自国に駐留させるか否かは微妙な問題であり、我が国も独立国家として将来的には自国のみでやっていくべきと考える。日本国憲法も現実的に直していくべきだし、日米安保も変わっていかねばならない。
  • 安全保障には軍事的なものだけでなく、経済安全保障という同盟関係も存在する。日米安保も地域全体の安全保障として、地域に昇華していくべきであり、この点で沖縄は、日本にとってだけでなく、東アジア・東南アジア全体の安全保障にとって大事である。もちろん、沖縄の負担軽減も必要である。

赤松 正雄君(公明)

  • PKO法成立から 20年にあたり、考えるべきことが 2点ある。 1つには、停戦合意のない地域への自衛隊派遣が現実に行われているため、 PKO5原則を見直す必要性を感じている。また、 PKOでは、道路や橋を建設する一方で、各国PKO要員によるレイプ事件も発生している現実を踏まえて、女性・子どもの視点を取り入れることがPKOの質的充実につながるのではないかと考える。

緒方 林太郎君(民主)

  • 非核三原則については、核物質に関する法律の組み合わせによって事実上担保されている。非核三原則を法制化することによる追加的な法律上の義務は生じないと思われる。
  • 今の核不拡散体制の中で、仮に日本が核兵器を保有するとすれば、他の多くの核兵器を持ちたいと考える国々への影響が考えられ、日本はその責任をとることができるのか懸念する。これを踏まえれば、日本の核兵器の保有の可能性について議論することは良いが、不要であることの結論はすぐ出ると思う。
  • シンボリックな意味で、非核三原則の法制化は良い。しかし、核兵器の搭載艦の通過についてまで持ち込ませないことの範疇に入っていることに対して違和感を持っている。

篠原 孝君(民主)

  • 福島第 1原発事故が発生したにもかかわらず、日本は原発を海外に輸出しようとしている。輸出先の他国が、原発から原子爆弾を作るかもしれず、それをさせないためにも、他国へ原発を輸出することは、やめるべきだ。従来の非核三原則に輸出禁止を加えた「四原則」とし、国策として原発の輸出を禁止すべきである。

石破 茂君(自民)

  • 現地に派遣された自衛官の立場に立って、もう少し権限を与えるべきではないのか。
  • 海外で有事があった場合、そこが紛争中ならば邦人救出ができない現状でよいのか。
  • 憲法違反でないとはいえ、我が国が核を保有することは、NPT体制の崩壊となる。ただそれを憲法に規定すべきとも思わない。むしろ拡大抑止、BMD(弾道ミサイル防衛)、国民保護というものはどれだけの実効性を上げられるか、という努力をすべきである。

笠井 亮君(共産)

  • 我が国の宇宙開発は、当初非軍事・平和利用の目的が明確にされていたが、最近は防衛省・自衛隊による早期警戒衛星や電波傍受衛星の保有に向けた研究開発など、宇宙軍拡、宇宙の軍事利用に道を開こうとしている。
  • 我が国と安全保障関連で協力関係にある国との国際共同開発・生産や自衛隊の海外活動に伴う武器等装備品の派遣先への供与を解禁するといった、武器輸出三原則が形骸化され国際開発計画に道を開く憲法の蹂躙こそ、 9条との関係で厳しく点検されなければならない。
  • 核兵器全面禁止条約の交渉開始が国際的焦点になっている今こそ、被爆国の政府・外交がふさわしい役割を果たしているか、核兵器持ち込み、核の密約問題、非核三原則蹂躙、核の傘依存の問題など、憲法 9条から点検されるべきである。

中谷 元君(自民)

  • 停戦監視のための PKO活動に国連から自衛隊を派遣するよう要請があっても、 PKO5原則が守られているか確認できないとして参加できなかったことがある。憲法上、国連の活動に参加することには余地があると思うので、こうした活動に自衛隊が参加できるための議論を行うべきである。
  • PKO活動に関しては、派遣先国の地方部にはニーズがあるのに自衛隊が行くことができないという場面がある。自衛隊の PKO活動について、武器使用も含めて憲法上容認して、一人前の国家として国際的な活動をするべきである。それができないならば、憲法を改正すべきである。

川越 孝洋君(民主)

  • 我が国は、唯一の被爆国として、核兵器を持つべきでない。
  • 武力紛争によって本当の平和が生まれるわけではない。 NGOの人々が様々なところに入り、汗を流すことで、本当の平和が生まれている。核兵器を使うよりも、その国の人々が、戦争に駆られず、食料が安定して得られ、汗を流して働くことができる環境を築くべきである。