平成24年6月7日(木)(第7回)

◎会議に付した案件

日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第三章の論点)

衆議院法制局当局から説明を聴取した後、自由討議を行った。

◎自由討議

●各会派の代表者からの意見表明の概要

大谷 信盛君(民主)

  • 我が党は、「人間の尊厳」の考え方に基づき人権や環境を守るためのコミュニティ実現に向けた「共同の責務」という考え方を提案している。
  • 基本的な考え方の 1点目は、「人間の尊厳」を尊重するという点である。それは、自然や命あるもの、他者の自由な主体性を守るということであり、これを基礎として、現行憲法の人権保障を新しい時代にふさわしいものへと進化させていく必要がある。この考えに基づき、@生命倫理、生命に対する権利の明確化、Aあらゆる暴力からの保護、B犯罪被害者の人権擁護、C子どもの権利の保障、D外国人の人権保障、E信教の自由の確保、政教分離原則の厳格維持、Fあらゆる差別をなくし、実質的な人権保障を実現する規定の検討、G人権保障のための第三者機関の設置、といった規定を置くこととしている。
  • 2点目は、「共同の責務」を果たす社会へと向かうという点である。環境保全のような社会共通の課題については、国等、企業、家族、個人の協力が必要であり、これらの課題に挑戦するため、国民の義務に代えて「共同の責務」という考えを提示してきた。これに関連して、@環境優先の思想の宣言、A人権・環境の維持向上のための「共同の責務」の明確化、B未来への責任という概念の明確化、C公共のための財産権の制約の明確化、D曖昧な「公共の福祉」の再定義、という提言をしている。
  • 3点目は情報社会と価値意識の変化に対応する「新しい人権」を確立するという点である。21世紀の新たな時代に求められる「新しい権利」の構築と憲法上の位置付けについて整理すべきであり、その中で、@国民の知る権利の憲法上の明確化、A情報社会に対応するプライバシー権の確立、B情報社会におけるリテラシーの確保、C勤労の権利の再定義、D知的財産権の憲法上の明確化、という提言をしている。また、 4つ目の考え方として「国際人権保障の確立」という点がある。
  • 簡単に我が党の憲法提言の特徴を述べると、特に互助を重視し、地域が支え合う友愛精神の下にコミュニティを作って参加していく、また、その中でしっかり責任を果たす能力を与えられることを重視してきたということである。

近藤 三津枝君(自民)

  • 現行憲法にある「公共の福祉」は分かりにくい文言である。また、個人の人権と公の利益が衝突したとき、公の利益が優先される場合もあり得る。そのことが明らかになるよう、「公益又は公の秩序」という表現にすべきである。
  • 国民の義務については、我が党の憲法改正草案では、具体的な国民の義務規定を増やしていない。ただし、国を守る責任のようなものを緩やかに規定した。
  • 新しい人権については、欧米諸国を見ても、時代の変化に応じて人権規定を盛り込むなどの憲法改正を行っており、我が国のように憲法が一度も改正されず、解釈だけで対応するのは少々異常である。憲法に規定することにより、法律改正では廃止できなくなるので、国民の権利保障はより手厚くなる。憲法制定時に想定されていなかった環境権、知る権利、プライバシー権、犯罪被害者の権利については、憲法に規定を設けるべきである。環境権については、国家と国民が協力して環境保全していくべきとの観点から、国民の権利としてではなく、国家と国民の責務の形で規定すべきである。
  • 生命倫理については、現行法でもクローンに関する法規制がなされている等の現状があり、立法措置によって対応すべきである。
  • 政教分離原則については、地鎮祭への玉串料の支出など、ごく一般的な社会的儀礼・習俗的行為の範囲を超えないものは、公共性のある行為として公費の支出が認められるべきであり、憲法上疑義が生じないよう明文改憲が必要である。
  • 家族・家庭については、社会の基礎的な単位であること等から憲法に規定を設けるべきである。選挙権については、外国人の地方参政権を憲法上認めないことなどを我が党の憲法改正草案では明確にしている。
  • グローバル化が進む現在、国際社会で頑張る日本人の安全を本国が守る責務を定めるべきであり、在外邦人の保護に関する規定を憲法に設けるべきである。

赤松 正雄君(公明)

  • 国民の権利と「公共の福祉」の関係や国民の義務に関しては、明文改憲も新たな法律上の措置も必要ない。
  • 新しい人権に関しては、環境権の明記が必要である。生命倫理に関しては、昨今の動きを見ると、 13条や23条の改正又は条項の新設によって、何らかの歯止めが必要である。それ以外の条文は現行のままでよい。
  • 環境権に関しては、地球規模の生存権を、人類益や地球益の視点から憲法に明記すべきとの意見が我が党の中で強い。現行憲法の個人の尊厳や人権といった概念から導き出すことはできないし、 13条や25条から導き出すのは無理がある。
  • 環境権は、 1970年頃からの国際的・国内的な動きの中で出てきたものだが、環境権を正面から認めた判例はない。 1993年に制定された環境基本法に、環境権の趣旨は位置付けられているというのが政府の見解である。
  • 1972年のストックホルム人間環境宣言以降、憲法に環境権を規定する国が急増した。その背景には、この 40年の間に環境破壊が進んでいることがある。地球に生き続けるために、多くの国が真剣に環境と開発に関して共存共栄の道を模索している。現在、環境権条項は世界の標準となりつつある。環境権を憲法に加え、まずは国家の環境保全の義務を明確にすることには大きな意義がある。
  • 生命倫理について、遺伝子情報の解析や、クローン技術の進展などは、人間の尊厳や生命の重要性を侵す危険性がある。 23条や13条との関係で読み取れる、法律の規制でよいとの主張があるが、個人の尊重を超えた生命の尊厳という概念を憲法に明記することは、生命軽視の風潮の中で重要である。

笠井 亮君(共産)

  • 憲法第 3章の中心的意義は、基本的人権の尊重を明記したことである。11条で侵すことのできない永久の権利と宣言し、 13条で総則的な規定を設けた上で、精神的・経済的自由を規定している。そして、25条で生存権及び国民生活の向上・増進に努める国の責務を規定していることが重要である。前文にある「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」も、基本的人権の重要な内容をなしている。憲法の人権規定は今も最先端を行くものであると評されており、その規定の全面実践こそ求められている。
  • 東日本大震災・東京電力福島原発事故の復興に当たり求められるのは、憲法 13条、25条に立脚した人間の復興である。しかし、最低限の生活維持に不可欠な住宅の確保、生業の再建、原発事故の賠償は遅々として進んでいない。これらの原因解明が真剣にされるべきである。
  • 原発事故は、空間的にどこまでも広がり、時間的にも果てしなく、 1つの地域を存続の危機にまで追い詰める。今こそ、基本的人権尊重の原則に立って、事故原因を徹底的に究明し、再稼動押し付けを止めるとともに、原発依存の政策から脱却すべきである。
  • 労働者の権利は 27条や28条で規定されているが、現実にはワーキングプア等の問題がある。特に、派遣労働の原則自由化などにより、大企業による非正規労働者の大量解雇など雇用破壊が進められてきた。労働実態を徹底的に検証し、雇用と権利を守るルールづくりが求められている。
  • 25条は、経済的・社会的弱者を保護し、福祉国家の理想を実現することを国の責務としているが、現実には、生活保護費削減や制度改悪によって、生活保護が必要なのに受けることができない人がいる。朝日訴訟では生活保護について、人間としての生活を可能ならしめる程度のものでなければならないとし、国の責務を明確化した。生存権を破壊する改悪は中止し、生活を保障する機能を強めることや最低賃金の引上げなどが急務である。社会保障充実と財政危機打開の道を探求することが憲法の要請である。

渡辺 浩一郎君(きづな)

  • 公共の福祉や国民の義務については、多くは施行後 60数年の中で、広く国民に定着し、それぞれの条文に従い立法措置がとられ、法体系ができており、国民が疑問視したり、異論を挟むものはないと考える。
  • 公共の福祉については、国民に定着している現状の中で、さらに掘り下げてその具体的内容を憲法に規定する必要はない。
  • 国民の義務については、今ある勤労、納税、教育の義務はほぼ国民の意識の中に定着していると思われるが、いまだに憲法の中に何らかの形で明記しない限り国民が意識しないものとして、例えば、選挙のときの投票の意識、国を守るという意識がある。
  • 投票については、選挙権を与えられた者は投票に責務を負う条文を加え、国防については、国民は国を守る責務を負うという条文を加え、国民の意識を高めていく必要がある。

服部 良一君(社民)

  • 本章について明文改憲の必要はない。憲法の権利・自由に関する諸規定は先駆的なものであると評価している。しかし、現実には憲法上の権利・自由が様々な場面で十分に保障されておらず、むしろ侵害されている。
  • 格差・貧困は幸福追求権、生存権が侵されている象徴である。 25条の生存権については生活保護等との関係で問われてきたが、自己責任の風潮等は安易な強者の目線である。貧困は、人生の様々な機会を奪い、世代間で再生産されている。ナショナルミニマムの再定義とそれを踏まえた制度・政策の再構築が喫緊の課題である。
  • 構造的な差別や歪み、経済的・社会的な不平等・不公正をいかに正していくかが重要である。憲法 14条にいう平等が実質的に実現する、差別のない社会に向けての決意を新たにしたい。憲法理念の徹底、普遍化こそ政治の責任である。
  • 国民の義務規定を増やすことや家族・家庭の尊重のような徳目的規定を設けることには反対である。また、政教分離原則については、戦争や国家神道によって人権と平和が侵害された歴史を踏まえ、厳格に適用されるべきである。
  • 環境権、知る権利、プライバシー権等の新しい権利については、日本国憲法が包括的に保障しており、それを妨げているのは、法律、判例等である。
  • 憲法上の権利・自由が危機にさらされていることこそ今我々が直面している大きな課題であり、日本国憲法の理念や条文を再認識し、空洞化してはならない。

柿澤 未途君(みんな)

  • 憲法が国家権力のあり方を制限的に規定する規範であることは明らかである。国家権力が国民に対して求める国民の義務規定は必要最小限度にとどめ、国家の存立や全国民の幸福追求の上で必要不可欠な場合にのみ、限定的に認められるべきである。
  • みんなの党は、 3章に関して特に改正すべき点を掲げていない。主権者たる国民の権利及び義務を規定するには、民意の把握と改正のための論点整理が必要であり、そのために予備的国民投票を実施することも選択肢の一つである。
  • 国家権力の行使の正当性を担保するためには、国家権力の付与は、十分な情報をもとにした国民の選択により行われる必要がある。国家権力の行使主体と国民との間には情報の非対称性が存在するため、国民主権を保障する基盤として情報公開を国民の権利として憲法に規定する必要がある。

●委員からの意見表明等の概要(発言順)

鈴木 克昌君(民主)

  • 非正規労働者数が勤労者数の 3割を占める現状にあるが、非正規労働者は、正規労働者と比較して、不況期では解雇や雇止めの対象となりやすく、また、賃金が低いなど厳しい状況にある。憲法 27条に勤労の権利が規定されているが、非正規労働者について勤労の権利が十分に保障されているか、検証する必要がある。
  • 同一価値を有する労働には同一の賃金が支払われるべきであり、非正規労働者の労働条件の確保についても、憲法 14条1項の平等原則との関係で、憲法問題としての検討が必要である。

柴山 昌彦君(自民)

  • 新しい人権は、明文上の権利の解釈では対応が難しいものについては憲法に明記すべきだが、過度な人権尊重により義務が軽視されることは避けなければならない。
  • 公共の福祉について、「福祉」という言葉が権利を制限するのに適切な用語か疑問がある。公共の福祉の解釈を平たくいえば、人に迷惑さえかけなければ人権は最大限尊重されるということになるが、人に迷惑をかけなければ、美観や国家的な秩序の利益などを脅かしてもいいのか。このような解釈をもたらす「公共の福祉」の文言は改めるべきである。この場合でも、精緻な解釈により、私益より公益が無秩序に認められることにはならないと考える。
  • 国民の義務は法律で定めればよいという意見があるが、憲法上、義務は権利と裏腹の関係であり、最低限、明文で定めた方が誤解が生じないものについては、規定すべきと考える。

緒方 林太郎君(民主)

  • 人権規定の中に、権利義務の主体について曖昧な規定があり、「国民」か「人」か、誰が主体なのか整理する必要がある。また、法人も権利主体として認められているが、あまりに強調されると、結社の一部を構成する個人の権利、自由が抑制されるおそれがある。
  • 投票の義務を規定することについては、棄権をする権利をどう考えるかという観点から、慎重に考えていくべきである。
  • 公共の福祉による規制は抑制的になされるべきである。また、日本の違憲立法審査で二重の基準論があり、精神的自由の制限は厳しく判断されるが、表現の自由の敵に対してまで表現の自由を認める必要はない。

山崎 摩耶君(民主)

  • 憲法 26条は教育を受ける権利を定めているが、「その能力に応じて」の文言は、障害の有無に関係なく平等に扱うと読める。しかし、インクルーシブ教育を推進する際には、逆にこの文言が障害者教育を一般教育から排除する理由付けになっているのではないか。
  • 昨年夏に障害者基本法が改正されたが、その内容を具現化するにはまだ課題が残っている。「能力に応じて」という文言は、制定当時はともかく、現在の日本においてどれほどの意味を持っているか。

小沢 鋭仁君(民主)

  • 環境権の中身については、環境優先の思想を高らかに宣言すべきである。また、これが共同の責務であること、今日生きる我々だけではなく未来への責務であることも明記すべきである。
  • 一票の格差の問題に関し、法の下の平等が根本原理であるとして議論が進んでいる。しかし、法の下の平等を人口だけでとらえてよいのか。地域間の格差についても、法の下の平等に含まれるべきではないか。法の下の平等と選挙権についてさらに議論を深めるべきである。
  • 一票の格差の問題は、一人別枠方式が違憲と判断されたことが発端となっている。地域間の格差についても法の下の平等に含まれることになれば、この方式は政治的意思として行われるものであって、予算配分なども基礎的配分があることを考えると、一人別枠方式はおかしいとは考えない。

笠井 亮君(共産)

  • 12条を国民の責務として、公益及び公の秩序に反してはならないと改正しようという動きがあるが、憲法は、国民の自由と権利を保障するために公権力を制限するものであり、国民に責務を課すものではない。今必要なのは、立憲主義の立場から国民の自由と権利を最大限保障することだ。
  • 公共の福祉は、人権と人権の調整原理であるが、現実には、公共の福祉の名のもとに様々な人権を侵害する政策が実行されてきた。公共の福祉の具体化と称して、「公益及び公の秩序」などと、人権よりも上位にあるものを国家が勝手に設定し、人権を不当に制限するのではなく、むしろ、公共の福祉を厳格に運用して、基本的人権の尊重を最優先すべきである。

柿澤 未途君(みんな)

  • 一票の格差の問題は、憲法の定める法の下の平等の核心であり、可能な限り一人一票に近づけることが必要であると考える。
  • 地域間格差を考慮し、厳密な一票の平等を保障することは必ずしも求めない意見もあるが、一票の平等こそが等しく国民として政治に参加し、参政権を行使する基本的な大前提である。参政権の平等、一票の平等が担保されることが重要な論点である。今後もこのことを憲法上どう考えるかについて議論していきたい。

磯谷 香代子君(民主)

  • 「権利」という用語について、「権」が「他を支配する力、物事を行う資格」を意味することを踏まえれば、利益や利潤を意味する「利」という字を用いるよりも、理念や道理を意味する「理」という字を用いる方が、本来の意味に適うのではないか。

中谷 元君(自民)

  • 憲法制定後 65年を経て、我が国は人権や権利の色合いが強く、国家としてのまとまりが薄くなったと感じる。家族や社会等の集合体の絆が薄れ、個人がばらばらな考えのもとで生活している。また、生活保護や年金等、ある意味で社会主義的な政策の推進により、努力している人が報われない、自主自立の精神が薄れてきていると感じる。権利の真の意味をもう一度謳うためにも、憲法を検証し、改正していく必要がある。

岡本 充功君(民主)

  • 教育を受ける権利について、経済的理由等能力以外の要因により、受けられる教育に差ができている現状を踏まえ、 26条の「その能力に応じてひとしく」についてしっかり議論する必要がある。
  • 「公共の福祉」は、個人の利己的な人権行使を制限すると解されている。公共の福祉のあり方・使われ方について議論する必要がある。

大口 善徳君(公明)

  • 憲法の三大原理において基本的人権の尊重は大きな柱であり、これに対する制約は慎重に考える必要がある。自由権的権利の制約については、内在的制約という形で積み上げられた理論を尊重すべきであり、公共の福祉も、自然権的権利については、内在的制約の形に対応した解釈であるべきである。一方、 29条に規定する財産権の内容は、公共の福祉に適合するように制限できることとなっている。公共の福祉の機能は、権利の性格によって異なる。どのような形で制約するのがよいのか明確になるよう、議論をしていく必要がある。
  • 国と国民が共同してよき社会を作っていく観点は大事だが、憲法の国民の義務規定を増やすべきかは、慎重に議論する必要がある。

川村 秀三郎君(民主)

  • 基本的人権を制限する原理が、同じ「公共の福祉」という言葉で統一されていることに違和感がある。基本的人権には様々な種類があり、自然権と財産権の制約に対し同じ言葉が使われることはおかしい。日本では、特に所有権が保護されすぎており、権利の性質によって制約原理を考えていくべきである。

中谷 元君(自民)

  • 現行憲法は英文を訳して作られた所があり、日本語として馴染まない部分がある。例えば、 11条後段では「永久の権利として現在及び将来の国民に与へられる」となっているが、人権は第三者や神から与えられるものではなく、自らが制定するものであるから、「永久の権利である」と書くべきである。

服部 良一君(社民)

  • 選挙制度に関しては、格差はなくすべきだと考えるが、小選挙区制度は大量の死票を生み出しており、それが本当に平等と言えるかという問題を含めて議論すべきである。
  • 地域間格差に関しては、国政にマイノリティーの意見をどう反映させるのかという観点は重要であり、工夫があってもよいのではないか。

山尾 志桜里君(民主)

  • 新しい人権を明記する判断基準としては、その人権の重要性だけでなく、その人権に普遍性があるか、憲法に明記すべき特別の性質があるかが挙げられよう。後者については、人権が憲法に明記されているか否かが裁判での利害調整の際に重要な一要素となるからである。
  • 環境権に関しては、その普遍性に異論は少ないだろうし、また、目に見える侵害が評価されにくい一方、目に見えない侵害が積み重なって広範囲の人々に取り返しのつかない侵害となる特別の性質を持っていることから、環境権について、憲法に明記されているという強みを持たせることが必要である。
  • 権利と義務の関係については、権利と義務は一体と考えているが、憲法に明記するかという点については、国家からの自由を定めた憲法の最高法規性に即すると、国民の義務を増やしていくことには慎重であるべきである。

笠井 亮君(共産)

  • 環境権については、日本国憲法とそれに根ざした国民の運動が生み出した権利であり、それがまさに世界に通用する普遍的な権利になったものと言える。問題は環境に関する問題に対して背を向けてきた現実にある。
  • 知る権利について、これを蹂躙して報道・取材の自由を制限するような秘密保全法をつくろうとする動きがあるが、こうした現実の検証、人権保障の憲法に基づく政策実行こそ必要である。

岡本 充功君(民主)

  • 新しい権利については、現行憲法で十分解釈で導き出せると考える。一方の権利を憲法に書き、もう一方の権利を書かないとすると、それを求める人の失望や更なる加憲の要望が出てくることになる。憲法に書かなければ国民に重大な損失が生じる場合に限り書くこととすればよい。現行のままで解せるものについては規定する必要はない。憲法上明文化すべきものは、現時点ではないのではないか。

網屋 信介君(民主)

  • 新しい人権の考え方は時代により異なっており、将来的にも新しい人権が出てくる可能性は十分ある。よって、特定の人権を憲法改正により設けていくべきとは考えていない。ただし、新しい人権を積極的に認めることは共通の認識であり、時代に応じて人権のあり方を論議しながら、公共の福祉という考え方の中で、憲法改正ではなく法律で規定していくべきである。

川村 秀三郎君(民主)

  • 現行憲法には、長い歴史の中で形作られた根本的な人権のみが盛り込まれている。新しい人権については、まずは個別法で補う対応を行うべきであり、そうした対応の積み上げの中で、憲法に位置付けるべきとのコンセンサスが出来るまでは、軽々に憲法に盛り込むべきではない。

浜本 宏君(民主)

  • 近年、国際社会の中では、国際健康権の概念が受け入れられている。そうした現状を踏まえると、 25条2項の規定は時代に遅れている。新しい人権として、国際健康権の概念を位置付ける必要がある。

保利 耕輔君(自民)

  • 党内で憲法改正草案について議論した際には、自由と権利の裏には、必ず同じウェイトで責任と義務が伴ってなければならないということを考えて検討した。自由と権利だけを主張するのではなく、その裏にある責任や義務について考える癖を付けなければならないと考える。

緒方 林太郎君(民主)

  • 信教の自由について、宗教を信じない自由を意識すべきであり、政教分離原則は厳格になされるべきである。
  • 家族、家庭、共同体の尊重について、「家」社会が非常に強かった戦前の社会から、個人が非常に強い今の社会に極端に振れてしまった。しかし、これを家族、家庭、共同体の尊重を憲法に書き込むことで戻せるか、疑問である。
  • 婚姻の問題に関し、民法 772条(嫡出子の推定)について、科学技術が進んだ今日、男女平等の観点から見直すべきである。

小沢 鋭仁君(民主)

  • 日本では家族を大事にするという国民意識がある。しかし、現行憲法には、家族というコンセプトは入っておらず、現実に家族に対する予算上の措置では、日本は先進国の中で最も低い国に分類される。家族へのバックアップを国や社会全体がしていかなければいけないが、こうした意識が憲法では希薄であり、家族について憲法に書き込むことを議論すべきである。

保利 耕輔君(自民)

  • 我が党の憲法改正草案では、家族の尊重について定めている。法律的に書かれている明治憲法は家族について規定していないが、家族といった徳目条項については教育勅語に規定されていた。
  • 宗教について議論する際には、多様な宗教を受け入れてきた日本の国柄について考える必要がある。社会的に許される範囲であれば、習慣的なものについては許容すべきである。

山尾 志桜里君(民主)

  • 家族が自然で基礎的な単位であることに関しては同意できる部分もあるが、血縁を通じた家族というものをライフスタイルとして選択しない人もいるし、したくてもできない人もいる。家族の尊重が基礎であることを国が強調することには、慎重であるべきだ。

川越 孝洋君(民主)

  • 家族を単位として考える場合、父権や家長の権限が強まってくると思われるが、戦後家族制度は崩壊しており、他方、門地からの解放などもある中で、家族のみを取り上げるのは難しいと思う。その規定の仕方によっては、統制国家に進むことも考えられるため、慎重な議論が必要である。

小沢 鋭仁君(民主)

  • 一票の格差の問題は極めて重要な政治的課題であるが、各国の選挙制度を見ても、人口比だけではない。我が国の選挙制度は行政区分によって行われているが、一律に人口比だけでいいのかどうか。選挙制度における法の下の平等の議論を行っていくべきである。
  • 選挙制度については、裁判所による違憲立法審査の前段階で、国会が国権の最高機関として、どういう制度、どういう代表を考えるかを議論してしかるべきでる。

笠井  亮君(共産)

  • 家族や教育に関しては 24条、26条に規定は既に存在し、むしろ現実との関係での検証が必要である。健康権も 13条や25条で対応でき、憲法を改正する必要はない。
  • 市民的・政治的自由について、我が国は優れた人権規定を定めた憲法を持ちながら、市民がビラすら自由に配れない、日の丸・君が代の押しつけにより思想・良心の自由が抑圧されているといった実態があり、問題である。
  • 選挙制度について、一票の格差は選挙権の平等の問題であり、投票結果に民意が正確に反映され、投票価値の平等が保障される選挙制度への改正こそ憲法の要請である。

緒方 林太郎君(民主)

  • 一票の格差が両議院ともに完全に解消されなければならないとは考えない。各議院がそれぞれ何を代表しているか、例えば衆議院は国民を代表し、参議院は国土を代表するといった考え方を憲法に書き込むことで、問題は解消できると考える。

近藤 三津枝君(自民)

  • 我が党の憲法改正草案では、 14条については差別禁止項目の対象に「障害の有無」を追加している。15条及び 93条については選挙権を持つ者を日本国籍を持つ者に限定して、外国人への地方参政権付与が憲法違反となることを明らかにした。また、国の教育環境の整備に関する義務の新設や公務員の労働基本権の制限規定を新設した。
  • グローバル化の進展により、日本国民が海外で、テロ、内戦等の危険にさらされるリスクも高まっている現状がある。また諸外国では、憲法上在外自国民保護規定を持つものもある。このようなことから、国が在外国民の保護を行うことについて、憲法上明記することが必要である。

川越 孝洋君(民主)

  • 一票の格差問題に関しては、最高裁が違憲状態との判決を出している。しかし、国会議員は、それぞれの地域を代表しその住民の生活向上等のために選出されている。一票の格差の是正については、面積や人口等、各選挙区の事情を加味して決めるのが平等だと考える。
  • 非正規雇用の問題が未婚率の高さに現れており、外国人労働者問題につながっていく。日本がどういう国になっていくのか、危惧している。

浜本 宏君(民主)

  • 憲法 14条1項には、障害の有無のほか、年齢による差別の禁止も明記すべきである。
  • 死刑については、死刑そのものは直ちに残虐な刑罰(憲法 36条)に該当するとはいえないとしても、その執行方法について現状の絞首刑のままでよいか検討されるべきである。
  • 憲法 37条3項との関係では、刑事被告人のみならず、(起訴前の)被疑者の段階でも国選弁護人を付するよう憲法を改正すべきではないか。

保利 耕輔君(自民)

  • 我が党の憲法改正草案で家族の尊重について定めたのは、個人の自由を前提にした上で「家族」という単位を尊重しようという趣旨であり、強制する意味ではない。
  • 明治憲法、教育勅語を引用して発言したのは、これらを踏まえた上で現行憲法の議論をすべき、という趣旨であり、復活させようということではない。
  • 一票の格差について言えば、各国制度も参考にしつつ、二院制のあり方から考える必要があり、衆参両院合同で議論すべきである。
  • 奴隷的拘束という言葉は日本人の感性に合わないので、我が党の憲法改正草案からは外している。

笠井 亮君(共産)

  • 憲法審査会に所属する国会議員として、明治憲法、教育勅語の意味、今の時代にどう教訓として踏まえるかなどについては勉強しているつもりである。

小沢 鋭仁君(民主)

  • 現行憲法には、家族のコンセプトがない。社会の基礎的単位としての家族について、憲法が何らかの意味を示すことが必要ではないか。
  • 代表制の問題において、外国でも我が国でも、人口比ではない選挙制度が既に存続している。また、こうした問題については、憲法裁判所のような仕組みを作って、そこで憲法判断がなされるべきではないか。