平成25年3月14日(木)(第2回)

◎会議に付した案件

日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第一章及び第二章の論点)

衆議院法制局当局から説明を聴取した後、自由討議を行った。


【第一章について】
◎自由討議

●各会派の代表者からの意見表明の概要

船田 元君(自民)

  • 1条に関しては、天皇を元首と明記すべきである。元首とは、象徴的な権威と世俗的な権力の2つを兼ね備えたものと考えるが、象徴的権威については現行憲法で表記されており、世俗的権力についても、内閣総理大臣の任命や大使の信任状の認証など、形式的だが国を代表する権能がある。
  • 皇位継承に関しては、憲法改正は必要なく、皇室典範に委ねるべきである。男系男子であるべきか、女性天皇を認めるべきかについては、国民の意見も聞きながら、幅広い議論を行っていく必要がある。
  • 天皇の国事行為に関し、現行憲法で内閣の「助言と承認」を必要としているのは、天皇に対し礼を失することになりかねないため、内閣の「進言」と改めるべきである。
  • 国会の開会式への御臨席や外国訪問等に関しては、国事行為とは区別し、公的行為として明記すべきである。
  • 国旗・国歌、元号に関しては、国の基本に関わることでもあり、憲法に明記すべきである。

大島  敦君(民主)

  • 民主党は、本年 2月24日に定めた綱領で、「日本国憲法が掲げる国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。」と規定した。
  • 天皇・皇后両陛下の国民に寄り添う姿が自然に受け止められているのは、 1章に基づいたものであり、民主党としては、1章は現行のままとすることが望ましいと考える。
  • 皇室典範の改正案に関し、内閣委員会で審議を行うとの話が出たことがあったが、皇室に関わる事項を賛否が明確に分かる形で議論することには疑問を感じている。より国民の合意形成ができるあり方が望ましいと考える。

馬場 伸幸君(維新)

  • 我が党は、安全保障や統治機構改革の観点から、自主憲法の制定という明確な方針を打ち立てている。党国会議員団の下に憲法調査会を設置し、憲法論議を行う体制を整えた。
  • 1章に関する我が党の基本方針案は次のとおりである。(1)皇室を支持する。(2)首相公選制導入と連動し、対外的な代表者は天皇であることを明確にするため、我が国は天皇を元首とする立憲君主国であるという趣旨を明記する。その際、元首であろうとも法の支配に服する立憲主義に立つものとする。(3)天皇は、国家元首に通有の権能を行使するとともに、国事行為、皇室の儀式・祭祀及び公的行為を行うものとする。(4)天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位は歴史と伝統、国民の歴史的総意に基づくものとする。(5)天皇は法的、政治的責任を問われない趣旨を明確にする。(6)皇室の伝統に基づき、男系男子による継承を憲法又は皇室典範に明記する。

大口 善徳君(公明)

  • 天皇を元首と憲法に明記する必要はないと我々は考えている。象徴天皇とは、権力なき権威としての存在を示しており、象徴天皇制は広く国民に浸透し定着している。
  • 天皇に元首の側面があることは否定しないが、憲法に元首と明記するとなると、国政に関する権能を天皇に与えるかのような印象を与えてしまい、これまで定着してきた象徴の意味合いが微妙に変化し、国民主権の流れに逆行する事態を生じるおそれもある。
  • 皇位継承については、憲法改正の必要はないと考えているが、現行の皇室典範のとおり男系男子による継承でよいかは大いに議論が必要であるとの立場だ。我々は女性天皇を認める方向で検討してきたが、男系女子にとどめるか、更に女系天皇まで認めるかどうか、議論を尽くしていない。
  • 国事行為については現行憲法のままで不都合は生じておらず、公的行為についても現状のありようで不都合はない。
  • 国旗・国歌、元号については、既に法律が制定されており、憲法に明記する必要はない。
  • 女性宮家について皇位継承と切り離した上での議論があった。皇位継承問題とは別にして、皇室のご公務については、将来的に、その負担軽減を図るべく、検討する必要があるのではないかと個人的には考える。

畠中 光成君(みんな)

  • 我が党は、憲法改正要件の緩和を掲げ、軟性憲法への改憲を指向している。現行憲法は制定以来一度も改正されたことがないが、この間国際・社会情勢、国民の価値観等に大きな変化があるにもかかわらず、護憲・改憲といったイデオロギー闘争に陥ってきたことは残念である。
  • 仮に憲法が改正されたとしても、統治機構などが変わっていなければ動かない。まずは、公務員制度改革や道州制導入といった統治機構改革、中央集権・官僚統制からの脱却などを、憲法改正の前に行うべきである。
  • 天皇の元首性については、対外的に確立している現状を明確にするため、天皇を日本国の元首と明記すべきである。我が党が導入を主張している首相公選制との関係からも、首相は元首ではないことを明らかにすべきである。同時に我が国の歴史的経緯から判断すると、天皇は権威であり権力ではないとの認識の下、日本国民統合の象徴とする文言は残すべきである。
  • 皇位継承については、我が国の歴史に関わることで、皇室の将来をめぐる重要な問題であり、国民の相当なコンセンサスを得るべきものなので、慎重な議論が必要だ。
  • 天皇の行為については、国の機構を変えずして先に論ずるべきではないと考える。
  • 国民の大多数は、国旗が日章旗、国歌が君が代であると認識しており、論争や混乱を避けるためにも、国旗・国歌を憲法に明記すべきである。

笠井 亮君(共産)

  • 日本共産党は、改憲は必要なく、そのための手続法も憲法審査会も必要ない、今行うべきは、憲法に基づく政治であると強く主張してきている。今、憲法の検証を行うならば、憲法の諸原則に照らして、現実がどうなっているかを徹底的に点検する必要がある。
  • 1条の主権在民の原則は、極めて重要な意味を持っている。前文と一体のものとして、明治憲法下における戦争など歴史の反省から生まれたものであり、基本的人権の尊重、恒久平和主義、議会制民主主義などの憲法の諸原則の基礎を成すものである。したがって、現行憲法下の天皇の象徴としての地位は、主権の存する国民の総意に基づくと1条で定められている。
  • 天皇の行為については、国民主権の原則に立って制限規定を設けており、その厳格な実施こそなされるべきである。憲法上天皇は国政に関する権能を有せず、天皇は憲法に定める国事行為のみを行い、それには内閣の助言と承認が必要という形式的儀礼的なものである。それ以外の行為を公的行為として広げることは、国民主権の原則と相容れない。天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正することこそ必要である。
  • 制度の問題としては一人の個人が世襲で日本国民統合の象徴となる仕組みは、民主主義や人間平等の原則に合わない。将来の方向として、民主共和制を目指すべきである。天皇制は、憲法上の制度であることから、その存廃は将来、主権者である国民の多数意見がその方向で熟した段階で、国民の総意によって解決されるべき問題であり、当面の問題とは考えていない。 

鈴木 克昌君(生活)

  • 憲法議論に当たっては、憲法の基本的な理念や論理を踏まえて、冷静に議論を行う必要があり、憲法 96条の改正についてのみの議論を行うのは不適切である。
  • 天皇は外国との関係から元首であることは疑いなく、現在の憲法でも天皇は元首と理解されていることから、憲法に天皇が元首であることをあえて明記する必要はない。
  • 皇位継承については、現行の皇室典範のとおり、男系男子が継承する制度を維持すべきである。
  • 国事行為については、現行の運用で支障が生じているとは考えられず、憲法改正の必要はない。また、公的行為については、かえって天皇に激務を強いることにつながりかねないことから、憲法に明記する必要はない。
  • 国旗・国歌及び元号については、既に法律が制定されていることや、国民に浸透していることから、あえて憲法に明記する必要はない。

●委員からの発言の概要(発言順)

西川 京子君(自民)

  • 天皇の地位については、我が党の憲法改正草案の 1条にある「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」という条文に尽きる。
  • 近世以降、天皇は権威の象徴とされた。国民の総意としての象徴であることも条文に含めた上で、憲法に元首として明記すべきである。
  • 皇位については、女性天皇を容認する意見もあるが、日本の皇室の伝統を考えた場合、欧州の王室の歴史とは異なり、男系による継承を守ってきたことが特徴であることから、男系男子による皇位継承を維持すべきである。

伊東 信久君(維新)

  • 1条の「象徴」という言葉の由来は、総司令部案で「symbol」という語が用いられたことにあるとされているが、その起草に当たって示されたマッカーサーノートでは、「 at the head」すなわち「headの位置にある」という語が用いられていた。「 head」を「symbol」と変更したのは、「 head」という語を用いた場合に明治憲法の解釈に戻ることをおそれたためで、「headの位置にある」との意味合いをなす語として、「 symbol」が用いられた。
  • したがって、「象徴」は日本独自の言葉として日本語の機微によるものであって、 symbol=象徴、head=元首というものではない。「元首」の中には、象徴の意味も含むことができるものである。

大島 敦君(民主)

  • 皇位継承について、過去に内閣委員会に皇室典範の改正案が提出されるとの動きがあったが、天皇に関わる問題について議論をするときに、賛否が明確にされる形で議論を行うことが好ましいのか疑問である。私見としては、三権の長の経験者等に、女系を認めるか、男系なのか等について議論をしていただき、その結果に従うのが好ましいと考える。国民の総意に基づくという観点からは、どのように意見を集約していくかが重要である。

武正 公一君(民主)

  • 民主党のこれまでの憲法に関する提言では、天皇について明記はしていないが、これは現行憲法を容認する立場からだと考える。
  • 天皇は、大使及び公使の接受を含め、諸外国から元首として扱われており、象徴天皇制は機能しているものと考える。
  • 国旗・国歌及び元号に関しては、既に法律も制定されており、定着しているものと考える。
  • 公的行為に関しては、改善の余地はあるが、内閣の助言と承認を要するとして憲法に明記するかについては慎重に考える必要がある。

鳩山 邦夫君(自民)

  • 我が国の天皇家の歴史は男系によって受け継がれてきたという点が重要である。男系の女性天皇は歴史上存在しているのだからこれを認めてよく、男系を維持することこそが重要だと考えている。
  • 元首については、先ほどの船田幹事の発言と同じである。

西野 弘一君(維新)

  • 馬場幹事の発言に補足して、国旗・国歌や元号についても、憲法に明記すべきであるというのが我が党の意見である。

笠井 亮君(共産)

  • 1999年に国旗及び国歌に関する法律案が審議された際、我が党は、日の丸・君が代は主権在民の原則に反し、侵略戦争の歴史に重なるという観点から反対した。その際には、国旗・国歌が公式に決まった場合でも、教育の現場で強制されるべきではないと主張し、政府も、押しつけないという言明を繰り返した。それにもかかわらず、制定後に教育の現場で日の丸・君が代が強制され、口元チェックやそれによる懲戒免職という問題が起きている。憲法の原則に反するこうした実態こそ変えるべきである。

馳 浩君(自民)

  • 国歌について申し上げれば、この歌は、古今和歌集では「我が君は」となっていたものが、新撰和歌集で「君が代は」となったものである。「君の代は」ではなく「君が代は」とする格助詞の使い方は、古典文法に従って解釈すれば、天皇家と人々との関係が近しいという感覚を表す。
  • 「君が代」は、天皇家と国民の関係性を我が国の文化・伝統の普遍性において捉えるべきものであり、時代背景を基にした解釈を行うべきものではないことを明確にするためにも、憲法に明記すべきである。

山口 壯君(民主)

  • 21世紀の日本においても天皇制は国民に十分に馴染んでおり、不都合があるという議論はない。にもかかわらず条文を変えようという議論は再考すべきである。
  • 皇位継承の問題も、現時点で事実上解消している。慎重な議論をさらに進めていけばよいのであるから、今、憲法の条文を改める必要はない。
  • 国旗・国歌は、個人の自発的な敬意・愛着に委ねるべきものであるが、法制化を経て、更に我々の中に馴染んでいるのであるから、あえて憲法に明文化する必要はない。

三日月 大造君(民主)

  • 民主党の立場は、 99条の憲法尊重擁護義務の遵守はもちろん、綱領で、国民とともに未来志向の憲法を構想していく旨を明記した。
  • 天皇が、主権の存する日本国民の総意に基づき、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴として、内閣の助言と承認により国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しないとの規定は、国民に支持され定着していると考える。元首という新しい用語を用いると、象徴の意味を変えることになり、逆に負の影響が懸念されるので反対である。
  • 国事行為以外の行為に、公的・私的行為の分類をし、憲法に明記すべきだとの主張があるが、現行のままで良く、必要であれば、皇室典範等に規定し、国民の議論に付した形で改正するのが望ましい。

篠原 孝君(民主)

  • 国歌について憲法に規定することは賛成できない。諸外国の国歌は、革命等それぞれの歴史により成り立っている。アメリカでは様々な行事において国歌が歌われているが、これは多種多様な人々がおり、国や心を一つにする必要があるからである。日本はそのような必要はなく、現状のままで十分であり、国歌を憲法で規定するために 96条を改正するのは本末転倒である。

上杉 光弘君(自民)

  • 憲法に国旗・国歌を規定すべきでないという理由の一つに、国旗・国歌は、国民に十分認識され周知徹底されているというものがある。しかし、例えばアメリカにおけるほど、我が国の国民に国旗・国歌が理解され定着しているか、という状況にかんがみれば、やはり国旗・国歌について憲法に規定すべきである。

高鳥 修一君(自民)

  • 男系とは、父君をたどると一本につながることであり、我が国で 2600年以上続いてきた美しい歴史であり伝統である。女性天皇を認めない立場ではないが、憲法に皇位は男系によって継承されることを明記すべきである。

【第二章について】
◎自由討議

●各会派の代表者からの意見表明の概要

中谷 元君(自民)

  • 9条2項の規定のため、自衛隊は戦力に至らない実力組織であるとされている。しかし、自衛権の保有と国家を守る組織の名称や権限、組織については憲法上明記すべきである。
  • 自民党の憲法改正草案では、新たに 2項として、「自衛権の発動を妨げるものではない」と挿入し、自衛権の存在及び行使を明記した。この自衛権には個別的・集団的自衛権が含まれており、自衛権が制約なく行使されるよう規定している。 1項の平和主義の規定は基本的に踏襲しているが、2項を変更して、自衛隊を「国防軍」として明記した。また、 PKOへの参加を可能にして、国際的集団安全保障にも関与し、世界の平和や人道支援をより広く行うことができるようにした。
  • 尖閣諸島をめぐる中国との緊張から、領土・領海の保全のあり方が注目されている。海上保安庁と海上自衛隊との責任区分が曖昧なことから、領域警備対処に空白が生じ、海上防衛行動や治安出動の武器使用が正当防衛のみであることから、力の空白が生じることが危惧されている。自民党憲法改正草案では 9条の3として、領土保全の規定を設け、権限行使の根拠とした。
  • 自衛権の行使のあり方に関し、敵基地攻撃を目的とした装備体系をどうするべきか、同盟国へのミサイル対処のため集団的自衛権を容認するかどうか、日米同盟が外交の基軸であることを踏まえて当審査会で議論すべきである。 

武正 公一君(民主)

  • 民主党が 2月に定めた新しい綱領では、「日米同盟の深化、アジア・太平洋地域との共生、専守防衛原則のもと自衛力を整備して国民の生命・財産、領土・領海を守る、国連をはじめとした国際社会の平和と繁栄に貢献し、人間の安全保障を確保する」としている。
  • 安全保障については、 2002年の憲法調査会報告で「武力行使の在り方の抜本的な見直し等が必要」とし、集団安全保障への参加を可能にするため、憲法解釈の変更、安全保障基本法等による規定、憲法の条文改正の選択肢を検討するとした。
  • 2005年の憲法提言では、9条に関する基本的考えとして @平和主義を基調とする、A憲法の「空洞化」を許さない、とし、安全保障に関しては @平和主義、A「制約された自衛権」の明確化、 B国連の安全保障活動の位置づけ、C「民主的統制」の考えの明確化、及びこれを満たすための 2条件を提示している。
  • 2006年以降も、日米地位協定の改定案をまとめ、新テロ対策特措法の対案を提出したりするなどした。これらは、国会の関与を重視したものである。
  • 政権交代後は、国際貢献活動を進める一方、北朝鮮のミサイル発射等を受け、 2010年の防衛大綱で動的防衛力を構築するとともに、中期防を策定するなどした。また、武器輸出三原則の例外基準を定め、国際協力の在り方についても検討し、尖閣諸島の国有化なども進めたところである。

馬場 伸幸君(維新)

  • 現在、国民に広がっている領土不安の根本原因は憲法 9条にある。我が党の選挙公約では、国の危機管理機能の強化や日米同盟深化の観点から、集団的自衛権の解釈変更等を求めている。
  • 2章の表題は、「戦争の放棄」ではなく、「安全保障」又は「平和と安全の追求」と改め、内容として以下の 4点を盛り込む方向で議論を行う。
  • 1点目は、侵略的戦争の否認と、国際社会における責任の遂行である。我が国は、侵略的な戦争は行わず、他国が行うことも認めない。国際紛争の未然防止に努め、紛争が発生した場合には平和的解決に全力を傾ける。国際平和・安全の維持と人道上の問題の解決に必要な責任を果たす。
  • 2点目に、自衛のための戦力を保持することを明確化し、総理の指揮監督権及び国会の承認を通じた民主的統制の原則を明記する。国内法上も、自衛隊が国際法上の軍隊であることを明確にした上で、国連憲章及び国際法に基づき、武器使用ができるよう、基準を見直す。自衛隊の呼称については別途議論する。集団安全保障への参加については、国連憲章から敵国条項を削除することを条件に参加できる方向で議論する。
  • 3点目に、国連憲章51条で明記されているように、我が国も個別的・集団的自衛権を有し、行使できることを確認する規定を置くべきである。
  • 4点目に、非常事態条項を新設すべきである。他国からの武力攻撃、テロ、大規模災害等の場合に、迅速かつ効果的な対処を可能とし、有事にも憲法秩序を守り、権力の濫用を防ぐため、総理の非常措置権、国から地方への指示権及び国会による民主的統制を明文化する。また、非常事態における国等の措置に協力する国民の責務も明文化すべきである。

斉藤 鉄夫君(公明)

  • 戦後の平和と繁栄を築く上で 9条が果たした役割は極めて大きいという基本的認識の下、9条に関して党内で活発に議論を行っている。ただ、現行憲法を堅持すべきという党の意見を覆すには至っていない。
  • 自衛権の明示については、個別的自衛権の行使は現行憲法でも認められているが、集団的自衛権の行使は認めるべきではないとの意見が大勢である。既に認められている個別的自衛権の行使について明確にすべきかについては意見が分かれている。
  • 自衛隊の存在については、専守防衛、個別的自衛権の行使主体として自衛隊の存在を憲法で明確化すべきとの意見もあるが、自衛隊は合憲として定着しており、あえて書き込む必要はないという考え方が主流である。
  • 国連による国際公共価値を追求するための集団安全保障は認められるべきとの意見がある。ただし、その場合でも、武力行使は認められず、あくまで後方からの人道復興支援のみ認められるとし、あえて憲法には明記せず、法律対応でよいとする主張である。
  • 国際貢献に関しては、明確化を望む指摘がある。ただし、憲法のどこに規定するかあるいは法律対応でよいかについては、意見が分かれている。これまで国際貢献の根拠とされてきた前文の文言を、より明確に打ち出すべきとの指摘もある。また、人間の安全保障の理念を一層強く反映させるべきとの主張もある。
  • 緊急事態対応やミサイル防衛、国際テロへの対処については、憲法に新たに盛り込むべきとの意見もあるが、あえて盛り込む必要はなく、法制上の措置でよいとの意見もある。
  • 核廃絶に関しては、唯一の被爆国である我が国がリーダーシップをとるべく、憲法に何らかの規定を盛り込むべきとの議論もある。

小池 政就君(みんな)

  • 我が党が昨年 4月27日に発表した「憲法改正に関する基本的考え方」は、侵略戦争を放棄し平和を追求することを前提に、我が国を防衛し、国際平和に貢献するため、自衛隊のあり方を明確化することとしたほか、憲法 9条は国論を二分する問題であるから、2年間の国民的議論の上で国民投票により決定することとしている。
  • 我が国の防衛に関しては、自主防衛力の向上を基盤としつつ、我が国を取り巻く安全保障環境や脅威が変遷する中、憲法の精神に沿った防衛体制や自衛権発動時期の再考が求められている。また、同盟による抑止力の確保についても、集団的自衛権の行使をも考慮しつつ、他国とのバランスや自己完結的防衛力の必要性が考慮されなければならない。
  • 国際平和への貢献に関しては、昨今は国際秩序の安定への貢献についても、自国防衛の一環として捉える必要が出てきている。従来の自衛権の考え方に基づく制約によって、国際貢献活動が抑制されているのみならず、自衛官の安全をも脅かしている現状も見逃せない。
  • 憲法は、我が国の普遍的理念を示すものである一方、我が国や国民の安危に関わる防衛体制の基盤や制約にもなり得る。時代や環境に目を背けることなく、自衛権の在り方について見直し、かつ、明確化し、国民投票の実施まで不断の国民的議論を重ねるのが望ましい。

笠井 亮君(共産)

  • 9条は、侵略戦争と植民地支配によってアジアと世界に甚大な犠牲をもたらした反省に立ち、日本が二度と侵略国家とならず、世界平和の先駆けとなるという国際公約である。広島と長崎を体験した日本国民の、核戦争を二度と繰り返してはならないという想いが込められている。
  • 日米安保条約によって、 9条と真っ向から対立する日米安保最優先の体制が作られてきた。その最たるものが在日米軍基地の問題であり、安保条約の下、米軍基地が全国に作られ、沖縄では復帰から 40年を経ても基地が集中し、辺野古への新基地建設が押し付けられ、オスプレイによる低空飛行訓練が傍若無人に行われる現状は、対米従属そのものである。にもかかわらず、講和条約発効の 4月28日を主権回復記念と称して政府が式典開催を決定したのはもってのほかであり、それを改憲の契機にしているのは看過できない。こうした 9条蹂躙の実態こそ検証すべきだ。
  • 自衛隊は、日本の再軍備という米国の意向により 9条に反して創設されたものであり、専守防衛とは名ばかりで、米軍の補完部隊として増強されてきた。米国の世界戦略の下、自衛隊は米軍と共同軍事作戦を行うとともに、海外派兵のための法律、装備が強化され、自衛隊を海外で活動できる軍として質的に変化させられてきた。安倍政権は、憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を可能にしようとしているほか、武器輸出三原則を踏みにじろうとしている。
  • 軍事費の問題に関し、条約上も義務のない思いやり予算等について憲法 9条に照らし、正面から検証が必要である。 

鈴木 克昌君(生活)

  • 憲法論議に当たっては、旧来の護憲・改憲といった対立や政治的観念を背景とした議論ではなく、憲法の基本理念を踏まえて、冷静に憲法を見つめることが必要である。
  • 96条改正の議論については、96条単独で議論することが国民の間で厚みのある憲法論議を喚起するのか、各条項のどこが現状に適合しないのかを国民が理解することにつながるのか、という問題意識を持つべきである。また、憲法論議は、適切なタイミングで取り組む必要があり、とりわけ 9条については国内・国際情勢にも影響を与えることを勘案して、理性的に憲法を見つめることが必要である。
  • 自衛隊については、国の防衛の根幹を担い、国際平和と安全の維持に貢献するものとして、あるいは災害派遣等の活動を通じて、国民に広く受け入れられ、「自衛隊」という名前を含めて定着しているが、その憲法上の存在基盤は内閣法制局の答弁に依拠しているにすぎない事情を踏まえて、憲法上のあり方を議論する必要がある。
  • 集団的自衛権を含めた自衛権の行使は、憲法上いかなる場合に認められるか、後方支援を含めた自衛隊の活動について、武力行使と一体化しないという論理の中で、憲法の理念や民主的観点からチェックが適切になされてきたか、今までの内閣法制局による解釈が現在の国際情勢、軍事情勢に照らして正しいものか等について、厳密に検討するべきである。
  • 国際貢献については、これまでは消極的だったが、憲法の理念に従って、あらゆる分野で積極的に行っていくべきである。その際、国連の平和活動と、国際社会での合意を得ないままに行われる武力行使のそれぞれについて、我が国としてどう対応すべきか、 9条の理念に立ち戻って再検討する必要がある。

●委員からの発言の概要(発言順)

大塚 拓君(自民)

  • 9条の条文には大きく異なる解釈ができる余地がある。このため、文言解釈から発生した議論の積み重ねによって、独特の論理体系となり、現実の脅威に対応できない不都合が生じている。
  • 集団的自衛権の行使の是非について議論が分かれ、 9条ゆえに日米安全保障体制が崩壊するリスクを内包している。9条の持つ深刻な矛盾を解消するためにも、集団的自衛権行使も含めて憲法改正するべきであり、解釈の余地のない条文にすべきである。

山口 壯君(民主)

  • 集団的自衛権は、冷戦当時、米英諸国が NATOを機能させるために作られた概念で、自然的なものというより、人為的に作られたものであるという経緯や、当初国連が想定していた集団安全保障システムが今まで機能していない現状を考えると、「同盟」というものをどう機能させつつチェックをかけていくかが重要である。
  • 集団的自衛権を我が国の立場で考えた場合、憲法改正よりも、「持っているが行使できない」とする政府解釈の変更で対応するのが適当ではないか。
  • マイナー自衛権の議論については尖閣問題が念頭にあるが、この問題については、外交による対話により、また、自衛隊でなく海保のレベルにより問題を解決することが得策と考える。
  • 今後、西洋から東洋に世界の重心が移り、軍事力・財力でなく、文化・伝統といったものに期待が集まるこの時代に、 9条改正が今必要なのか、慎重に考えた方がよい。

船田 元君(自民)

  • 国家の存立の基本は自衛権であり、これを行使できる形に 9条を変えていくべきである。1項は平和主義をうたったものなのでそのままでよいが、「国際紛争を解決する手段としては」という文言は、侵略戦争を否定したものと解釈すべきである。 2項以降に自衛権の規定を設け、個別的・集団的自衛権のいずれも認める形にすべきである。また、国際的平和活動についても憲法に盛り込むべきで、それにはいわゆる集団的安全保障の概念に基づく PKOや国連軍が含まれるものと考える。
  • 問題は、集団的自衛権をどこまで認めるかであり、この点を大いに議論すべきである。私は、「抑制的な集団的自衛権」を提案したい。現在、安倍総理のもとで安保法制懇が再開され、4つの類型について集団的自衛権の行使が可能か議論されているが、これらを含めて、下位法である安全保障基本法で規定していきたい。
  • 多国籍軍や同盟軍については、集団的自衛権の範疇に入るものであり、その参加について慎重に議論すべきである。

畠中 光成君(みんな)

  • 我が党は、 9条に自衛権を明記すべきであると考えている。
  • 9条について、2年間の国民的議論を経た上で国民投票に付すこととしているが、これは、安全保障については国民一人一人に関わる重大なものであることや、硬性憲法から軟性憲法へと憲法改正規定を改めることに伴って、国民投票がなくなることを踏まえてのものである。

山本 ともひろ君(自民)

  • 集団的自衛権に関し、権利はあるが行使はできないというのは、論理的におかしい。集団的自衛権については議論が積み重ねられてきたが、間違っていたものを重ねても間違っていることに変わりない。これを覆すのは正しい解釈によるべきで、憲法を改正することで覆すと、これまでの解釈が正しかったと言っていることにもつながりかねない。集団的自衛権は「解釈を改める」ことで認めるべきである。また、集団的自衛権の行使は政策的に判断されるべきで、権利をどう管理するかが重要である。

斉藤 鉄夫君(公明)

  • 船田委員から提案のあった「抑制的な集団的自衛権」は、傾聴に値する。これに関しては過去の体験をもとに 60年にわたり緻密な議論が積み重ねられてきたが、その根底には、日本が行ってきた行為があり、それを忘れてはならない。
  • 「抑制的な」とあるが、現実的にどこまで機能するのか。これまでの人類の歴史は抑制が効かないことが多かっただけに、慎重な議論が必要である。

山下 貴司君(自民)

  • ニカラグア事件に関する国際司法裁判所の判決では、集団的自衛権を自然権と述べており、最高裁判所長官を務めた横田喜三郎氏も、集団的自衛権について、集団的正当防衛として理論的に認める余地があると述べている。

笠井 亮君(共産)

  • 集団的自衛権に関し、従来の解釈を「間違った解釈」とする発言があったが、その解釈をしてきたのは歴代の自民党政権であり、そのような解釈をせざるを得ない憲法との関係があって議論されてきたことを指摘したい。
  • 集団的自衛権に関しては、国連憲章でも安保理決定に基づく措置がなされるまでの例外的・暫定的権利の位置づけである。また、これまでに行使された集団的自衛権の実態を見ても、自衛とは名ばかりで、他国への侵略の口実として用いられてきたのが歴史の事実である。
  • 世界的には、軍事に頼らない平和構築の流れが広がる中で、侵略戦争を行った日本が集団的自衛権行使を可能にすることは、国連中心主義の外交とも反し、容認できない。

中谷 元君(自民)

  • マイナー自衛権については、 10年以上前の政府見解で整理すべきとされたものが未だ整理されていない状況であり、立法府としても議論し、整理をしておく必要があるのではないか。
  • 領土問題等は外交で対応するのが基本だが、外交は国の安全保障の上に成り立っている面もある。中国の軍拡や海洋政策の強化等が進む中、我が国の抑止力として、危機に際しての国内法の整備、現行憲法上の自衛権の整理による体制整備なども必要だと考える。

武正 公一君(民主)

  • 我が党が政権運営を行う中で、日米地位協定や北東アジアの非核化等に関して現実的な対応に変更せざるを得なくなったのは、北東アジアをはじめとする、世界的な安全保障環境の変化に対応するためである。
  • 違法上陸者に対する逮捕権を海上保安官に与える法改正が昨年行われたが、領土・領海、国民の生命財産を守るための法整備は未だ途上であり、今後、こうした法整備も進める必要がある。

土屋 正忠君(自民)

  • 報道によれば、北朝鮮指導者が「核の先制攻撃も辞さず」などと発言した。北朝鮮は、ミサイルの精度・飛距離の向上、核爆弾の小型化などが類推できる実験を行っている。我が国は、独自でそれに対する抑止力を持ち得ず、日米安保条約の強化・深化が求められる。
  • この種の議論の根底となる自衛権について、その発動を具体的に行うにはどうするか、北朝鮮を含む対外的脅威にどう対応するか、憲法改正によるか解釈変更によるかは別として、何らかの決断に踏み込む時期に来ているのではないか。

船田 元君(自民)

  • 「抑制された集団的自衛権」について、どこまで抑制できるかについてはさらに議論を深めていくべきである。
  • 国連軍が今後も結成される可能性は低いと思われる。代わりに結成されてきた多国籍軍に対し、我々はどこまで参加できるか考えることは重要である。

笠井 亮君(共産)

  • 集団的自衛権は国連の安全保障の中でどのような位置付けかを考えるべきである。
  • 北朝鮮の核実験は許されるべきではないが、軍事に対して軍事で対抗するのは悪循環であり、北朝鮮を対話のテーブルにつかせるためにも、国際社会が一致して制裁を実効あるものにしていくべきである。
  • 北朝鮮の脅威はこれまで以上に高まっているからこそ、憲法改正ではなく、対話によって核兵器を放棄させる、核兵器のない世界を作ることで核の放棄を迫ることが大事である。

土屋 正忠君(自民)

  • 1%でも核の先制攻撃があるかもしれないという具体的脅威にどう備えるかが国会の責任であり、理念の問題にすり替えてはならない。