平成28年11月17日(木)(第2回)

◎会議に付した案件

1.森英介会長から、憲法審査会の特色等について発言があった。

2.日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(憲法制定経緯と憲法公布70年を振り返って)

自由討議を行った。


◎森会長からの発言

〔はじめに〕

この際、本憲法審査会における議論を再開するに当たり、幹事会の協議に基づきまして、@憲法審査会の特色と、A今後の運営に関する私の所感について、一言申し上げさせていただきます。

〔憲法審査会の特色〕

平成12年に衆参両院に置かれた「憲法調査会」を前身とする憲法審査会は、他の常任・特別委員会と異なる数々の伝統と特色を有しております。例えば、会長代理が置かれ、野党第一党の幹事がこれに充てられる例となっておりますし、その運営については、与党や野党第一党だけでなく、少数会派も含めて幹事会等で協議・決定するとともに、少数会派や委員にも平等に時間を配分して議論を尽くすという姿勢がとられてきました。  これは、憲法調査会、日本国憲法に関する調査特別委員会を通じて、一貫して会長・委員長を務められた中山太郎先生を中心として、歴代の幹事やオブザーバーの方々が築き上げて来られ、本憲法審査会にも継承されてきたものです。  このような憲法審査会の伝統と特色は、憲法は国家の基本法であって全て「国民のもの」であるという、憲法論議に対する基本理念に基づくものであります。

〔熟議による合意形成〕

また、憲法調査会以来、国家の最高法規である憲法に関する論議においては、政局にとらわれることなく、「憲法論議は国民代表である国会議員が主体性を持って行うべき」との共通認識に基づき、熟議による合意形成がなされてきました。ここに、議論に真摯に取り組まれてきた各党に改めて敬意を表します。  今後ともこの共通認識に基づき、国民に対してオープンな場である憲法審査会において、国民の代表者である国会議員により、憲法改正の必要性の有無とその内容について熟議を重ねるとともに、国民の憲法論議に関する理解も深めていただくことが重要であります。

〔会長として審査会に臨む姿勢〕

私は、会長として、これまでの憲法審査会の運営方法を継承して、少数会派の意見も十分に尊重し、幹事会における協議・決定に基づいて、円満かつ公正・公平な運営を行っていく所存でございます。御協力のほどよろしくお願い申し上げます。

 

◎自由討議

●各会派の代表者からの意見表明の概要

中谷  元君(自民)

  • 日本国憲法の下、我が国は、戦後の荒廃を乗り越え、今日の自由で民主的な社会を築き、経済の繁栄を実現してきた。また、国際社会においても重要な地位と役割を担うようになった。
  • 日本国憲法は既に国民の生活に定着しており、特に、「国民主権」・「平和主義」・「基本的人権の尊重」という日本国憲法の基本原理が、我が国の民主主義国家、平和主義国家としての礎を築く上で果たしてきた役割は極めて大きく、将来も継承していかなければならない。
  • しかし、憲法制定後70年が経過し、我が国の社会や安全保障環境の変化など憲法を取り巻く環境は大きく変化しており、憲法と社会の実際にずれが生じてきている部分がある。
  • そこで、日本国憲法の基本原理を堅持しつつ、改正の必要性のある項目に関し、国会議員が熟議を重ね、国民の憲法改正への合意形成を目指していくべきとの観点から発言する。
  • 日本国憲法の制定の原点は、ポツダム宣言にある。日本国政府がこれを受諾・調印した後、幣原内閣の松本烝治担当大臣の下、憲法問題調査委員会が憲法改正案を作成の上、1946年2月8日にGHQに提示したが、2月13日、GHQ民政局が作成した草案が日本側に手交され、それを基に日本国憲法の草案を起草するように指示したこと等、日本国憲法の制定過程において、GHQが関与したことは否定できない事実である。しかし、GHQ草案が提示された後の交渉過程において、日本国政府による検討と修正も相当程度盛り込まれている。
  • 婦人参政権を含む完全な普通選挙により、改正案審議のための国会を構成する衆議院議員が国民により直接選挙された。その衆議院の審議過程においても、貴族院の審議過程においても、様々な規定の修正、追加がなされている。
  • 憲法施行後、極東委員会からの指示で、憲法改正の要否を検討する機会を与えられながらも、日本国政府は改正の要なしという態度をとったほか、制定以来、日本国憲法の基本原理は国民の間に定着しているといった社会的事実も認められる。
  • 平成17年の衆議院憲法調査会報告書においても、日本国憲法の制定に対する一連のGHQの関与の事実ばかりを強調すべきではないという意見が多く述べられている。
  • 自民党は、結党当時から、日本国憲法の基本原理を堅持することを明確にした上で、「自主的な憲法改正」に向け努力を重ね、真摯に議論を重ねてきた。その成果として、昭和47年の「憲法改正大綱草案」、昭和57年の「日本国憲法総括中間報告」、平成17年の「新憲法草案」、平成24年の「日本国憲法改正草案」をはじめとして、数々の「公式文書」を世に問うてきた。
  • 憲法と社会の実際に、どのようなずれが生じてきているか、そのために憲法の改正が必要であるか、改正するとして改正内容をどうすべきかといった様々な点で、各党各会派で様々な意見がある。
  • これまでの議論の蓄積を踏まえ、議論を深めていくべきであるが、それは決して「改正ありき」の改正項目の絞り込みではなく、「改正の必要性」について、改正の要否という観点から議論を深めていくべきものである。
  • その際、近代立憲主義の見地を踏まえて議論を進めることは当然の前提である。そもそも近代立憲主義とは、権力分立により、基本的人権を保障するという近代憲法の基本となる考え方であり、自民党も全面的にこれを肯定する。
  • 今後議論を進めていくに当たり、例えば憲法審査会の自由討議においてほとんどの会派が「議論の必要性」について言及していたのは、「環境権、知的財産権、犯罪被害者の権利等の新しい人権」・「財政規律を含めた統治機構改革」・「緊急事態条項」であった。その他、「合区解消」、「地方自治」、「私学の助成」や「自衛隊の認知」などについてもよく言及されている。また、「国会議員の総選挙」を「国会議員の選挙」と改めることなど表現の整理も必要である。
  • いずれにせよ、どのようなテーマについて議論をしていくかについては現段階では白紙であり、本日あるいは次回の自由討議を踏まえて、各会派がそろう幹事会等で協議していくべきである。
  • 自民党としては、日本国憲法が、我が国の民主主義国家、平和主義国家としての礎を築く上で70年間果たしてきた役割をしっかりと踏まえ、各党各会派との間で、憲法改正の必要性とその内容についての熟議を重ね、国会議員がその理解を深めるとともに、国民に憲法改正の議論を深めていただき、国民の憲法改正への合意形成を目指していく所存である。

武正 公一君(民進)

  • 大日本帝国憲法は、立憲君主制の下、大正デモクラシーなどの民主主義の実現という成果の一方で、天皇大権を利用した軍部の台頭を抑えることができず、憲法体制の全面的崩壊が昭和20年に起きた。
  • 現行憲法の制定については、GHQとの交渉過程での二院制への変更、制憲議会での芦田修正などの修正、当時の大部分の国民による新憲法の歓迎や、憲法施行後に改正の要否を検討する機会を与えられながら当時の日本政府は「改憲の必要なし」と判断したことなどは、日本の主体性の発揮を意味している。内閣憲法調査会や衆議院憲法調査会の報告書が述べているように、GHQの関与を「押し付け」と捉えてその点ばかりを強調すべきではない。
  • 憲法の三大原則が今日の日本を形作るために果たした役割は、極めて大きい。「平和主義」によって、軽武装やアメリカの核の傘の下での経済復興を重視することができた。「国民主権」は知る権利の具体化を、「基本的人権の尊重」は労働者の権利の具体化や差別の撤廃を進めた。25条が国民生活の向上に果たした役割も大きいが、これは日本側の主張で加えられたものである。
  • 安全保障に関する一昨年からの動向は立憲主義にもとるものであり、憲法解釈変更の閣議決定と安保法制は白紙撤回すべきである。
  • @近代立憲主義とは、権力を制限し、個人の自由・権利を守るものである、A憲法の三大原則は憲法改正の限界である。この認識が衆参の憲法審査会で共有されることが、改憲発議の大前提となるのではないか。その点で「自民党憲法改正草案」は、@国防軍創設による平和主義の揺らぎ、A「公益及び公の秩序」への変更による基本的人権の尊重の毀損、B個人よりも国家が前面に出ることによる国民主権の危機など、近代立憲主義の共通の土俵に立てるのかと懸念する。
  • 「自民党憲法改正草案」について、今臨時会においても安倍総理は「議論のベース」と、昨日の参議院憲法審査会では自民党筆頭幹事が「バージョンアップする」と発言した。「撤回はできないが棚上げをする」と言ってきたことと、どう整合をとるのか。
  • 民進党は、綱領で、「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を堅持し、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。象徴天皇制の下、新しい人権、統治機構改革など、時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する」と規定した。民主党の憲法提言、維新の党の選挙公約等は、議論の土台であることを党憲法調査会で確認している。
  • 民進党の綱領では、新しい人権の例として、国民の知る権利を取り上げている。特定秘密保護法の強行採決があり、また、TPP関連議案の審査にあっては、十分な資料が提出されず、その背景が憲法73条の外交処理権・条約締結権(内閣の専権事項)にあるのならば、改める必要がある。統治機構改革については、道州制を含む国と地方の関係や衆参両院の役割分担の議論が必要である。
  • 昨年、与党筆頭幹事から提案のあった「参政権の保障を巡る諸問題」は、引き続き議論すべきである。「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が設置されたが、2条に皇室典範に関する規定があるのであるから、憲法審査会で取り上げるべきである。また、7条解散の是非についても議論が必要ではないか。
  • 日本国憲法は条文が少なく、多くを法律に委ねているため、以上の各論点については、憲法改正でしか対処できないのか、法律改正でも対処できるのかの見極めが必要である。
  • イギリスのEU離脱やアメリカ大統領選での移民排斥、モンロー主義回帰の動きなどは、戦争の惨禍の記憶が薄れ、平和を希求する国際協調の仕組みの重要性の認識が失われてきたことが背景にあるのではないか。歴史認識の共有と、自由と民主主義という価値観の共有のための国際的な枠組み作りへの日本のさらなる努力が求められている。
  • 民進党は、党憲法調査会を舞台に、新しい憲法を構想する作業に向け、国民との対話を重視し、まずは役員会での議論を精力的に進める。
  • 憲法調査会以来の良き伝統は、安倍総理の発言で混乱したが、国民投票法改正や18歳選挙権のための公職選挙法改正という評価すべき成果をもたらした。立憲主義が揺らいだ今こそ、与野党の丁寧な合意形成と議論を深めるための共通の土俵作りが必要である。

北側 一雄君(公明)

  • 敗戦国日本を巡る極めて厳しい国際環境や敗戦直後の社会的、経済的混乱の中で、当時の日本の政治家たちが、新憲法の制定、その後の主権回復と経済の自立を成し遂げ、戦後日本の礎が築かれたことを忘れてはならない。
  • GHQから日本政府側に「マッカーサー草案」が交付され、これを基に「憲法改正草案要綱」、さらに「憲法改正草案」が作成された。このことを捉え、一部に、占領下で作られた「押し付け憲法」であり、自主憲法の制定が必要との意見があるが、賛同できない。
  • なぜなら、第一に、枢密院、衆議院、貴族院という三段階の審議を経て、数多くの修正がなされ、それぞれ圧倒的多数で新憲法改正案が可決、成立している。特に衆議院は、憲法改正草案要綱が発表された後、我が国初の女性参政権も含めた普通選挙による衆議院選挙が実施され、議会が構成された。ちなみに、衆議院では、賛成421票、反対8票で、共産党が反対している。共産党の反対の主な理由は、天皇制と憲法9条である。
  • 第二に、新憲法制定時の総理である吉田茂は、「押し付け憲法」という批判に対し、著書『回想十年』の中で「押し付けられたという点に必ずしも全幅的に同意しがたい」とし、その理由として、「GHQは交渉経過中、徹頭徹尾強圧的もしくは強制的というのではなかった。我が方の専門家、担当官の意見に十分耳を傾け、我が方の言い分、主張に聴従した場合も少なくなかった。時の経過とともに、彼我の応酬は次第に円熟して協議的、相談的となってきた。議員のうちには、第一流の憲法学者を始め、法律、政治、官界のいわゆる学識経験者を網羅しており、しかもこれらの人々は占領下とはいいながら、その言論には何らの拘束を受くることなく、縦横無尽に論議を尽くしたのである。すなわち、憲法問題に関する限り、一応当時の我が国の国民の良識と総意があの憲法議会に表現された」と述べている。
  • 第三に、極東委員会は、新憲法が真に日本国民が自由に表明した意思によってなされたものであることを確認するため、日本国民に再検討の機会を与えるべき旨を決定し、総司令部も憲法施行後1、2年以内の憲法改正の検討を提案したが、日本政府は改正の必要なしとの態度を取った。
  • 第四に、憲法公布から施行までの間に、新憲法に基づき、戦後民主主義の基礎となった多くの法律が制定され、憲法の施行と同時に施行された。「押し付け憲法」で詳細な基本法制が整備されるものだろうか。
  • 最後に、何よりも日本国憲法はこの70年、国民に広く浸透し支持されてきた。「押し付け憲法」という主張自体、今や意味がないと言わざるを得ない。
  • 日本国憲法は、我が国の民主主義の進展、平和と安定、経済発展に大きく寄与し、国際社会からの信頼も広げてきた。特に、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義の三原理は、過去幾多の試練に堪え確立されてきた人類普遍の理念であり、これからも堅持されなければならない。私たちは、日本国憲法を優れた憲法として評価している。
  • しかし、憲法制定から70年経過し、時代も大きく変化し、制定当時想定できなかった課題も明らかになっている。現行の規定のままで不都合があるならば、憲法の基本原理はあくまで維持をしながら、条項を付け加えていく方法、いわゆる「加憲」方式で憲法改正論議を進めていくことが相応しいと考える。
  • 憲法改正案は最終的に国民投票に付されるが、まず憲法改正原案は内容において関連する事項ごとに区分して個別に発議することとなっており、国民投票は、憲法改正案ごとに一人一票で、賛成又は反対の文字を丸で囲む投票方式となっている。したがって、日本国憲法の全体若しくは数多くの項目の改正案を一括して国民投票に付すことはそもそも想定されず、現実的にも「加憲」という方法で憲法改正論議を進めるしかないと考えられる。
  • 今後両院の憲法審査会で憲法論議を進める上で、第一に、国民にオープンに論議を進めること、第二に、これまでどおり少数意見に配慮し、発言の機会を保障すること、第三に、時の政局から一歩離れて冷静に憲法論議を積み重ねることが重要だと考える。これらのことを憲法審査会で確認することをお願いする。

赤嶺 政賢君(共産)

  • 憲法審査会は、動かす必要はない。憲法審査会は、憲法改正原案、改正の発議を審査するための場である。ここでの議論は改憲項目をすり合わせ、発議に向かうことにつながる。国民の多数は、憲法改正を求めていない。日本共産党は、日本国憲法の前文を含む全条項を守る。平和、民主主義の原則を現実の政治に生かすことこそ、政治に求められている責任だと考える。
  • 安倍首相が改憲のベースと言った自民党改憲草案の中身は、前文の平和的生存権を削除して国民に国防義務を課し、9条を変えて国防軍を明記して集団的自衛権の全面行使に踏み切るものだ。また、97条を全文削除していることは、基本的人権条項を否定するものである。
  • 日本国憲法の制定はポツダム宣言の受諾に始まり、侵略戦争の反省の上に立って、軍国主義を全面的に排除し、国民主権と民主主義を抱える平和国家として国際社会に復帰した。日本国憲法はアジアと国際社会に対し、二度と戦争しないことを約束したものである。それを押し付けと言うのは、日本が起こした侵略戦争による痛苦の歴史に背を向けるものである。
  • 安倍政権の憲法無視の政治について2点述べる。一つ目は、安倍政権が強行採決した戦争法、安保法制である。我が国が攻撃を受けていないのに武力を行使できるのは、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めた憲法9条に違反することは明白である。にもかかわらず、存立危機事態と称して、日本を攻撃していない国に対して日本から武力行使を行うことになれば、その国との間に武力抗争状態を作り出すことになる。9条1項で禁止された国際紛争を解決する手段としての武力行使にほかならない。集団的自衛権を認めて他国防衛の海外派兵を可能とすることが9条2項に反することも明らかである。
  • 歴代政府は、自衛隊は日本の防衛のための必要最小限の実力組織だから合憲だと言い、海外派兵はできない、集団的自衛権の行使はできない、としてきた。それは、国会論戦で積み重ねられた政府見解であり、一内閣で覆せるものではない。憲法の平和主義を踏みにじった違憲立法に反対する運動が大きく発展したのは、当然である。国会前や各地域で多くの人が上げた「戦争法反対、立憲主義守れ」という声に耳を傾けるべきである。
  • 政府は、15日、駆け付け警護と宿営地の共同防護を新たに付与した南スーダンPKO実施計画の変更を閣議決定した。これは、内戦状態にある南スーダンに自衛隊を派遣して海外での武力行使に道を開こうとするもので、憲法違反は明白で断じて許されない。
  • 二つ目は、沖縄と米軍基地の問題である。沖縄は、来年で復帰45年を迎える。アメリカの直接統治下の1971年に琉球政府の屋良主席が日本政府に向けて策定した建議書には、「県民が最終的に到達した復帰の在り方は、平和憲法の下で日本国民としての諸権利を完全に回復することであり、即時無条件かつ全面返還である」と記されている。復帰の原点は、日本国憲法の下での基地のない平和な沖縄であった。しかし、実際には、憲法の上に安保が置かれ、米軍優先で苦しめられている。70年経っても占領当時と変わらない、基地あるがゆえの苦しみが続いている。
  • 沖縄において負担軽減の名で行われる基地の返還は、いつも移設条件付きで、新たな基地強化につながってきた。その典型が辺野古新基地建設という一大軍事拠点の新設だ。もともと沖縄の基地は、住民の土地に勝手に造られたものだ。さらに、サンフランシスコ平和条約締結後、銃剣とブルドーザーで土地を強奪し、国際法に違反して構築された。危険な普天間基地は直ちに閉鎖し、無条件撤去されるべきだ。
  • 高江のオスプレイ着陸帯の建設も同様である。使用していない訓練場の過半を返還する代わりに、既に15個もあるところに新たな着陸帯を建設することがどうして負担軽減になるのか。高江の住民の暮らしを破壊し、貴重な自然を破壊することは、到底認められない。
  • 新基地建設反対は、県民の強固な思いである。しかし、政府は、民意を尊重するどころか、権力総動員で基地建設を強権的に推し進めており、民主主義や地方自治は踏みにじられ、沖縄に憲法はないのかというのが現実である。
  • 沖縄の現状を放置することは、9条蹂躙の違憲状態を日本全体に広げることになる。沖縄に配備されたオスプレイは、全国に訓練を展開し、横田基地にも配備されようとしている。岩国基地に配備されるF35は、海外に展開するものだ。沖縄の米軍基地強化は、全国各地の基地強化と一体となって、アメリカの世界戦略に基づく一大拠点を構築することになる。9条を蹂躙するこの実態は、米国から求められるままに日本の再軍備を行い、日米安保の下、違憲の海外派兵に道を開いてきた米国追随政治の到達点だ。私たちは、国民とともに、9条蹂躙・改悪を許さない戦いを進めていく。

足立 康史君(維新)

  • 憲法審査会が1年半ぶりに再開されたことを評価する。一方、10日に予定されていた審査会がTPP関連議案に係る政局を理由に中止されたことは遺憾であり、延期を申し入れたとされる民進党の筆頭幹事には猛省を促したい。野党第一党の筆頭幹事は審査会の会長代理でもあり、憲法審査会の開催に労をとるべき立場にある。会長代理が所属政党の立場に拘泥し、役割を十全に果たせないならば、我々日本維新の会が筆頭間協議に加わらなければならない。
  • 憲法審査会には、政局に左右されないという、憲法調査会時代からの伝統がある。そのような伝統を破壊し、政局を持ち込む政党には憲法審査会で意見を述べる資格はない。
  • 公布から70年、日本国憲法が国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という基本的価値を定着させた点を評価しつつ、未来に向けた課題解決型の憲法論議を深めていく必要がある。
  • 平成12年に設置された憲法調査会は、憲法改正に向けて大きな役割を果たした。平成17年には最終報告書が取りまとめられ、同時期に自民党が「新憲法草案」、当時の民主党が「憲法提言」、公明党が「論点整理」を公表した。自民党が平成24年に公表した「憲法改正草案」は、その取扱いについて民進党など野党から厳しい追及を受けているが、民主党の「憲法提言」はどのような扱いなのか。
  • その後、憲法改正国民投票法の成立を経て、昨年、いよいよ本格的な審議に入ろうかというときに、いわゆる安保法制の合憲性についての議論が憲法審査会に持ち込まれ、1年半以上休眠状態となったことは誠に遺憾である。
  • 日本維新の会は、特定のイデオロギーを表現するためではなく、日本の抱える具体的な課題を解決するために憲法改正を行うべきと考える。「脱イデオロギー」の憲法改正である。憲法改正が必要となる社会的事実が明らかな項目について、改正発議に向けた議論を直ちに開始するべきである。
  • 憲法改正は最終的には国民投票で決するが、国民投票で過半数を得るのは容易ではないことを、大阪都構想の住民投票を通じて痛感した。立法事実があれほど明瞭な事案でも、かつて賛成を表明していたはずの政党が政局を理由に反対に回るという事態が起こった。
  • 国論を二分する安全保障や危機管理の問題よりも、国民に身近で切実な問題を優先し、憲法改正に向けた選択肢を国民に示すべきである。私たちはそのような考え方の下、本年3月に教育の無償化、統治機構改革、憲法裁判所の3項目からなる憲法改正原案を取りまとめた。
  • 第一の幼児教育から高等教育までの教育無償化については、与野党ともに積極的だが、予算の制約から実現できていないのが現状である。教育無償化を憲法に規定することで、予算措置と立法化を国に義務付けていくことになり、また、どの党が政権に就いても教育無償化を堅持できる。
  • 第二の統治機構改革についても、東京一極集中を打破して地域の自立を確保し、多様で豊かな多極分散型国家の実現を目指すことは、各党の賛同を得られると思う。道州と基礎自治体の権限と財源を抜本的に強化する中で、国と地方の関係を憲法で規定すれば、待機児童対策や震災復興など一律の対応が難しい問題について、現場の柔軟な対応が可能となる。
  • 第三の憲法裁判所について、憲法の最終解釈権は本来司法にあるが、最高裁が統治行為論をとる限り、内閣の憲法解釈と国会が成立させた法律に対抗するすべはない。これが安保国会で明らかとなった日本の統治機構の課題である。日本維新の会は、憲法解釈は政治から距離を置くべきとの考え方の下、違憲立法審査を公権的に行う機関として、憲法裁判所の創設を提案する。
  • 憲法論議を深化させ、前に進めることは、国会議員の責務である。先の参院選を経て憲法改正に前向きな政党が両院の3分の2を占めるに至り、戦後初めてリアリティーをもって憲法改正論議に臨める環境になった。参院選では、憲法改正を掲げた日本維新の会が大きな支持を得た一方、民進党は3分の2を取らせないとのキャッチコピーで敗北した。選挙結果を真摯に受け止めることは、民主主義の基本である。
  • 憲法審査会では混乱を招かぬよう、個人の見解なのか、党の見解なのかを明示した上で意見を表明されることを望む。
  • 自民党も民進党も、具体的な憲法改正項目を速やかに提案し、憲法審査会のテーブルに乗せるべきである。「憲法を国民の手に取り戻そう、日本を前に進めていこう」と委員各位、国民の皆様に呼びかけたい。

照屋 寛徳君(社民)

  • 憲法が掲げる普遍的理念及び国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三大原則、9条の規定など、日本国憲法が国民から強く支持され、我が国が平和国家として歩んできた担保になったものと確信している。
  • 憲法公布70年の歴史において、憲法と沖縄の関係を忘れてはならない。沖縄では、悲惨な大戦で尊い命が奪われ、終戦後もアメリカの直接軍事支配下に置かれ、憲法が全く適用されない「無憲法」下にあった。国民主権、平和主義、立憲主義を謳った日本国憲法を制定する帝国議会に沖縄代表を送ることすら許されなかったことを忘れてはならない。
  • 1972年5月15日に復帰が実現し、沖縄にも待望の憲法が適用された。しかし、同時に日米安保条約も適用され、沖縄は、憲法法体系よりも安保法体系が優先する「反憲法」下の日常を強いられている。不平等、不公平な日米地位協定の全面的、抜本的改正なしに、日本は主権国家、独立国家たり得ない。
  • 沖縄は復帰前も復帰後の今日でも「憲法番外地」であり、沖縄県民には、憲法前文に定める平和的生存権及び13条の幸福追求権、14条の法の下の平等も保障されず、県民は憲法上の諸権利を有する国民とすら扱われていない。憲法11条が侵すことのできない永久の権利として国民に与えた基本的人権も、十全に保障されていない。
  • 沖縄の戦後史と日米安保体制下の沖縄の現実を真剣に考えることこそが、憲法99条で憲法尊重擁護義務を負う者の責務である。
  • 時の政府権力が正式な憲法改正手続を経ることなく、解釈変更で実質的な憲法内容を変更することは、憲法96条違反である。国民が時の政府権力を縛るのが憲法である。憲法を遵守する義務は、時の政府権力の側にある。これが近代憲法における立憲主義の理念である。
  • 憲法公布70年の歴史上初めて、安倍内閣によって憲法が破壊されるのではないかとの危機感を強く抱いている。改憲という名の憲法破壊は平和の破壊であり、人間としての尊厳を有する個人の破壊である。いかなる意味においても憲法改悪には反対し、護憲の立場であることを表明する。
  • 2012年自民党日本国憲法改正草案について、憲法学者の樋口陽一・小林節両名誉教授は、憲法なき江戸時代への回帰だと批判し、近代法からの逸脱であり、前近代への回帰だとも指摘している。私もそのように思う。
  • いわゆる「押し付け憲法」論は、憲法制定過程を冷静かつ緻密に検証すれば、改憲の理由・根拠には全くなり得ない

●委員からの発言の概要(発言順)

根本  匠君(自民)

  • 重要なのは、「押し付け憲法」だから改正すべき、あるいは一言一句改正すべきではないという安易な二元論ではない。憲法が制定された70年前と現在では我が国が置かれた状況は異なることを踏まえ、今日における憲法の在り方をしっかり考えることである。
  • 鳩山一郎総理、岸信介総理などの先人の言葉を重く受け止め、三原則のような大きな柱は維持しつつも、今日の国情に即した憲法を目指す議論をしていきたい。
  • 現憲法に今日的な視点を取り入れるに当たり、次のような切り口を提示したい。まず、立法技術の観点。例えば憲法21条は集会、結社、言論の自由及び通信の秘密をまとめて規定しているが、国際人権規約のようにこれらを個別に規定する考え方もある。次に、憲法89条と私学助成金の関係など、条文上は明らかではないため、解釈で補っている事項について、憲法に明記する改正も考えられる。一方で、現在議論されている参議院の合区解消のように、現状を変えるために憲法改正を行うという切り口もある。
  • 別の論点として、現憲法の前文について、三原則は維持しつつ、より国民になじみ深くより我が国らしさを追求すべく、今の私たちの言葉を使い整理し直すことも一考に値する。
  • 日本の憲法は他国と比べて分量が少なく、二つの特徴がある。一つは、非常事態条項や政党条項など統治に必要な規範を憲法として定めておらず、権力統制力が弱いこと。もう一つは、憲法解釈や法律が大きな役割を果たしており、憲法の規律密度が低いこと。規定をどの程度つまびらかにし、どの程度権力への統制力を持たすべきかという点も議論すべきである。
  • 最後に、他国は問題が生じたときに憲法改正という手段も交えて対応してきたが、今後我が国が直面する課題にこれまでのように憲法解釈や法律の改廃で対応することに限界はないか、という視点も取り入れてはいかがか。

山尾 志桜里君(民進)

  • ルールを守る者だけが、ルールを変える資格を持つ。憲法改正を語るに当たっては、議員一人一人が、憲法を尊重し、擁護し、憲法の価値を国民生活に還元してきたかどうか振り返るべきである。
  • 個人の尊厳に奉仕する国家の責務を、個人たる国民の側から提示しているのが憲法の本質である。
  • 変わりゆく時代の変化に合わせた改憲論を否定しないが、その前に変わりゆく時代の中で起きている問題を解決するために、現行憲法の権利実践として成すべきことを成してきたのか。もっと国民個人一人一人のリアルな人生を想起しながら、憲法の役割を具体的に論ずべきである。
  • 憲法27条は、働くことを通じた個人の尊厳確保のために、国家による勤労権の保障を定めている。しかし現実は、子どもが保育園に入園できず勤労の権利を奪われている親が大勢いる。国家が憲法上の責務を果たせていないことにより、一人一人の母親・父親・子どもの人生にどれだけの負荷をかけているか、私たち議員はもっと自覚すべきである。
  • 憲法は思いのほか柔軟性があり、時代の変化に対応する余地を持つ輪ゴムのような性質を持つが、昨年成立した安保法制については、その輪ゴムは伸ばせる限界を超えて切れ、違憲であると言わざるを得ない。憲法9条という制限規範を守って個人の尊厳に奉仕するという国家の責務を放棄したのではないか。
  • 憲法審査会の議論を通じ、国民と対話をすることは非常に大切である。現行憲法を守れているのかという視点とともに、現行憲法のままでは遂行できない政策があるのであれば改正を検討する必要もある。その一つが、いわゆる憲法裁判所設置の問題である。安保法制に合憲のお墨付きを与えた内閣法制局に法律合憲性の事前審査を期待することができないとすれば、憲法裁判所という名称は別として、内閣法制局に代わり法律合憲性を事前に判断、あるいは、参考意見を付与する役割を、内閣から独立した機関、裁判所に果たしてもらう新たな枠組みを検討すべきではないか。また、この新制度が憲法改正なくして可能かどうかを検討すべきである。
  • 憲法を一文字も変えない安心感追求型の護憲論、憲法を一文字でも改正したい欲望先行型の改憲論もそろそろ卒業するときである。国民一人一人が尊厳ある人生を形作るために、リアリティのある憲法議論に尽力したい。

船田  元君(自民)

  • 昨年6月4日の参考人質疑において政局に絡めた議論が展開され、私の不首尾もあったが、結果として憲法審査会の議論が1年半にわたって停滞した。政局から離れた静かな環境での憲法議論を、全会派に求めたい。
  • 憲法は国民全体の利害や人生哲学、国の在り方などに及ぶ広範で奥深いものであるから、一般の法案審査と異なり、与野党の枠を超えて、少数会派にも平等な時間を配分し徹底的に話し合うことが望ましい。この原則に立ち返り、真摯に議論を続けていきたい。
  • 現行憲法はGHQ案がベースであるのは事実であろう。帝国議会で4ヶ月間議論を行い、文民条項等の複数の修正を行ったが、全体としてはGHQの統制下に置かれていたため、必ずしも国民の意思を反映したとは言い難く、「押し付け」というのは言い過ぎではない。しかし、だからといって、このような「出自」に着目した無効論にはくみしない。公布70年を経て、我が国の隅々まで定着していることをベースに憲法論議を進めるべきである。
  • 我が国の憲法は他国に比べて規律密度が粗いため、解釈や法令で補完する必要がある。しかし、現在の解釈の幅は限界に近づいており、本来は改憲で対応すべきことを法令改正で済ませている部分もある。憲法に対する国民の信頼が薄れつつある中、国会議員には勇気をもって改憲を発議する責務がある。
  • @環境権を始めとする新しい人権、A財政規律条項、B緊急事態条項は各党とも改正テーマとして共通して議論してきたものであり、議論を始めるふさわしい議題である。憲法規定と現状との間にかい離がある裁判官の報酬減額に係る79、80条や公金の支出制限に係る89条なども、改正の必要があろう。

大平 喜信君(共産)

  • 1年半前の6月4日、この場で3人の憲法学者に集団的自衛権行使容認の閣議決定と安保法制について質問した。集団的自衛権行使容認と安保法制を巡る安倍内閣の一連の行いは、憲法違反、立憲主義違反というのが参考人の共通の見解だった。
  • これを機に、国民の間で安保法制は違憲であり立憲主義に反するとの認識が広がり、立場を越えて安保法制反対の声が大きく広がった。しかし、安倍政権はこの安保法制を数の力で強行させた。
  •  同年6月11日の憲法審査会における自民党の高村委員の、「参考人の方が意見を言うのは自由だが、国民の安全と平和な暮らしを守るのは憲法学者ではなく我々政治家だ」との発言、「閣議決定によって内閣で意思を統一して国会に法案を提出して十分に審議し、そして法律ができればそれに従って政策を実行していく、これはプロセスとして正当だ」との発言は驚くべき発言で、立憲主義を全く理解していないものである。
  • 憲法をないがしろにする安倍政権によって作られたこの安保法制に基づき、安倍政権は一昨日、南スーダンPKOへの自衛隊派遣部隊に駆け付け警護などの任務を付与することを閣議決定した。南スーダンは内戦状態が続いており、派遣される自衛隊員が現地の人を殺害し、殺害される危険性が極めて重大になっている。  
  • 憲法公布から70年、二度と戦争はしない、争いごとは武力によって解決しないという9条の原則を踏みにじる自民党政権の策動と、9条を守れとの国民の戦いが幾度も繰り返されてきた。アメリカによる再軍備・自衛隊創設、日米安保の押し付け、海外への自衛隊出動などの度に国民の反対の声が上がり、海外で武力行使をさせない、海外の戦闘には参加しないとさせてきたのがこの70年である。  
  • しかし、安倍政権が今まさに、海外に自衛隊を派兵し、戦闘に加担させようとしていることは極めて重大である。憲法を踏みにじり続けていながら次は憲法そのものを変えたいなどと言うのは言語道断。憲法9条に基づく対話による平和外交を追求することこそが今政治がなすべきことであり、憲法改悪は全く必要ない。

太田 昭宏君(公明)

  • 重厚な論議、この1点をお願いしたい。北側委員の発言にあったように、第一に、国民にオープンに論議を進めること。第二に、少数意見に配慮し、発言の機会を確保すること。第三に、時の政局から1歩離れて、冷静な議論を積み重ねること。この3点を常にわきまえながら議論を進めてもらいたい。
  • 憲法調査会当時、憲法を論ずることは、国のかたちを論ずることである、というテーマの共有があった。そこで私は、国のかたちに加え、日本人とは何かを論ずべきことを指摘した。ヨーロッパから文明が流入した明治時代の日本においては、日本人とは何であったかは知識人に共通したテーマであり、内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心などが、日本人のかたち、日本人の哲学を世界に問いかけたのである。
  • 憲法調査会においては、21世紀の日本のかたちはどういうものであるかということをテーマに、5年間、実りある議論をした。21世紀の激動の中で、日本がどのように生きていけばよいのか、日本人の哲学はどうあるべきか、ということを踏まえた論議、国のかたちを論ずることを常に底流に置きながらの論議をお願いしたい。

辻元 清美君(民進)

  • 日本国憲法が果たしてきた役割について、戦前、女性は基本的人権が実質的に制限されてきた。しかし、戦後、憲法24条の下、個人の尊厳、両性の本質的平等が謳われ、女性が自由に発言し、活動することができるようになった。最近、世界や日本で女性の政治リーダーの活躍が注目されている。この審査会にも不十分であるが女性委員は4人おり、戦前とは大違いである。
  • 憲法9条は、非常に特殊なものと言われている。去年の安保法制の議論の際、安倍総理からは、日米安保条約改定の折にも戦争に巻き込まれる論があったが、巻き込まれていないではないかとの発言があった。しかし、日米安保条約があっても戦争に巻き込まれなかったのは、憲法9条で集団的自衛権の行使を制限してきたからである。集団的自衛権の行使が認められていれば、朝鮮戦争やベトナム戦争に参戦した可能性は否定できない。71年間日本が戦争で一人も殺されず、殺さなかったのは、憲法9条の歯止めがあったからである。
  • 安倍総理は「美しい国」と発言するが、言論の自由が制限され、女性の権利が制限され、300万人以上が亡くなった戦争に踏み込んだ戦前は、決して「美しい国」とは言えない。男女平等が実現し、一発も銃を撃たず、言論の自由も保障してきた戦後こそ、「美しい国」ではないか。
  • 制定過程について、「押し付け憲法」論議という敗戦コンプレックスや思考停止した不毛な憲法論議からの脱却が必要である。ニュートラルな憲法論議に各党が足並みを揃えることが非常に重要である。
  • 2000年の憲法調査会設置以来、世界各地の憲法調査を行ったが、憲法改正には三つの原則があった。一つ目は、国民が本当に憲法改正を望み、具体的に改正すべき点がある場合に憲法改正の議論をするということである。二つ目は、法律で対応できることは法律で対応するということである。三つ目は、国論を二分する論点は憲法改正になじまないということである。以上の点は、調査団参加者の共通認識であり、その趣旨は、政治の不安定化の回避であろう。
  • 憲法を丸ごと書きかえることは世界的にも非常に稀である。自分たちのイデオロギーでまとめた改憲案を国民に押し付けてはならない。それは、「押し付け憲法」ならぬ「押し付け憲法改正」である。
  • 改正のための改正」をしてはならない。安倍総理は、改憲案を国民に示すことは国会議員の責務と発言した。しかし、多数の国民が具体的に憲法のどこを改正してほしいと声をあげているのか、に耳を傾けるところから議論を始めることにより、「押し付け憲法改正」ではない「国民のための憲法改正」になるのではないか。

後藤田 正純君(自民)

  • まず、今までの70年の憲法は日本にとってなじんでいるし、普遍的な理念という点で素晴らしいものであるという総括をまず行い、委員で共有したい。当審査会としてこれを国民に発表すれば、これからの議論について国民に安心してもらえるのではないか。
  • その後に、我々で理想的な憲法を作っていく。国民主権や人権は理想に現実が追いついてきたが、平和主義は世界がまだついてこられていない理想的な普遍的な価値であると思う。こういうものも大事にしなければならない。そして、明らかに国内外の情勢の変化の中で現実に合ってこなかった点については、現実に合わせるものは合わせていく。これを共有し、国民に発信し、それから各論の議論を前に進めていただきたい。

小沢 鋭仁君(維新)

  • いわゆる「押し付け憲法論」を言っている党はなく、憲法調査会でもそのような報告を取りまとめている。制定過程に関しては、そのような合意があるということで進めてもらいたい。
  • 我々は「脱イデオロギー」の憲法改正論を主張しているが、戦後の憲法論議は「保守は改憲」、「革新は護憲」といったイデオロギー的立場で議論が行われてきた。そこから脱して、価値観から離れて、時代の変化に合わせて社会や国の仕組みを変えて行くためには、基本法たる憲法も変えなければならない部分があると我々は主張している。我々が考える改正は「教育の無償化」、「統治機構の改革」、「憲法裁判所の設置」であるが、そういった、立法事実、憲法事実に基づいた提案をして、審査会の議論を前に進めたい。
  • 憲法改正国民投票法の制定・改正は大きな成果であったが、憲法の勉強を続けてきて10数年である。世界が大きく変わる中で、時代の変化に合わせた憲法改正を行うことが国会議員の責務である。我が党は、独自に憲法の調査を行ったところ、個々具体的に我々が提案した憲法改正の三つのテーマは、賛成が反対を超えている。そういった個々の問題に入っていく議論を行っていただきたい。

宮崎 政久君(自民)

  • 日本国憲法が審議された第90回帝国議会を構成する衆議院議員には、沖縄県選挙区選出議員2名がいなかった。当時、沖縄、奄美及び小笠原は、住民の代表を議会に送ることができず、人口比率で言えば、我が国の1.1%以上という多くの国民が憲法の制定に参加できなかった。
  • 日本国憲法の「国民主権」には、「権力的な契機」と「正統性の契機」があると言われているが、そのいずれにおいても、日本国憲法の制定に全国民が参加できないままであったという事実はしっかり肝に銘ずるべきである。
  • 沖縄県民等が関与していないという制定の経緯をもってして、今の憲法が無効であると言うつもりは毛頭ないが、全国民が改めて、私たちの国柄はどうあるべきか、憲法という国の根本がどうあるべきか議論する機会は保障されるべきである。
  • 沖縄の声を国政に反映してほしい」と主張しているからこそ、憲法を一文字たりとも改正してはいけないというような形で議論が封殺されるようなことがあってはならないと考えている。
  • 主権者として目指すべき国家像や、主権者として抱くべき国家の根本法とは何であるのかについては、忌憚のない意見交換ができるようにすべきであり、決まりを定めたら金科玉条のように一文字たりとも譲ってはいけないという議論にならないようにすべきである。

武正 公一君(民進)

  • 足立委員の指摘は事実と異なる。まず、1年半の停滞は与党の事情によるものである。そして、去る10日に予定されていた審査会の延期については、TPP関連議案の本会議上程が委員長職権によるなど、極めて「波」が高い状況にあり、10日に審査会を開催した場合、TPP特委での採決の不当性や農水大臣の資質等について審査会で言及せざるを得ない状況であった。この度の再開に当たっては、静かな環境で議論を行うことが各党からの要請であったため、与党に何か知恵を出すことを求め、与党の申入れを受けて審査会の開催を1週間延期したものである。
  • これまで、憲法改正に関する安倍総理の数々の発言を受けて、憲法審査会の運営は揺れに揺れてきたところでもあり、政局から完全に切り離して運営することは困難であるとの認識は、これまでの幹事会で確認されている。昨年6月4日の参考人質疑において、安全保障関連法案と憲法との関係をあのタイミングで質問しないというのは無理なことである。足立委員には発言の訂正を求めたい。
  • 憲法裁判所については、民進党政策集において、「政治、行政に恣意的な憲法解釈をさせないために、憲法裁判所の設置検討など違憲審査機能の拡充を図る」旨が記載されている。
  • 200年以上前に制定されたアメリカ憲法は、公民権運動を経てそれが実現するまでに100年を要した。その意味では、制定後70年の現行憲法にはまだ生かし切れていない部分が多々あるのではないか、という観点からの議論の深掘りが必要である。
  • 「押し付け憲法論」については、本日の議論ではこれを肯定する意見はほとんどなかったが、これを強調しているのが安倍総理である。当審査会の総意としてこの点を確認し、各党においても確認してもらいたい。
  • 昨日の参議院憲法審査会において、自民党筆頭幹事が平成24年の自民党憲法改正草案を「バージョンアップしていく必要がある」旨発言した。その真意を伺いたい。

山下 貴司君(自民)

  • 憲法制定経緯について、無用かつ不毛なレッテル貼りにくみするつもりはないが、制定経過の事実に目を背けることは、国民の憲法論議に対して不誠実だと考える。
  • 「憲法制定の経過に関する小委員会報告書」は、「占領下においてこの憲法が制定されたことは明らかだが、全部が全部押し付けられ、強制されたと言い切ることができるかといえば、制定段階で日本国民の意思も部分的に折り込まれ、制定された憲法であるということも否定できない」とまとめており、こうした事実を踏まえて議論をしていく必要がある。制定経緯を正しく国民と共有することは、70年の歳月を経た憲法の改正の要否を考える上でも、無用なレッテル貼りを避ける意味でも、重要である。
  • 自民党草案が憲法97条を削除したことに批判の向きがあるが、レッテル貼りは避けるべきだとの観点から、同条の制定経緯について紹介したい。
  • 佐藤達夫元内閣法制局長官の記録によれば、元々マッカーサー草案の第3章の冒頭には二つの条文があったが、「積年ノ闘争ノ結果」や「時ト経験ノ坩堝」といった文言で、これでは日本の法文の体をなさないということで同条文を一条にまとめて現在の11条にした。総司令部もその案に同意したが、後になり、「実はあれはホイットニー民政局長自らのお筆先になる得意の文章で、削るのは具合が悪い。せめて尻尾の方の第10章あたりに復活させてもらえないか」と言い出した。そのため、第10章に、今の97条に当たる条文を入れることにしたということだ。
  • 佐藤元長官は、「あとで一番気になったのはこの条文を最高法規の章に入れたことで、どうせ復活するなら、マッカーサー草案のとおり3章の冒頭においた方がよかったのではないか」とも述べている。こうした経緯も踏まえて、どのように憲法を考えていくのかを議論すべきである。
  • 解釈変更に関しては、解釈にどのような限界があるのかをしっかり考えていくべきだ。その上で戦後70年を経た憲法について、例えば、国会が機能しない緊急事態にはどうするのか、新しい人権をどうするか、地方自治の規定は十分か、一票の格差に関する最高裁判例が事実上変遷する中でどう考えるべきか、といったことを考え、提示するのがこの審査会の役割である。

安藤  裕君(自民)

  • 現行憲法において、早急に改正しなくてはならないのは、2条である。
  • 皇室典範や天皇陛下の譲位について議論が始まっているが、皇室の在り方や譲位について、我々が日頃から熟考し、長い皇室の歴史を熟知しているかは疑問であり、国民的議論の対象にすることには違和感がある。
  • 最も問題であるのが「国会の議決」である。国会議員が自身の信条や価値観に基づいて発言すればするほど政治問題化するおそれがあり、国論を二分する議論に発展するおそれがある。結果的に皇室の政治利用につながっていくことにもなりかねない。
  • 皇室が長い間続いてきたのは、国の権威と権力が分離されていたからであり、結果的に国の統一が保たれ、現在の象徴天皇制につながっているのではないか。しかし、憲法2条では、日本の最高の権威が国権の最高機関である国会の下に置かれており、権威と権力が分離されていない。
  • 皇室典範は、旧憲法のように国会の議決を経ずに皇室に決めていただき、国民はこれに従うとする方が、権威と権力の分離が図られる。

細野 豪志君(民進)

  • 通常の委員会では政府に対して議員が質問することに限定されているが、憲法審査会では、各党間あるいは議員間で討議ができ、議論が深まる。心から歓迎したい。
  • 山下委員の発言について発言したい。私が自民党の憲法改正草案を拝見し、一番違和感を持ったのが97条の削除である。その趣旨について山下委員から説明があった。現行憲法に97条が入った経緯に関する私の調査によれば、後の内閣法制局長官である佐藤達夫氏が指摘しているとおり、同条は、ホイットニー民政局長の意向で挿入されたものであり、外すことができなかったという事実はあったかと思う。しかし、佐藤氏は「もはやこの条文は、時と経験のるつぼの中で第10章に立派に溶け込んでいると言って良さそうである」と総括している。97条について、憲法第10章にこの人権規定が入っていることにより憲法の最高法規性が実質的に根拠付けられていると説明することが、憲法学の通説である。なぜ、あえてひっくり返すのか。山下委員は「押し付け憲法論」にくみしないとのことであり、経緯について言及されるのは結構だが、憲法規定の現代的意味や70年培ってきた結果に基づいた条文解釈を行わないと、「押し付け憲法論」で議論していると言われても仕方ないと思う。
  • 私は、最高法規の章に人権規定が入っていることの現代的意味、歴史的意味は極めて重いと思う。自民党案がこれを削除するということには反対である。
  • 先日予算委員会で、安倍総理に97条について質問したところ、「憲法審査会でやってくれ」との答弁があった。その後若干答弁されたが、不十分であった。それを受けてこのようなやり取りがなされたことは、歓迎したい。
  • 憲法審査会に自民党の改憲草案を提起しない、というのが党の決定事項のようだが、一方でベースであることは否定していない。公明党の井上幹事長は、たたき台としないと発言しているが。撤回はしないけれども提案しないということはどういうことか。責任ある方に説明していただきたい。
  • 2005年の憲法提言以降、もう少し我々の考え方をまとめるべきだと思っている。積極的に様々な提起をしていきたい。

山下 貴司君(自民)

  • 日本国憲法を作る際の日本側の立役者であった佐藤達夫元内閣法制局長官自身が、「97条を復活させるならば3章の冒頭に置いておいた方がよかった」と言っている。そうした考えもあり得る。そうした考えについてレッテルを貼るのではなく、虚心坦懐に議論し合う、それがこの憲法審査会の場である。
  • 憲法解釈の変更については、佐藤達夫元長官が「内閣、内閣において憲法解釈を変更することは理論上当然」と国会で答弁している。

細野 豪志君(民進)

  • 山下委員は、最高法規の章に憲法97条の人権規定が入っているという歴史的意味、現代的意味を否定するのか。若しくは、経緯は経緯として、それ自体は肯定的に捉えるのか、意見を伺いたい。

山下 貴司君(自民)

  •  それを議論するのが憲法審査会であり、憲法審査会で議論することに大きな意義がある。この議論は、各論の部分で改めて行うべきである。

枝野 幸男君(民進)

  • 先程の憲法2条に関する発言については全く意見を異にするが、日本国憲法の重要な要素である象徴天皇制をどのように維持・継続していくのかは重要なテーマである。皇位継承についてのルールは、当審査会に与えられた権限である「日本国憲法に密接に関連する基本法制」そのものである。
  • 皇位継承に関し、政府では少数の恣意的に選ばれた有識者だけで議論されているが、国民代表である国会が議論しないことは考えられない。当審査会の最優先課題として議論すべきことは、皇位継承の問題であり、議論をする場を設けてもらいたい。

赤嶺 政賢君(共産)

  • 憲法制定過程における日本共産党の態度が話題に上った。政府案では、国民主権という表現は全く曖昧にされていた。日本共産党は、あの侵略戦争に反対し、徹底して民主主義のために戦った。戦後、憲法草案を政党として一番最初に世の中に問うたのが日本共産党である。その日本共産党の案の中には、「徹底した国民主権」という文言が入っていた。戦前の日本は間違っていたということを屈せずに戦い抜いてきた日本共産党の立場にも、歴史の現実として目を通していただきたい。
  • 当時、憲法採択に当たり反対の態度を表明した理由の一つは、天皇条項が主権在民と矛盾したものであり、戦後の日本では天皇制の廃止と徹底した民主主義の政治体制への前進が痛切に求められていたからである。当時の歴史的事情、世論があった。
  • もう一つは、共産党は、憲法9条の下でも、急迫不正の侵害から国を守る権利を持つことを明確にするよう提起した。もちろん常備軍を持って守るということではなく、自衛権があるということである。しかし、当時の吉田首相は、自衛権はないという立場を取っていた。これは国民主権と独立を危うくするものという立場を憲法制定過程のあの時代の中で取ったのである。その後、今綱領で明記しているが、憲法の前文・天皇制を含む全条項を守ることが日本の社会進歩にとって大変重要であり、それを守っていくことこそが憲法の議論の中で大切にされていくべきだと考えている。

足立 康史君(維新)

  • 山下委員と細野委員の憲法97条を巡る意見交換は、国会はこうあるべきという姿であり、素晴らしいものであった。野党が政府を追及するという国会の在り方は、国権の最高機関である国会の果たすべき役割のごく一部である。
  • 個人の見識の表明を続けるよりも、むしろ各党が党の意見をまとめて審査会に出席することが大変重要である。自民党は、憲法97条を改正論議のテーブルに乗せるのか否かをはっきりしていただきたい。
  • 山尾委員が言及した憲法裁判所について、民進党の意見かどうか伺いたい。また、辻元委員が民放のテレビ番組で、2005年の民主党の憲法提言について、当時流行だったから作ったが、今は関係ないと言った。その一方で、細野委員は、さらに次の何かをまとめていくと言ったが、それが党の見解ならば、いつまでにまとめるのかスケジュールを明確にしていただきたい。
  • 武正筆頭から発言の訂正を求められたが、訂正はしない。武正筆頭がTPPを背景として中止・延期を申し入れたと報道されていることのみ承知している。いずれにせよ、「波」が高いことをもってして憲法審査会のスケジュールが変わるようでは、政局の影響を受けていると言わざるを得ない。二度とないようにしていただきたい。

武正 公一君(民進)

  • 憲法裁判所については、党の政策集で「政治・行政に恣意的な憲法解釈をさせないために、憲法裁判所の設置・検討、違憲審査制度の拡充を図ります」とあり、冒頭に私の方から申し述べた。
  • 2005年の憲法提言の位置付けについては、民主党の2005年憲法提言、維新の党の選挙公約などを民進党としての憲法論議の土台とすることを民進党憲法調査会で確認していると先程申し述べた。

山田 賢司君(自民)

 
  • 憲法審査会の運営は、少数会派にも公平な発言の機会を与え、また政局から離れた冷静な議論ができ、素晴らしい。個別の法案の合憲・違憲に関する議論は各委員会で行われ、憲法審査会では憲法改正原案あるいは憲法改正手続に関する議論が行われることを望む。
  • 「押し付け憲法論」について、自由意思に基づく発言ができる状況下で憲法を制定することができたかという意味では、自由意思は無かったと思う。しかし、仮に押し付けられたものだとしても、それを理由に憲法を改正すべきと結論づけるべきではない。制定経緯に瑕疵があったとしても、今、実際に憲法を変える必要があるか、憲法にどのような問題があるか、について議論すべきである。
  • 「国民の声に耳を傾ける」との辻元委員の指摘は、そのとおりと思う。国民の声を踏まえた議論をすべきである。「憲法を変えるな」という声も「憲法を変えてほしい」という声もある。各委員がそれぞれ国民の声を持ち寄り、憲法がどうあるべきかを議論しなければならない。
  • 小沢委員や山尾委員の指摘のとおり、改憲派・護憲派と一括りにするのではなく、現状を踏まえ、憲法のどこを変えなければならいのか、憲法を変えなくても対処の仕方はあるのではないか、などという議論を行う必要がある。
  • 「国論を二分するような論点については、憲法改正をすべきではない」という指摘があったが、国論を二分してでも議論すべきものは議論すべきである。国会議員が発議をしても、最後に決めるのは国民である。国会議員が改正した方がいいと考えても、国民が改正すべきではないと考えれば、国民投票において否決される。他方、国民の過半数以上が憲法を改正したいと考える場合に国会が発議せず、選択の機会を与えないのは、国民主権に反するのではないか。
  • 憲法9条を変えようと主張すると、戦争をしようとしていると誤解を招くが、我々も9条1項の概念を変えるつもりはない。平和を守ることや国際紛争の解決の手段として武力行使をしないことは当然である。他方、自衛隊の存在は98%の国民が認めている。これを憲法に明記しなくていいのか。それとも、うやむやのままでいいのか。憲法に明記することこそ、立憲主義に資するのではないか。
  • 緊急事態条項、特に大災害時における選挙の問題について、国会議員の選挙は憲法事項である。大災害が起こっている場合でも選挙は延期せずに行わなければならないのか、平時に議論すべきである。緊急事態と言うと国民の権利制限が強調されるが、権力側に立つ者を縛るという立憲主義的な観点もあるのではないか。

佐藤 ゆかり君(自民)

  • 現在の憲法は国民の権利を十分に守りきれておらず、国民の豊かさを広げる土台としての憲法になっていない。
  • 日本国憲法は、規律密度が浅く、抽象的表現が多いのが特徴である。したがって、多々の事例において憲法解釈に依存してきた。しかし、憲法改正を考えるに当たっては、できるだけ迅速に時代の変化のスピードに追い付いていく決定を下すことができるような根拠としての憲法の在り方を考える必要がある。今後憲法改正を考えるときに、改正・加憲された条項については既存の判例がないため、新たな判例や憲法解釈の蓄積がされるまでは、合憲なのか違憲なのか釈然としない状態が一定期間生じるものと危惧される。そのため、憲法の定める規律密度をもう少し深めて、個別具体的なものまで制定可能性を視野に議論を進めるやり方が望ましい。
  • 時代環境の変化として、例えば社会保障については、憲法制定当時、少子高齢化は想定していなかった。そのため、国民皆年金になったとき賦課方式に変わったが、今は、支えきれない問題を認識している。したがって、財政規律も、将来世代の健全な財政に浴する権利を憲法で規定をする必要があるのではないか。
  • 経済成長も、大型の設備投資で大量生産という形から、技術革新によって成長経済を達するという経済路線に様変わりしてきている。その中で、知的財産権を保護し、知的財産に対する位置付けをもう少し格上げしてもよいのではないか。
  • プライバシー権について、ネットでの誹謗中傷は凄まじいものがある。憲法制定時には図書館等に行き検索をしない限り過去の新聞記事は出てこなかった。しかし、現在はネットで過去の記事まで出てきてしまうため、誹謗中傷を一度書かれれば、生涯ネットでそれを背負わなければならない被害まで生じ得る事態になっている。
  • プライバシー権、人格権等をいかに保護していくか、憲法審査会で抽象論ではなく個別具体的に議論すべきアジェンダが生まれてきている。安保法制の議論だけに憲法改正の可否が止まることなく、国民の権利と豊かさを高めるために憲法改正が必要であるという視点に立脚して議論を進めて行くべきである。