福岡地方公聴会 意見陳述者意見概要

「日本国憲法について(21世紀の日本と憲法)」

西座 聖樹 

日本国憲法は、国民の生命及び財産を守る為時代背景を鑑みた改憲が必要であると考えます。

特に第9条は、昨今の国際情勢の中、早急に解決すべく問題であります。

第9条においては、護憲・改憲で意見は分かれますが、護憲論者は憲法がそれを禁じていると言うだけの反論であり、日本国の平和維持にはほど遠く感じます。

改憲論者も同じく、自衛隊の存在を理由に認めろというのは、いささか疑問であり、国民の理解を得るまでには至らないと思います。

 非武装中立論は、その時代の中で国を守る一つのアイテムだったと思いますが、今や時代は大きく流れ、日本の立場も国際的に変化した今、改憲の時期に来ているはずです。

この国を守る改憲論で言うと、国民の平和維持をするためにはその裏付けとなる軍事力が必要であります。

隣国の脅威が現実と化した今、はたして自衛隊で国民を守ることが出来るのかは疑問であり、現憲法でのあやふやな解釈をするのではなく、この国を守る防衛軍として改めるべきであると考えます。

衆議院憲法調査会おかれましては、国民の意思を反映した(現憲法を国民の意思が反映されていない)改憲を望みます。


「日本国憲法について(21世紀の日本と憲法)」の意見の概要

林    力

私は、戦前戦中の天皇制絶対主義の教育を受けた。個の自由はなかった。一年有余は帝国陸軍の兵士であった。敗戦、「生命ありき」「国破れ山河あり」の感無量であった。平和・民主主義・基本的人権をうたった憲法に心躍った。だが、人々は焼土の中で食べることに必死であり、無我夢中で働いた。政府が「戦後は終わった」と言ったとき、青春期は終わっていた。そんな世代だ。戦争を憎み、平和への希望は身に染みている。

戦争で身近な人を失い、いつも腹を減らした子ども達の前に立ったのは1946年以来。小、高、大学の教壇にいた。子ども若者も変わった。

豊さの中の矛盾、目の輝きは失われた。一部には人権を自分勝手と取り違えた者もいる。だが、安易に憲法などを変えて理念のない現実主義に堕すことを恐れる。大方の若者の現実はこの国の未来が見えにくくなった証しである。夢をもたせたい。政治は国民の期待を裏切らないで欲しい。

1956年以来、部落差別をはじめ一切の差別をなくす人権、同和教育に関りつづけ、多くを学んできた。2002年3月、同和対策事業の「法切れ」をもって同和問題そのものが終わったという認識は明らかに誤りである。憲法第14条が、まさに部落差別である「社会的身分又は門地」による差別を否定して半世紀を経たが、差別の現実は多方面多岐にわたっている。特にインターネットを媒体とした差別表現は深刻である。

私の父はハンセン病患者として収容され、終生を隔離政策のなかですごした。2001年5月、熊本地方裁判所の判決確定ですべてが終わったのではない。ふるさとに帰れない、ふるさとを持たない人が大多数である。 なぜこの政策が90年という長きにわたったのか。父の収容された27年も大半は民主憲法のもとでの出来ごとであった。深い反省と検証が求められる。将来の中央人権委員会は公権力の人権侵害にも有効なものであって欲しい。