平成15年2月13日(木) 基本的人権の保障に関する調査小委員会(第1回)

◎会議に付した案件

 基本的人権の保障に関する件 (教育を受ける権利)

 上記の件について参考人鳥居泰彦君及び岡村遼司君から意見を聴取した後、質疑を行った。その後、委員間で自由討議を行った。

(参考人)

 慶應義塾学事顧問
  日本私立学校共済・振興事業団理事長 鳥居 泰彦君

 早稲田大学教授           岡村 遼司君

(鳥居泰彦参考人及び岡村遼司参考人に対する質疑者)

 倉田 雅年君(自民)

 水島 広子君(民主)

 太田 昭宏君(公明)

 武山 百合子君(自由)

 春名 直章君(共産)

 山内 惠子君(社民)

 井上 喜一君(保守新党)

 野田 聖子君(自民)

 今野 東君(民主)

 長勢 甚遠君(自民)


◎鳥居泰彦参考人の意見陳述の要点

1.教育を受ける権利について

  • Educationを森有礼は「教育」と訳したが、福澤諭吉は「能力を開発する」というニュアンスを含むべきという認識を持っていた。この「能力を開発する」という側面は、これからの日本の教育を考える上で重要だと思う。
  • 教育の内容には、以下の四つがある。これらの「教育」を誰がやるのかといえば、それは家庭、学校、地域社会(コミュニティ)などである。

    (1)「人間形成」 人間形成の内容である「美しい文字美しい言葉」「習慣、社会規範、信仰、感謝」「体力、身体能力、運動神経」「精神力、忍耐力、被統率・統率、作戦力」などは、教育においてはじめて実現されるものである。

    (2)「基礎知識、専門知識」 知識(〈概念軸〉〈時間軸〉〈空間軸〉も、自分がどう考え、どこに位置し、どう生きるかの考察に当たって重要である。)も教育において実現されるものである。

    (3)「学習・学習の方法・学習の支援」 これらも、教育の内容として重要なものである。憲法上明記されていないが、法解釈として26条に含まれているとされている。

    (4)「成長の支援、人生設計の支援」 教育の内容として重要なものであるが、日本の法律ではそのことが明記されていない。

2.旧憲法下における教育を受ける権利について

  • 旧憲法においては第2章の「臣民権利義務」には教育を受ける権利は規定されていなかったが、教育が軽視されていたわけではなく、国民の三大義務のひとつとして位置付けられていた。しかし、それは議会が関与する立法権の行使としてではなく、天皇の行政権の行使として小学校令その他の勅令を発する形式で行われた。

3.新憲法下の教育権について

  • 新憲法において、教育権ははじめて憲法に(そして教育基本法に)位置付けられた。教育権が、人間が人間として生きるために必要不可欠な社会権としての権利であることは学説上ほぼ争いのないところである。
  • これに対して、教育権成立理由に関しては学説上対立がある。それは、(1)生存権説や経済的権利説と呼ばれる古典的な通説、(2)教育内容要求権説(主権者教育権説)、(3)学習権説、の対立である。

4.「能力に応じて」について

  • 26条の「能力に応じて」をめぐっても憲法学上・教育学上の学説がそれぞれあるが、「本人の適性」をどう法律上扱うかがこれからの重要な問題だと思う。

5.諸外国における教育権と学習権について

  • イギリスのサッチャー改革における1980年教育法、フランスの1989年のジョスパン法、1997年の韓国教育基本法、いずれも、「教育を受ける権利を有し、生涯にわたり学習する権利を有する」と明記しているが、これは重要な点である。

◎岡村遼司参考人の意見陳述の要点

はじめに

  • 大学で30数年間にわたって学生に講義してきた経験から、どのような教育を受けてきたかが個人に与える影響が大きいことを実感している。
  • 教育基本法に問題があることは確かであるが、拙速に改正するよりも、同法のどのような理念が達成され、どのような理念が達成されなかったのかを明確にすることの方が重要である。
  • 人権の根拠を「自然法」に求める考えや、人権の基礎付けとして「道徳性」を求める考えは妥当でない。権利は、それにふさわしい価値を獲得することによって初めて生まれるものであり、義務を伴ったものであり、かつ、万人に認められ得るものであるという考えが妥当である。

1.拡大・深化する人権の輪

  • 人権は、自由権から社会権へ、そして「新しい人権」へというように、「人権の層」が蓄積されるような状態で広がりを見せてきた。
  • 「国家」的人権から「社会」的人権へという枠組みで人権を考えるべきである。

2.基本的人権の地位―「教育を受ける権利」を一例として―

(1)憲法26条「教育を受ける権利」の課題は何であったか
  • 教育基本法は、憲法26条を根拠として、憲法の要請に基づく形で自前で制定された。
  • 「教育を受ける機会の均等」と「結果の不平等」の問題は、今なお実践面の課題として残されている。
(2)基本的人権としての「ひとしく教育を受ける権利」の二つの課題
  • 憲法26条の、「教育を『受ける』権利」という受動的な規定の仕方は、権利行使に消極的影響を与える疑いがある。「教育を『営む』権利」という趣旨でとらえ直したい。
  • 「平等の教育」を与えるという趣旨からは、「ひとしく教育を受ける権利」よりも「ひとしい教育を受ける権利」という文言の方が望ましいという考え方もある。

3.基本的人権の意味―なぜ人権を擁護するのか―

  • 全員の目的や利害が完全には一致しない以上、あらゆる個々人が平等に尊重されるには、権利侵害や法の施行の不公正等から公的に保護される必要がある。また、人権の尊重とは、個人の生活を人間としてふさわしいものにするあらゆる活動を尊重することである。
  • 個々人が等しく尊重されることがあるなら、それは人権という価値を獲得することによってであろう。

おわりに

  • 個人的には、教育基本法の改正に絶対反対という姿勢はとらない。
  • 憲法を前提として教育基本法が制定されている以上、教育基本法のみの改正は、その性格をいびつなものとしてしまう。
  • 教育基本法の前文は、その結論であり、本質である。

◎鳥居泰彦参考人及び岡村遼司参考人に対する質疑者及び主な質疑事項等

倉田 雅年君(自民)

<両参考人に対して>

  • 教育勅語は教育基本法制定後1年あまり放置されていたが、私は、教育基本法は教育勅語に足りない理念を補うものではなく、教育基本法の制定によって教育勅語は廃止が予定されていたと認識しているが、いかがか。

<岡村参考人に対して>

  • 教育基本法の起草者であった田中耕太郎は、1961年に出版された『教育基本法の理論』の中で、教育基本法が掲げた価値や徳目以外になお漏れているものがあるのではないかと述べているが、これについて、どのような認識をされているのか。


水島 広子君(民主)

<両参考人に対して>

  • 不登校児童・生徒の問題について、こうした児童・生徒の教育を受ける権利をどのように捉えているか。
  • 私は、日本人のモラルの低下は、他者の権利の軽視に原因があると思う。他者の権利を尊重する教育も行われてこなかった。モラルの高い人間を育てるためには、他者の権利を尊重する教育(人間の多様性を理解できる教育や現場感覚のある人権教育)が必要と思うが、どのように考えるか。


太田 昭宏君(公明)

<両参考人に対して>

  • 26条については、その権利性を積極的に打ち出すような表現があってもよいと思うが、いかがか。
  • 「教育基本法は不必要であり、教育の方針については、内閣が施政方針等の中で明示する等でよい」という意見もあるが、これに対する見解を伺いたい。
  • 私は、教育基本法は準憲法的なものであり、その改正は慎重に検討すべきであると考える。その検討の際には、子どもたちの自己実現を社会がサポートするというような視点が必要ではないか。


武山 百合子君(自由)

<岡村参考人に対して>

  • (a)1956年当時、鳩山一郎首相が憲法改正を待たずに教育基本法を改正しようとした時代背景について、また、(b)1961年に、田中耕太郎が著作の中で、教育への国家の介入を許すべきでないとしていることの真意について、伺いたい。

<鳥居参考人に対して>

  • 参考人が教育の内容として挙げた4項目は、そのとおりであると思うが、これらが教育から欠けてしまった原因は何であると考えているか。
  • 少子化や女性の社会進出が進む中、誰が家庭で教育をするのかという問題が生じている。これについてどのように考えるか。


春名 直章君(共産)

<鳥居参考人に対して>

  • 中央教育審議会の中間報告にある「たくましい日本人の育成」とは、どういう経緯から出てきたのか、また、教育基本法の改正の必然性は、どこにあるのか。

<岡村参考人に対して>

  • 参考人は、教育基本法の性格をいびつなものに変えてしまうような改正はすべきでないとしているが、現在の教育基本法に対する改正論議をどのように見ているか。


山内 惠子君(社民)

<鳥居参考人に対して>

  • 首相の私的諮問機関にすぎない教育改革国民会議の教育基本法改正の要請を、公的機関である中央教育審議会が引き継いだことについては問題がある。中央教育審議会と政府(時の権力)との緊張関係をどのように考えているのか。

<岡村参考人に対して>

  • 現行の教育基本法は、教育に関わるさまざまな問題を是正する根拠となりうるのではないか。また、公教育と教育基本法との関係について、どのように考えるか。


井上 喜一君(保守新党)

<鳥居参考人に対して>

  • 中央教育審議会が、教育基本法に盛り込むことが必要であるとした「国民から信頼される学校教育の確立」等の六つの理念に加えて、参考人が、個人的に、検討すべき事項として考えているものがあれば、教えていただきたい。

<岡村参考人に対して>

  • 参考人は、憲法と切り離した教育基本法の拙速な改正には反対であるとしながらも、同法には変えなければならない諸点があるとしているが、具体的には、どのような点を変えるべきと考えるのか。

<両参考人に対して>

  • 誰しも興味のない学科はあると思うが、それをなぜ強制しなければならないのか。


野田 聖子君(自民)

<両参考人に対して>

  • 子どもの有する「教育を受ける権利」は、それに対応する国等による義務が果たされることによって満たされる。義務教育課程において障害者が普通学校に通おうとした場合に、教育委員会等により養護学校等への入学を勧められることにより、本人の意思に反して普通学校への就学が拒否されてしまう場合があるが、このような場合には、26条2項の義務は果たされていないのではないか。


今野 東君(民主)

<両参考人に対して>

  • 教育に関わる問題の一つとして青少年犯罪の増加が取り上げられているが、それは日本だけではなく先進国に共通した問題であり、しかも、その発生件数は他の先進諸国に比べるとまだまだ少ない。まず、この背景にある要因を考えることが必要ではないか。

<鳥居参考人に対して>

  • 中央教育審議会の中間報告において、教育基本法の見直しの視点として、「『公共』に主体的に参画する意識や態度の涵養」や「日本人のアイデンティティ、国際性」などが挙げられているが、公共に対する意識や態度の涵養は、家族や地域社会で形成されるものであり、教育行政が教育の根拠として明文化するものではないのではないか。ましてや、それが個人のアイデンティティに踏み込んだとき、自我形成の自由を歪曲するのではないか。
  • 中央教育審議会の中間報告において、教育基本法見直しの視点として、一人一人の個性に応じてその能力を最大限に伸ばす視点が挙げられているが、このようなことが実現していない原因は結果平等を標榜してきた文部科学省にあると考えられ、これを教育基本法改正の根拠とするのは、本末転倒ではないか。


長勢 甚遠君(自民)

<両参考人に対して>

  • 家庭崩壊や学級崩壊、青少年犯罪等に見られるモラルの低下等が生じ、その一方で、個性を伸ばす教育やゆとり教育等「教育を受ける権利」を拡大する方向での議論がなされているが、この二つがうまくつながらず、齟齬を生じているように思う。「教育を受ける権利」を拡大するという方向性は、憲法に照らして、どのように考えればよいか。

◎自由討議における委員の発言の概要(発言順)

平林鴻三君(自民)

  • 憲法や教育基本法の制定経緯を念頭において、今後の教育制度の改革を行っていくことは重要である。
  • 近年は教育者として尊敬されている人がいるという話は聞かなくなった。中央教育審議会の中間報告で教員の資質向上を謳っているが、人材の育成という課題については議論を深めていかねばならない。
  • 中央教育審議会の中間報告では道徳について述べているが、教員が高い倫理観を持つことは重要である。「修身」のような教科を設けなくとも、教員自ら倫理観を持って、担当する教科を教えることによっても、子どもの成長によい影響があろう。


春名 直章君(共産)

  • 日本国憲法の前文で「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と定められており、憲法制定をもって教育勅語は失効したと認識している。しかし、憲法制定後も教育勅語の影響力が残っていたため、あえて失効の決議を国会で行ったのである。
  • 教育の荒廃に胸を痛めているが、今こそ憲法と教育基本法の理念を実践することが必要である。しかし、教育基本法と実際には多くの矛盾があり、「人格の完成をめざし」とありながら、受験勉強などの激しい競争が存在し、「教育の機会均等」を謳いながら、学費が払えず大学に通えない子どもがいる。また教育基本法10条に反し、教育内容に至るまで公権力が介入する事態がある。
  • 教育基本法の改正論議には、国家色の強い立場から、公教育に特定の人間観を持ち込むようなものがあるが、そのようなことでは問題の解決にはならない。


小林 憲司君(民主)

  • 教育勅語と教育基本法の違いは、勅語がspiritであったのに対し、教育基本法が法律となったことである。また、教育基本法に独立国家としての道徳や基準が盛り込まれたため、古い道徳となった教育勅語は、国会の議決により打ち消されるべきものとなったと考える。
  • 何がよいことか悪いことかを判断できる「教養」というものは大切であり、教育基本法に書き込むべきである。また、「伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心」も大切である。


山内 惠子君(社民)

  • 鳥居参考人の、少年犯罪や母親の役割に関する発言には、疑問を感じざるを得ないものもあった。
  • 児童の権利に関する条約など教育に関する条約を取り上げて、我々の人権を内実あるものにする場が中央教育審議会であり、またこの憲法調査会であると考える。
  • 子どもの問題の原因は教育基本法にあるとするのは筋違いであり、今の教育基本法の実施状況を検証していくことこそ重要なのではないか。


仙谷 由人会長代理

  • 教育問題における困難な状況の責めを教育基本法に帰する議論があるが、無軌道な競争原理、拝金主義、快楽の商品化といった大人の社会的病理こそが子どもの教育に影響を与えている部分もあるのではないか。
  • そのような問題の解決に資するという点でも、「大人が学ぶ社会」は望ましく、国、地方公共団体やNPO等が主体となって、学びたい時に学べる施設や条件を整備することが重要である。


水島 広子君(民主)

  • 子育てにおける親の責任は昔と今で単純に比較はできず、昔は親の役割を地域社会が補完していたのに対し、今は少子化や地域社会の希薄化のために、親は「密室」で子育てに取り組まなければならない。子育ての責任をすべて母親に負わせるのは現実を知らない意見である。
  • こうした時代背景があるため、地域や学校など親以外の大人が、細心の注意をどれだけ子どもに注いでやるかが重要であり、子どもの問題は大人の問題でもある。
  • 文化、伝統が大切であるという考えも尊重されるべきだが、本当に文化や伝統を子どもに教えている大人は、教育基本法の改正論議を冷ややかに見ているところもある。
  • 子どもによる集団でのいじめや凶悪犯罪の解決のカギは、まさに岡村参考人が述べた、子どもが自分の頭で考え意見を言い、それを他人が受容してやることである。


今野 東君(民主)

  • 教育基本法の改正が議論されているが、国民レベルではそのような議論は盛り上がりを見せてはいない。現場の教育者は、子どもを取り巻く「危機的状況」に頭を悩ましていることはあっても、それが教育基本法と結びつくものとは考えていないということが現実である。
  • 長期的に見れば教育基本法が改正されることもあろうが、その際には憲法と人権についての議論を踏まえた上でなければ大変危険である。


春名 直章君(共産)

  • 教育勅語はspiritであったという発言があったが、教育勅語は、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とあるように、天皇への忠誠にその精神が集約され、侵略戦争への道筋をつけたものであったために、その排除が改めて国会で確認されたのである。