平成15年5月8日(木) 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会(第4回)

◎会議に付した案件

最高法規としての憲法のあり方に関する件(明治憲法と日本国憲法−明治憲法の制定過程−)

上記の件について参考人坂野潤治君から意見を聴取した後、質疑を行った。

(参考人)

 東京大学名誉教授    坂野 潤治君

(坂野潤治参考人に対する質疑者)

 森岡 正宏君(自民)

 中野 寛成君(民主)

 遠藤 和良君(公明)

 藤島 正之君(自由)

 山口 富男君(共産)

 北川 れん子君(社民)

 井上 喜一君(保守新党)

 平林 鴻三君(自民)

 仙谷 由人君(民主)

 平井 卓也君(自民)


◎坂野潤治参考人の意見陳述の要点

はじめに

  • 明治憲法の制定に至る過程に関するこれまでの「普通の憲法成立史」は、明治7年の「民撰議院設立建白書」に始まる民権派の憲法史と明治14年の井上毅による憲法意見に端を発する体制派の憲法史とに分けられるが、これらの問題点として、私は、(a)この両者の関係が結び付けて考えられてこなかったこと、(b)これらの制定過程と実際の明治憲法の運用上の問題点とが結び付けて考えられてこなかったことが指摘できると考える。


1.明治憲法の諸特徴

  • 伊藤博文の『憲法義解』や美濃部達吉の『憲法講話』等の資料から明治憲法の解釈に関して読み取れることとして、以下の諸点等が挙げられる。

    (a)天皇の統治権について、1条と4条との間、また4条前段と後段との間で、その制限の有無に関して矛盾が見られるとの指摘に関して、解釈がさまざまに分かれていたこと。

    (b)天皇の立法権を定めたとされる5条及び37条には議会の「協賛」とあるが、明治憲法の英文テキストによれば、これは“consent”、すなわち「同意」の意味であり、基本的には議会に立法権があったと考えられること。

    (c)天皇の編制大権(12条)に関して、統帥権と同様に独立したものであるとの解釈から、政務上の大権であり内閣が輔弼すべき大権であるとの解釈まで、さまざまな解釈があったこと。

    (d)「国務大臣単独責任制」(55条)について、単独責任を定めたものであるとの解釈がある一方で、明治憲法制定の直後に制定された内閣官制などにかんがみると、全体責任制を定めたものであると解釈する余地があったこと。

  • 明治憲法がこのように多義的に解釈された原因として、次のような制定過程の事情があると考えられる。


2.明治憲法の3構想

  • 井上毅が実質的にその作成に当たった岩倉具視の「大綱領」(明治14年7月)を見ると、既に明治憲法の骨格ができあがっていたことが分かる。さらに、この「大綱領」は、福沢諭吉を中心とした交詢社の「私擬憲法案」(明治14年4月)を保守的な方向で手直ししたものと考えられる。しかし、その基礎となった憲法案が非常にリベラルな考え方を反映したものであったので、明治憲法は、結果として、さまざまな解釈がなされることとなった。
  • 明治憲法の制定過程において、重要な役割を演じたグループとして、この他に植木枝盛らを中心とし、内閣と民意を代表する政党とを峻別(「官・民分離論」)した自由党左派が挙げられる。


おわりに

  • 明治14年にリベラルな案を基礎にした明治憲法の原案はできあがっていたにもかかわらず、板垣退助は、多数党が政権を担うとの発想を持たず、自らは行政を担わずに伊藤博文にその役目を負わせるなどしたため、その後、議院内閣論が再興するまでに、33年余りを要した。
  • このため、明治憲法において例外的規定とも考えられた「統帥権の独立」について、リベラルな勢力が憲法解釈を再修正しその後の軍部の独走を抑制するだけの時間的余裕がなくなってしまったと考えられる。
  • 美濃部達吉は、明治憲法を「解釈改憲」することによってその運用をリベラルなものに変えていったが、統帥権の独立を認めていたため、結果として軍部の独走に対しては無力であった。
     

(注)詳細については、「近代日本の憲法と政治(明治憲法体制再考)」(千葉大学法経学部最終講義・平成15年1月21日)千葉大学法学論集18巻1号(坂野潤治先生退官記念号、平成15年6月刊行予定)所収、を御参照ください、とのご指示を坂野参考人から頂戴しております。


◎坂野潤治参考人に対する質疑者及び主な質疑事項等

森岡 正宏君(自民)

  • 明治憲法の構造的な仕組みと実際の運用には隔たりがあったように感ずる。明治憲法の問題は、その構造的な仕組みにあったのか、運用した人間にあったのか、率直な意見を伺いたい。
  • 明治憲法においては天皇に31条に規定する非常大権等の大きな権力が付与されていたこと等に対し、日本国憲法においては象徴天皇とされていることにかんがみると、両者の間にはあまりにも大きな振幅がありすぎるのではないかと思うが、このことについて参考人の意見を伺いたい。


中野 寛成君(民主)

  • 明治憲法の制定に携わった人々の意識は、封建制から天皇親政に移行させようとする意識が強かったのか、国際水準に達させようとする意識が強かったのか。そして、その後、明治憲法に携わった人々の意識はどのように変化していったのか。
  • 「元首」という文言は明治憲法に明記されていたが、元首という言葉は、日本においていつ頃生まれたものなのか。そして、明治憲法における「元首」という文言を他の文言に置き換えたとき、何か不都合は生ずるのか。


遠藤 和良君(公明)

  • 明治憲法の骨格や思想の源泉は、坂本龍馬の「船中八策」にあるとは考えられないか。
  • 明治憲法の制定過程は、まず憲法が公布された後に議会が開設されているという経緯をたどった。通常は、制憲議会などで議論が行われてから憲法が制定されるという順番だと思うが、順番が逆転していることについて意見を伺いたい。
  • 明治憲法下において軍部が独走したことについては、憲法自体に問題があったという見解と運用に問題があったという見解があるが、意見を伺いたい。


藤島 正之君(自由)

  • 我が国を昭和の戦争へと導いた背景としてあったものは、明治憲法が定める「統帥権の独立」というよりも、例えば日露戦争の勝利が国家や軍部に自信を与えたように、当時の国民の支持や国家の方向性だったのではないかと考えるが、いかがか。
  • 明治憲法は、「不磨の大典」として祭り上げられることとなったが、明治憲法制定に当たった人々は、制定当時、その憲法を、後世改正されることがないものと捉えていたのか、それとも改正されうるものと捉えていたのか。
  • 明治憲法における天皇の位置付けは、当時のイギリスの制度にならったものと言えるか。
  • 明治憲法の運用において、議会の果たす役割をもっと重視してもよかったのではないかと思うが、いかがか。


山口 富男君(共産)

  • 参考人は、「明治憲法は、井上毅と福沢諭吉の合作である」との意見を述べたが、そのような状況に到った政治的背景について伺いたい。
  • 伊藤博文は、明治憲法の矛盾に気付きながら、『憲法義解』の4条でわざわざ附記を設けて、欧州の立憲主義や君主制は受け入れられないと述べるなど神権主義的な解釈を行っている。また、美濃部達吉も同様に憲法の矛盾に気付きながら、それを棚上げにする解釈を行った。こうしたことはなぜ生じたと考えるか。
  • 明治憲法が定める「臣民の権利」に係る規定には、どのような特徴があるか。


北川 れん子君(社民)

  • 明治憲法は、少数の指導者による論争を経て制定されたものと考えるが、明治憲法体制下、国民は、こうして作られた憲法をどのように意識していたのか。
  • 明治憲法体制下における憲法と法律の乖離の状況、憲法と法律との関係及び憲法の運用実態について伺いたい。
  • 日本国憲法99条には、「憲法尊重擁護の義務」が定められているが、明治憲法ではそのような規定はなかった。当時の帝国議会議員を憲法の遵守という観点から見た場合、参考人はどのようなものを感じるか。

井上 喜一君(保守新党)

  • 憲法は、成文化されてしまうと時の経過とともに現実との間にぶれが生じる。それを補うのは解釈であり、憲法の場合、普通の法律以上に幅広い解釈が考えられる。この点について、参考人の意見を伺いたい。
  • 憲法改正において「総議員の3分の2」の賛成は得られないが、60パーセントの賛成は得られるような場合に、憲法解釈で埋められると考える。このような考えに対する、参考人の意見を伺いたい。

平林 鴻三君(自民)

  • 明治憲法は、国際的見地、例えば不平等条約改正等の問題からみて、どのようにつくられたものか。
  • 明治憲法においても、日本国憲法においても、国際関係からみた憲法史や政治史を研究しておく必要があると考えるが、参考人の意見を伺いたい。
  • 明治憲法体制は、枢密院、元老、貴族院、軍部等に権力や責任が分散・細分化している。そのため、本格的な政党内閣である原内閣ができたときは非常に苦労している。このような権力の分散が絶対的元首たる天皇の下にあることを明治憲法は最初から予定していたのか。

仙谷 由人君(民主)

  • 明治憲法に「内閣」の概念がないのはなぜか。また、明治憲法では、政治権力の正統性の根拠はどこに置かれていたのか。
  • 明治憲法55条には内閣総理大臣という文言もなく、単に「国務各大臣」とあるのみである。そして各国務大臣が各省大臣として各省の利益を代表するような状態では、政治権力の一体性も生まれてこなかったのではないか。また、このような中で、予算編成権を大蔵省が掌握し、半ば予算編成権の独立とも言うべき状態であったことについて、どのように考えているか伺いたい。

平井 卓也君(自民)

  • 明治憲法及び皇室典範を中心とした「明治典憲体制」は、基本的には、制定時のまま改正されることがなかったが、こうした「明治典憲体制の固さ」とは、どこに原因があったのか。また、現行の国会法、内閣法、公職選挙法等は、かつての議院法、内閣官制、衆議院議員選挙法等の延長線上に存在しているように考えられる。日本国憲法下においても、附属法やその運用を通じて明治憲法的なものが生きているとすると「明治典憲体制の固さ」とは、今なお崩壊していないとも考えられるが、いかがか。
  • 私は、現行の単年度予算主義の下では、弾力的な財政運営が困難であると考えており、そういった視点から、予算外支出や継続費等の財政制度に関する明治憲法の規定に関心を持っているが、明治憲法下での財政制度の問題点としては、どのようなことが挙げられるのか。