平成15年6月5日(木) 基本的人権の保障に関する調査小委員会(第4回)

◎会議に付した案件

 基本的人権の保障に関する件(基本的人権と公共の福祉−国家・共同体・家族・個人の関係の再構築の視点から−)

 上記の件について参考人小林正弥君から意見を聴取した後、質疑を行った。

(参考人)

  千葉大学法経学部助教授       小林 正弥君

(小林正弥参考人に対する質疑者)

  葉梨 信行君(自民)

  水島 広子君(民主)

  太田 昭宏君(公明)

  武山 百合子君(自由)

  春名 直章君(共産)

  北川 れん子君(社民)

  山谷 えり子君(保守新党)

  平林 鴻三君(自民)

  今野 東君(民主)

  野田 毅君(自民)


◎小林正弥参考人の意見陳述の要点

1.公共哲学

  • 公共哲学とは、(a)何らかの意味における公共性の実現を希求する学問、(b)一般公衆にも理解可能で広く共有され、実際に影響を与える哲学、である。
  • 「国家・共同体・家族・個人の関係の再構築」は、公共哲学における最大の主題の一つである。私は、この主題について、リベラリズムが主張してきた公私二元論に対し、個人と国家の間の中間集団(家族、コミュニティー、NGO・NPO等)及び「国境を越えた公共性」が今後重要な役割を果たすと考える公共哲学の観点から意見を陳述する。

2.コミュニタリアニズム(共同体主義)

  • アメリカにおけるリベラル―コミュニタリアニズム論争において、ロールズが『正義論』で「権利―正」を中核とする正義の二原理を提唱し、リベラリズムを隆盛に導いたのに対し、サンデルはコミュニタリアニズムの立場から、ロールズの理論を「遊離した自己」と批判し、自己は特定のコミュニティー・文化伝統の中で存在し、その中で自らのアイデンティティーや人格が形成されること及び公的領域で「善」に関わる価値判断を回避できないことを主張した。
  • 共産主義・社会主義の崩壊後に隆盛したリバタリアニズム(市場原理主義)や権利論中心の利己主義的な個人主義は、貧富の格差、市場の失敗、モラルの衰退、人間関係の希薄化などをもたらした。これに対し、コミュニタリアニズムは倫理性と共同性の必要性を主張し、その母体をコミュニティーに求めた。しかし、これは、伝統的な古い共同体に戻ることを主張する「社会的保守主義」とは異なるものであることに注意する必要がある。
  • コミュニタリアニズムは、既存の社会民主主義・福祉国家論に代わるものとして、クリントン政権、ブレア政権などに影響を与えた。
  • コミュニタリアニズムは、自由主義思想を極端に急進化させたリベラリズムに反対し、自由主義の伝統を踏まえつつも、共同性・倫理性を復興して思想的均衡を保とうとする思想である。

3.憲法と権利・責任

  • コミュニタリアニズムの主張は、責任や義務の観念の必要性は主張しても、その過度の法制化には反対する。この意味において、コミュニタリアニズムの主張は、法家に比して儒教に近いものがある。
  • リベラル−コミュニタリアニズム論争におけるコミュニタリアニズムの主張も、18世紀の自由主義的政治原理における自然権の観念に基づき国家権力の制限を基礎とする近代憲法を前提とする点は、リベラリズムと発想を共有するため、義務条項の付加といった憲法改正を主張しているわけではない。

4.日本国憲法の基本的人権と「公共の福祉」―コミュニタリアニズム的観点から

  • コミュニタリアニズム的公共哲学は、家族やコミュニティーの重要性を主張し、道徳の領域を基礎としつつ政治的浄化を唱える点で、道徳と政治の双方に関係する。これを発展させれば思想的・理論的には、理想的憲法典を構想する立憲論も可能であるが、そのためには全憲法構造にわたる全面的改革論が必要であり、現時点では時機尚早である。
  • 日本国憲法は、自由主義的に解釈されるのが通説だが、現行憲法の「公共の福祉」の概念やマッカーサー草案で明記されていた概念、また帝国議会の審議での「公共の福祉」に係る政府答弁といったものから、日本国憲法がコミュニタリアニズム的な要素を持っていることが分かる。
  • 憲法12条・13条等に規定された「公共の福祉」を道徳的・倫理的に解釈すると、日本国憲法は、コミュニタリアニズム的観点からはアメリカ憲法よりも優れたものということができる。
  • また、「公共の福祉」を「国家における福祉」のみならず各種中間団体における福祉にも適用することで、コミュニティーの再活性化という課題に対応する憲法解釈が可能になる。

5.公共哲学の憲法論への含意

  • コミュニタリアニズムの観点から日本国憲法の人権を論じる場合、アメリカにおけるコミュニタリアニズムが憲法改正を主張しておらず、また、日本国憲法が「公共の福祉」を明確に規定していることからも、直ちに憲法改正の必要性は導かれない。
  • しかも、コミュニタリアニズムの観点から日本国憲法の解釈を試みることは可能かつ有意義であり、これまでリベラリズム的解釈では軽視されていた責任や公共性などを現行憲法の(ほとんど死文化していた)文言そのものから導くことができる。また、公共哲学で重視されている公的幸福の追求、国家の相対性、地球的視座など新時代に要請される事項についても、日本国憲法の中に読み込むことができる。
  • 「国家・共同体・家族・個人の関係の再構築」のためには、憲法改正ではなく、憲法に内在する潜在的意義を最大限引き出し、これを具体化・活性化させることが重要である。

◎小林正弥参考人に対する質疑者及び主な質疑事項等

葉梨 信行君(自民)

  • 最近、新聞で「都市問題」に関する建築評論家や大阪市長等のコメントが取り上げられ、「まちづくり」に対するさまざまな評価がなされている。また、昨年の12月にも、国立マンション訴訟東京地裁判決において「景観を守ることは、土地所有権の内部に含まれる義務である」というような判断が下され、ドイツに類似した考え方が示された。私は、日本の憲法にも「美しい都市をつくる権利」を創設すべきと考えるが、いかがか。
  • 21世紀の日本の在り方として、憲法に「環境権」を明記することを提案する。

水島 広子君(民主)

  • コミュニタリアニズムとは、自分たちが暮らす社会をよりよくしていこうというような広い意味での幸福を追求するものと考えてよいか。
  • コミュニタリアニズムにおける「伝統」の位置付けをご教示いただきたい。また、その「伝統」とは、現在生きている人々を圧迫するものではなく、その社会で暮らしてきた人々が自発的に作り出したルールのようなものと考えてよいか。
  • 参考人は、「道徳」をどのように定義しているか。また、それは具体的なレベルではどのようなものか。そして、その「道徳」は、それを守っていれば大多数の個人が幸福になるようなものか、あるいは、ある人にとっては苦痛を伴うようなものなのか。
  • 私は選択的夫婦別姓制度を推進する立場だが、それは「道徳的ではない」という反論を受けることが多い。しかし、「道徳」とは、地域においてルールを守って生活していくというようなものであり、どのような姓を名乗るかとは別の問題だと思うが、参考人の意見を伺いたい。
  • 自分は、旧来の道徳を脱して、自分たちで新しいモラルをつくっていくという積極的に参加する形の道徳(モラル)に共感するが、参考人は、どのように考えるか。
  • コミュニタリアニズムは、国家から押しつけられる「公」ではなく、積極的な公共の精神を求めるものと考えるが、これを教育に応用するとどのような理解になるか、ご教示願いたい。
  • 参考人は、「社会的保守主義は価値の法制化を図ろうとするが、逆効果や歪んだ効果を招く」と指摘したが、「歪んだ効果」の具体例を挙げていただきたい。
  • 価値を法制化するのではなく、今できることの可能性を追求し、それを通じてモラルの向上を図ることが重要なのであり、そのために必要であれば具体的な措置に関する立法を行うという理解でよいか。

太田 昭宏君(公明)

  • 私は憲法改正論議に当たり、日本国憲法の底流には欧米の価値観があるが、その価値観を見直していくべきではないかという議論が主流となっていると考える。「国家・共同体・家族・個人の再構築」を考えるに当たり、仏教の輪廻転生のような考え方や、「自然との共生・人と人の間に人間は生きる」という和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』に示されるような人間観などの価値観は、直ちに憲法改正論議に結びつくものではなく、現行憲法の枠の中で成り立つ考え方といえるのではないか。
  • 私は、教育基本法の改正論議の中で議論されている「国を愛する心」と「郷土を愛する心(パトリ)」は、それぞれ異なるものと考えているが、参考人はどのように考えるか。
  • 20世紀の国家論において、「Nation」と「State」は一致して理解されてきたが、私は、21世紀においては「民族的」という意味での「Nation」と「国家的」という意味での「State」は分離してくると考えるが、参考人はどのように考えるか。
  • 私は、「公」と「個」という対立において、「個」として扱われなければならない「家族」や「個人」が「私」に成り下がっていることが現在の日本の問題であると考えるが、参考人は、その要因はどこにあると考えるか。
  • 家族という存在が崩れてきている今日、家族や共同体を再構築するために安易に国家の求心力が求められる傾向にあると考えるが、その代わりになる求心力はどのように作り上げていけばよいか。

武山 百合子君(自由)

  • 「個」と「公」については、現在、歴史的・文化的・倫理的に大きな変革期にある。今後、「個」と「公」を考えるに当たり、公共哲学はどのような機軸を提示するのか。
  • 日本は、アメリカのような多元国家とは異なり、歴史や文化といった共通の土壌を有していると思うが、いかがか。
  • 今日の日本においては、伝統や文化が失われたり、市民の迷惑を顧みない「まちづくり」がなされており、「公共の福祉」よりも、「市場経済」を優先しているように思われるが、参考人はどのようにすれば現状を変えられると考えるか、ご教示いただきたい。
  • ヨーロッパの「公共の福祉」と日本の「公共の福祉」は、具体的にどのように違うのか。

春名 直章君(共産)

  • 憲法学界が、これまで「公共の福祉」を人権間の調整原理として限定的に解釈してきた理由として、(a)明治憲法下では、法律の留保が存在したこと、(b)戦後も、国家による人権侵害が散見され、「公共の福祉」が国家の都合で解釈されてきたことの二点が考えられる。(b)の典型例として、有事法制において、「公共の福祉」論の悪用ともとれる人権の制限が企図されていることが挙げられるが、そのような現在の政治状況に対する参考人の認識を伺いたい。また、そのような状況を克服するためにコミュニタリアニズムの立場から考えられる回答は、どのようなものか。
  • 家庭崩壊等の社会問題を解決するために、憲法に家族を保護する規定を設けるべきであるとする主張があるが、そういった主張をする者が、実際には、長時間労働の解消等の家族生活を守るための政策の実現のための立法には無頓着であるという現状がある。また、そういった主張をする者には、戦前の「家」制度への回帰の意図があるように思える。コミュニタリアニズムは、こうした潮流とは相容れないものと考えるが、このような家族観に対する参考人の考えはどのようなものか。また、このような潮流に対抗する際にコミュニタリアニズムが用意する回答は、どのようなものか。
  • 参考人らが出したイラク戦争に対する非戦声明では、「前文の平和的生存権や9条の非戦の精神が地球的な平和公共哲学として世界に広がり、21世紀における命の平和文明の礎となることを念願する」と述べられているが、この部分について、詳しく説明していただきたい。

北川 れん子君(社民)

  • 参考人は、コミュニタリアニズムは社会的保守主義とは異なり「下から・民衆からの公共性の形成」の視点を有しているとするが、このような観点から見た場合の日本の現状に対する認識は、どのようなものか。
  • コミュニタリアニズムの立場は、個人対国家の二項対立ではなく、その間に中間集団として家族、共同体、NGO・NPO等を考えるとのことだが、それらの中間集団は、個人を保護するものとなるのか。
  • コミュニタリアニズムの立場からは、国家の解体までは主張していないとのことだが、ゆくゆくは、中間集団が国家と対等の地位になることを想定しているのか。また、そのような状況になった場合のコミュニタリアニズムが目指す理想的な憲法を、多くの国は、共有することができるのか。
  • 「道徳」と「法・憲法」との間には境界がなく、「道徳」が「法・憲法」に入り込むと理解してよいか。また、「道徳」が「法・憲法」に入り込むとする考えは、近代憲法の通説的理解とは異なるものと考えているのか。さらに、「道徳」が「法・憲法」に入り込むと考えた場合、伝統、特に「風土」が問題となってくると考えるが、この点についての参考人の考えを伺いたい。
  • 私は、憲法とは、市民から統治権力を有する者への命令と捉えるが、参考人は、そのような一方の視点のみから捉えられるものではなく、それと同時に市民から統治権力への政治参加の視点からも捉えることができるものと考えているのか。

山谷 えり子君(保守新党)

  • 現在の日本に必要なキーワードは「つながり」であると考えるが、憲法前文に「われらとわれらの子孫のために」とあるように、現在と将来の縦軸の「つながり」しか書かれておらず、現在と過去との「つながり」については言及がない。これは問題であると考えるが、このような考えについての参考人の見解を伺いたい。
  • 昨年のサッカーのワールドカップや北朝鮮拉致被害者の帰還においては、日本国民・共同体が熱くなった。これは、社会的保守主義の立場から言われる国家主義などではないと考えるが、これらの出来事に関する参考人の見解を伺いたい。
  • 参考人は、「『法』よりも『道徳』を主張する点で、コミュニタリアニズムは儒教に近いのである」と指摘するが、儒教は、そもそも道徳と考えられるのか、それとも宗教に極めて近い宗教的情操心に支えられたものと考えられるのか。また、米大統領ブッシュの一般教書演説中に「『我々を超えたもの』によって、アメリカは強く、品位高くいられるのである」との文言があるが、この「我々を超えたもの」とは、ある種の宗教的情操心であって、道徳を超えたもの、あるいはそれより深いものであり、このような欧米の宗教観を取り入れなければならないのではないかと考えるが、いかがか。
  • 参考人は、コミュニタリアニズムの観点から「日本国憲法は世界に冠たる理想的憲法」としたが、そのような見解は、法の前提となる倫理、宗教的情操心や道徳心が崩壊している日本においては、仮想的なものに過ぎず、あまり役に立たない意見であると考えるが、いかがか。

平林 鴻三君(自民)

  • 共同体に着目して「公共の福祉」を考えた場合、共同体のありようは多元的であることから、それぞれの共同体の利害を調整して収斂させていくためには、今日の政治の在り方とは異なる考え方が必要となるのではないか。
  • 政党政治の中では、政党は、共同体の主張を汲み上げ、また、「公共の福祉」の観点から調整を図っていくものと考えるが、コミュニタリアニズムの立場からは、政党政治の在り方としてどのような構想が描かれるのか。
  • 「公共の福祉」については、すべての政党が共通の基盤で考えるべきと思うが、現実には、「公共の福祉」の内容等については政党によって重点の置き方が異なっている。共同体に着目する考え方に立つ場合、「公共の福祉」への重点の置かれ方の違いはどうなるのか。また、その未来観はどうか。意見を伺いたい。

今野 東君(民主)

  • コミュニタリアニズムとは、過剰な個人主義・統制主義をともに排除するものと理解させていただいた。昨今、教育現場における学級崩壊等の問題は行き過ぎた個人主義に原因があるとして、愛国心などの教育が必要であるといった議論がなされているが、これは、過剰な個人主義と統制主義との間のバランスを模索している状態と考えるが、いかがか。
  • 教育政策においては、コミュニタリアニズムは、どのように活かされるべきと考えるか。
  • コミュニティとか公共性という言葉からは、国家による統制や介入を連想してしまう。私は、開かれた社会が構築されることを期待しており、そのためにも地球的規模の公共概念を構築することこそが重要であると考えるが、いかがか。

野田 毅君(自民)

  • 近代憲法の原点は、「国家」対「個」にあると考える。現行憲法は、戦前の反省から「個」に重点を置くこととなったが、その結果、国家による危機管理の概念が欠落してしまっている。この点について、参考人はどう考えるか。
  • 参考人は、コミュニタリアニズムの立場から「公」と「私」の利害の調整について「公共の福祉」による解決を主張しているが、その中身自体はどのように詰められるのか。また、「共同体意識」を醸成することだけで利害調整は可能なのか。「公」と「私」との対立ではない「民」と「民」との間の対立や「個」と「個」との間の対立等については、どのように調整するのか。
  • コミュニタリアニズムの考え方によれば、「国家」は相対化していくとのことであったが、中東問題などにかんがみれば、当分の間、地球社会から「国家」はなくならないと考えられる。憲法を再検討するに当たっては、この「国家」と「共同体」や「個」との間をどのように調整すべきかという視点が必要ではないか。
  • 「公共の福祉」を優先する立場からマスコミを規制すべきでないという考え方が存するが、私は、弱い立場にある「個」を強い立場にあるマスコミが人権を侵害するようなことまでも許すべきではないと考えるが、いかがか。