平成15年6月12日(木)(第8回)

◎会議に付した案件

日本国憲法に関する件

1.高松地方公聴会(平成15年6月9日開催)の派遣報告を聴取した。

  報告者 仙谷 由人君(民主)

2.統治機構小委員会及び基本的人権小委員会について、小委員会ごとに、小委員長から報告を聴取した後、自由討議を行った。

3.「安全保障と憲法」を中心として、今国会での議論を振り返っての自由討議を行った。


◎統治機構小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪財政(特に、会計検査制度と国会との関係(両院制を含む)を中心として)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

杉浦 正健小委員長

  • 複雑な社会経済情勢に迅速かつ適切に対処する必要性から、政策に対する需要が拡大する現代において、厳しい財政事情の下、国や自治体にはシビアな政策選択が迫られており、政策評価・財政システムの見直しが重要となっていることを改めて認識した。このような状況の下、政策判断に責任を負う国会議員の果たすべき責務の重さに思いを致すとともに、政策評価を支えるという観点から、国会の事務局の在り方についても検討する必要性を感じた。
  • 財政の問題は、まさに統治機構の在り方そのものに直接関わる問題であるが、今後ともさまざまな角度から、日本のあるべき姿を考えていきたい。


●自由討議

井上 喜一君(保守新党)

  • 行財政の評価・監査の問題を考えるに当たっては、(a)90条において会計検査院が内閣、国会のいずれからも独立の機関とされていること、(b)政府においても、説明責任を果たすとともに、今後の政策に反映するとの観点から、政策評価が行われていること等を踏まえるべきである。
  • 米国においては、予算の提出権は議会にあることから、議会の附属機関である会計検査院(GAO)が政策評価を行うことには必然性があると考える。
  • 国会による行政監視については、衆議院における決算行政監視委員会の設置、国会からの会計検査院に対する検査・報告要請制度の創設等、さまざまな制度の整備が行われているが、行政機関自身が行う行政評価の制度も含め、行政監視・評価に係る制度は歴史が浅く、その評価を下すのは早いと考える。今後、制度をどのように運用していくかが重要と考える。
  • 行政評価の重要性が高まっていることから、内閣に対して行政評価及びその結果の国会への報告を義務付けることを憲法に明記することを検討してもよいと考える。


島 聡君(民主)

  • 59条2項において、衆議院が法律案を再議決するための要件は、出席議員の3分の2以上とされているため、参議院が実質的に法律案について拒否権を持っていると言える。再議決要件について、検討する必要がある。
  • 参議院の位置付けにかんがみれば、会計検査院を参議院に置くことについては、憲法上、ぎりぎり可能ではないかと考えている。
  • 参議院に外交に関する権限を持たせることとした場合、61条との関係が問題となるが、条約の承認について、参議院を優越させることを検討してもよいのではないか。
  • 民主主義の下では財政は肥大化する傾向を持つものである。「財政均衡主義」を憲法に規定すべきであるとの主張もあることを踏まえ、財政の在り方について検討すべきである。


平井 卓也君(自民)

  • 86条において単年度予算制度が定められているが、財政民主主義、財政の透明性等の観点から、複数年度予算制度の導入等について検討すべきである。
  • 平成14年度から行政機関政策評価法による政策評価が実施されているが、評価の結果が、予算編成に反映される仕組みを構築すべきである。
  • この国の構造改革は、徹底した歳出改革からなされるべきであり、そのためには過去のシステムに縛られることなく、未来型の財政制度を考えていきたい。


仙谷 由人君(民主)

  • 現在の日本の行き詰まりの原因は、財政の観点から見れば、かなりの程度理解することができると考える。ただ、その議論の前提として、党派を超えて客観的事実についての共通の認識を持つためには、財政上の数値が重要であると考える。
  • 中央と地方の間、各省庁の間等における資源配分の問題は、予算、決算に現れること等から、国会が財政上の数値を調査し、確定する能力を備えることが必要である。また、そうした国会による調査を次の政策展開に反映させることは当然である。
  • 会計検査院の憲法上の位置付けは、ある意味でははっきりしていない。会計検査院については、その調査能力が、国会による政策評価や決算審査に活かされるよう、国会の下部機関として再編成すべきである。


斉藤 鉄夫君(公明)

  • 現在の膨大な財政赤字等について、国会が将来世代に対して責任を有しているという桜内参考人の指摘には、深く考えさせられた。国会のシステムの中に、将来世代に対する責任を果たすためのシステムをどのように組み込むかは、難しい問題であるが、国会が将来世代に対して責任を有するということを憲法上明らかにすべきであると考える。
  • 国会が将来世代の利益を代弁するため、参議院を特定の選挙区を持たない憲法上の独立機関にするとの提言についても、今後、十分に検討すべき課題であると考える。


杉浦 正健君(自民)

  • 国会の在り方については、抜本的な見直しが必要である。具体的には、議院事務局の在り方を見直すとともに、国会議員の立場で国政に目を光らせることが重要であるとの観点から、現在、形式的となっている本会議、委員会での議論の在り方を見直す必要がある。その際、本調査会における議員間の自由討議が極めて意義深いものであることから、他の委員会等においても、これを積極的に行うべきであると考える。

◎基本的人権小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪基本的人権と公共の福祉(国家・共同体・家族・個人の関係の再構築の視点から)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

大出 彰小委員長

  • 現在の日本では、「公」と「私」の対立において「私」が強調されすぎているために問題が生じていること、これに対してコミュニタリアニズムがどのような回答を用意しているか、そして、コミュニタリアニズムのいう「公」や「道徳」とは何かという点について、議論が行われた。
  • 特に、(a)「公」や「道徳」の内容を考えるに当たり、日本と欧米には宗教観の相違があることを見逃してはならないのではないかという点、(b)コミュニタリアニズムの教育問題や政党政治の在り方への応用という点、(c)「環境権」や「美しい都市をつくる権利」を憲法上規定するという点などについて、意見の表明がなされた。
  • 従来、日本国憲法は、主にリベラリズムの観点からの解釈が行われてきたが、「公共の福祉」の解釈や「家族」の位置付けを考えるに当たり、リベラリズム的な公私二元論を乗り越え、新たに公共哲学という学際的なアプローチが始められており、検討すべき事項は多いものの、今回、このような新しい視点が示されたことは、非常に有意義な議論であったと考える。


●自由討議

春名 直章君(共産)

  • かつての憲法学においては、「公共の福祉」は単なる人権制約原理として理解されていたが、環境権等「新しい人権」をめぐって争われた公共事業に対する公害訴訟において深められた議論により、「公共性」の今日的意義が積極的に理解されるようになった。このように、歴史的には、「公共性」の概念は新しい人権を獲得する運動と一体となって発展していったものということができる。
  • 小林参考人の指摘するように、今、「国家・共同体・家族・個人の再構築」のために求められているものは、憲法改正ではなく、憲法をコミュニタリアニズム的に解釈し、政治的・社会的改革を進め、現行憲法に内在する潜在的な意義を引き出し、それを具体化させることである。憲法の人権規定は、「新しい人権」に対応しうる懐の深いものであり、21世紀の日本を構想しうるものであって、その潜在的な力を引き出す立法作業こそ必要とされているものである。
  • 明治憲法下の「法律の留保」による人権制約及び現行憲法下でも相変わらず行われている人権侵害にかんがみれば、「公共の福祉」の力点は、過度の人権制約を防ぐことにあると考える。現在の日本の政治状況は、有事法制の成立に示されるように、国家が「公共の福祉」を「国家的公共」ととらえて悪用する状況にあるため、過度な人権制約を防ぐものとしての「公共の福祉」が、今日なおその重要性を有していることを確認すべきである。そうしてこそ、今までの政治的状況では展望することができなかった「公共性」の展望が開かれるものと考える。


島 聡君(民主)

  • イギリスのブレア首相は、就任当初「第三の道」を提唱し、コミュニティーの再生を訴えていたが、その「第三の道」に影響を与えたコミュニタリアニズムについては、私は当時から共感を覚え注目していた。
  • 憲法を英語で‘constitution’と言うことからも、憲法は「国のかたち」を表すものである。コミュニタリアニズムの視点から憲法を見た場合、我が国の憲法の人権規定には、環境権など今の時代に合わせた改正のほか、国の歴史・民族精神の発露・伝統等について明記する改正が必要であると考える。


北川 れん子君(社民)

  • 日本国憲法は、米国憲法以上にコミュニタリアニズムと一致する規定を相当含んでおり、世界に冠たる憲法であるから、憲法改正の必要性は存在しないとの小林参考人の発言は、特に印象に残り、力づけられた。しかし、コミュニタリアニズムが重視する伝統、共同体、徳などは曖昧な概念であり、これをそのまま日本に持ち込んだとき、危険なものになるであろうとのコミュニタリアニズムに対する指摘については、私も同感する。
  • コミュニタリアニズムの目指す「公共」とは、多様性を持った、国家の枠組みにとらわれない地球的なものであり、人々が自発的に形成していくものでありながらも、過度な権利行使を避け責任と義務を自らで制御できる空間なのではないか。例えば、それを個人に着目してとらえるならば自発的に政治参加をする「市民」であり、集団に着目してとらえるならば多種多様な「NPO・NGO」のようなものではないだろうか。
  • NPOやNGOなど「公共性」を体現する中間集団が広がることで、ライフスタイルの多様性が獲得でき、自発的自己決定権が確立されると考える。

◎「安全保障と憲法」を中心として今国会での議論を振り返っての自由討議(発言順)

●各会派一巡目の発言

平井 卓也君(自民)

  • 私は、明治憲法制定過程において、「海外各国の成法」という普遍的価値だけでなく、伝統、文化といった「建国の体」、すなわち「国柄」に注意を払ったことに着目する。基本的人権小委員会に招致した小林参考人から紹介があった「コミュニタリアニズム」といういわば「舶来の共同体主義」も、我が国古来の「醇風美俗」などと親和的であるよう議論を深めるべきである。
  • 今日の国際情勢を踏まえれば、「万が一」に備え、国民の生命・財産を守る体制の整備が政治の責任であり、これを守る組織として自衛隊を法的にきちんと位置付けることが求められている。また、自衛隊の海外派遣は、経済大国としての我が国の国際協力への期待に応えるものである。我が国の民主主義の成熟度の高さ、シビリアン・コントロールの確立、国民全体の平和への希求等を踏まえれば、国民はもっと自信を持つべきであり、その自信に裏打ちされた防衛体制の整備・国際協力は、近隣諸国にも理解されると考える。
  • 我が国は、日米同盟を堅持した上で自国の安全保障と北東アジア地域における平和と安全を確保するため、平和主義の考え方に立ちつつ、現実的に平和を確立すべきであり、そのためにも9条を改正すべきであると考える。


首藤 信彦君(民主)

  • イラクへの自衛隊派遣が議論されている中、実際に訪問してイラクの現状について分かったことは、(a)経済制裁解除が最大の援助であり、現在、大規模な民需・供給の流れができていること、(b)イラクはカンボジアのような破綻国家ではなく通常国家であったこと、(c)内戦・全面かつ長期戦争を経たのではなく、小規模かつ短期の戦争破壊を被っているだけであること、(d)これらを踏まえると、緊急援助の必要性は乏しく、むしろ、経済制裁による長期的な疲弊や貧富格差の是正が必要であること、(e)軍が必要とされるのは治安維持の分野だけであること、の5点である。
  • 自衛隊の派遣については、(a)自衛権や国連による要請といった憲法的根拠の存否に対する疑義、(b)国是である専守防衛との関係、(c)国連中心主義との関係、(d)戦争の根拠となる国連決議の欠如、(e)米国等による直接的占領行政に対する日本の加担、(f)制裁解除・復興の国連決議の内容(PKOの派遣根拠とならない)、(g)受入国の要請又は承諾の有無、(h)正当防衛のみならず威嚇のための武器使用が必要な場面も想定される中で、現実的な交戦規定の欠如等について疑義があり、派遣の根拠はないと考える。
  • 宗教や民族を基礎とする連邦制を構築するというイラク人の主張は、暫定統治機構により否定されているが、イラク人自身による復興がなされるべきであり、自国民による統治の実現に対し、我が国の貢献が求められていると考える。


遠藤 和良君(公明)

  • 私が参加した金沢市と高松市で開催された地方公聴会では、いずれの意見陳述者も、憲法と現実が乖離していることを認識していたが、憲法を改正すべきか、あるいは憲法の理想に合わせ現実を改革するのかについて意見が分かれていた。特に安全保障について、このことが顕著である。
  • 憲法は国連軍の創設を期待するものであるが、このような憲法の方向性と現実とをどのように埋めるのかが、今日の安全保障問題である。
  • 首相・閣僚の靖国神社参拝問題について、昨年12月に出された官房長官の私的懇談会である「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」の報告書は、「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要」としている。これは、憲法の期待する現実的対応の一つであって、憲法の平和主義を世界に伝えることになると考える。また、無宗教の施設であることから靖国神社とは異なる社会的意義を有し、両者は両立するものであると考える。憲法と現実との乖離を埋めるためにも、この報告書の提言を早急に実現すべきである。


藤島 正之君(自由)

  • 米英によるイラク攻撃は、国際法上の根拠が曖昧で、厳密には許されないものであり、攻撃の理由であった大量破壊兵器も発見されていない。国連中心主義と日米安保は必ずしも矛盾するものではなく、米国を支持する政府の判断は、我が国の安全保障がフランス・ドイツと異なり米国へ大きく依存していることや、北朝鮮問題への対応が米国なくして考えられないことを踏まえると、誤りであったとは言えない。しかし、政府は、国民への説明責任を果たすべきであったのにこれを行っておらず、民主主義国家として問題がある。
  • 安保理決議1483号は、イラク復興支援の根拠とはならない。自衛隊のイラクへの派遣は、国家権力の行使であることから、憲法との関係でその根拠を明確にすべきである。また、ニーズを調査し、可能な範囲で協力すべきである。
  • 自衛隊による国際協力は、明確な基準によるべきであり、したがって、憲法上に明文規定を設けるか、少なくともその枠組みを定めた恒久的な法律を制定すべきである。


春名 直章君(共産)

  • イラク戦争は、国連憲章、国際法に照らしてその正当性が改めて問われている。イラク戦争の理由である大量破壊兵器はいまだ発見されず、また、その存在を示すとされた情報にも疑いが持たれており、イラク戦争を支持した小泉政権の責任も厳しく問われるべきである。
  • 提出が検討されているイラク新法は、占領を行う米英軍の兵たん支援を内容とするが、イラク復興は国連中心に行われるべきあり、自衛隊による米英軍支援は、イラク国民の意思に反している。また、軍事占領行政への参加は、1980年の政府答弁に照らしても憲法違反である。
  • エビアン・サミットでもイラク戦争の追認は行われず、シラク仏大統領の演説や、中国・ロシア両首脳の共同声明でも、米国一国主義への批判がなされた。また、国連加盟国の多くがイラク戦争に反対であり、世界は米国の行動を容認していない。日本の米国追随は、国連憲章に基づく世界の平和構築の流れに逆行するものである。
  • 韓国の盧武鉉大統領は、訪日時の国会演説で、北東アジアの平和のために、朝鮮半島の体制の安定と北朝鮮の核問題の平和的解決に向けて日韓が協力すべきこと及び日本が北東アジアにおける平和をリードすべきことを訴えた。アジア諸国は、日本が非戦、専守防衛を堅持するかについて、不安をもって見ている。日本がアジアにおいてなすべきことは、米国に追随することではなく、国連憲章の理念を推し進めた憲法に沿って、平和と国際秩序を守り、その発展に全力を尽くすことである。


金子 哲夫君(社民)

  • 国連を無視した違法行為であるイラク攻撃について、これを正当化する根拠とされた大量破壊兵器がいまだ発見されていない現状にかんがみれば、イラク攻撃自体が誤りであったのであり、これを支持した小泉首相は、国民に対し、その根拠をどのように説明するつもりなのか。また、イラク攻撃による一般市民の犠牲者は湾岸戦争時のそれを上回ると考えられており、この犠牲者に対する償いをどのように考えているのか。
  • イラクの復興支援に当たって、政府内では、自衛隊を派遣し、武器・弾薬の輸送等の任務を行わせること等が検討されているようだが、自衛隊の派遣は占領軍への協力であり、また、治安が不安定な中での武器・弾薬の輸送は武力行使そのものととらえられることから、これらは、憲法上認められるものではない。
  • いかなる国家であれ、非人道兵器である核兵器を開発し、保有することは認められない。2000年のNPT再検討会議で合意された核廃絶の取決めを誠実に履行し、核の抑止論から脱却しない限り、核兵器拡散の危険は消えないと考える。また、北朝鮮の核保有問題については、憲法の示すところに従い平和的解決を図ることにより、北東アジアの安定に大きな貢献を果たすことができるのであって、力による解決は、むしろ、核廃絶の潮流に逆行するものであると考える。


井上 喜一君(保守新党)

  • 安全保障に関する一般論としての議論と現実問題への対応に係る議論とを通じて、憲法と現実との乖離を埋めるべきである。
  • 日本に安全保障上の危機が生じた場合、超法規的行為に訴えざるを得ない現状にかんがみれば、自衛権発動の枠組みに関する明文規定を憲法に設けるべきである。また、国際的な平和活動に対する参加に係る根拠規定を明文化すべきである。


●各会派一巡後の発言

中山 太郎会長

  • 自衛権、9条解釈、9条と現実との乖離等の安全保障問題については、集団的自衛権、地域的取極の締結等を認める国連憲章やサンフランシスコ平和条約の規定や国際社会の変化等を踏まえた上で、憲法との関係という観点から徹底的に憲法調査会で議論し、整理を行うべきであり、そのことによって、安全保障に関する憲法論議は分かりにくいとの国民の批判に応えるべきである。これについて、幹事会で御協議いただきたい。


大出 彰君(民主)

  • イラク攻撃については、9.11テロとの関係、大量破壊兵器の有無に関する情報の信憑性等を踏まえた上で、十分な検証が必要である。


今野 東君(民主)

  • 有事法制の整備は国民に対する義務であるとの発言があったが、国民に対する義務を果たすという点からすれば、まず、基本法を制定した上で、国民保護法制を整備すべきであったと考える。
  • イラクの復興支援について、政府内では、自衛隊を派遣して、武器・弾薬や兵士の輸送、大量破壊兵器の処理等を行わせることが検討されているが、武器・弾薬や兵士の輸送は、テロ対策特措法においても、「武力行使と一体化する」との理由から除外されたものであること、大量破壊兵器は、いまだ発見されていないこと等にかんがみれば、これは、自衛隊の役割をいたずらに拡大するものであると考える。イラクの復興支援は、「イラク国民の、イラク国民による、イラク国民のための」ものでなければならず、そのためには、国連が中心となって行うべきである。
  • 米英では、イラク攻撃を正当化する根拠とされた大量破壊兵器の有無に関する情報の信憑性について、政府の責任が問われている。日本政府も米英を支持したのであるから、国会においてその責任を問うべきであり、それをしないことは、憲法前文の精神や平和主義をなし崩しにすることを意味する。また、米英による攻撃の正当性やイラク復興支援への参加は憲法上どのようにとらえられるのかについて、憲法調査会に小泉首相を招致して、確認すべきである。


中山 正暉君(自民)

  • 日本の将来の在り方を考えるに当たっては、米国は世界戦略のために政策を転換することがあること、米国は将来的には中国との対立関係を想定していること等を踏まえるべきである。集団的自衛権を有しているが行使はできないといった現行憲法のままでは、日本が国連に加盟していること自体が憲法違反とも言え、国際情勢の流れから置き去りにされてしまうということを認識すべきである。

下地 幹郎君(自民)

  • 私は、4月29日から5月5日にかけてイラクを訪問してきたが、その際、フセイン政権がクルド人自治区において化学兵器を使用し、クルド人約10万人が犠牲になったという事実に接してきた。このようなフセイン政権による住民虐待の実態という側面からも、イラク問題を検証すべきである。
  • 化学兵器の犠牲になった患者の現状は被爆者と同様の状態であり、現地では、被爆者医療に実績のある我が国の医療チームの派遣を要請されたが、このような要請に対しては、積極的に応えていくべきと考える。


谷川 和穗君(自民)

  • 今後は、テロリズムに対しては、武力制裁ということも考慮に入れていかなければならないのではないか。
  • イラク問題についての仏独両国の武力行使をしないという態度決定は、政府の判断であって、憲法解釈によったものではなかったと思う。我が国では、明治憲法では11条、現行憲法では9条の解釈というのが大きな問題となってきた。安全保障の問題については、この点を徹底的に議論していくべきである。
  • 先ほど、中山会長から今後の憲法調査会における議論のテーマについて発言があったが、これは幹事会で決定したことであるのか、また、今後も現在と同じような方法で議論を続けていくのか伺いたい。

>中山 太郎会長

  • 「今後、幹事会において検討していきたい」という趣旨で申し上げた。


金子 哲夫君(社民)

  • イラク問題等については十分に議論をしてきており、これ以上安全保障の問題だけを取り上げて議論する必要があるだろうか。
  • 先ほどの下地委員の発言に関連して、イラクの復興支援については、我が国として何ができるかを真剣に考えるべきではないか。米軍が湾岸戦争及び今回のイラク攻撃で使用した劣化ウラン弾による一般市民の被害は深刻であり、ヒロシマ・ナガサキの体験からも、我が国には大きな期待が寄せられている。我が国は、イラクの現状を十分に調査した上で、こうした人道的側面での日本にしかできない具体的な支援を行うべきである。


中山 正暉君(自民)

  • 米国は、第二次世界大戦後は中ソの一体化を阻止するため、日本の経済力によって中国を強化する方向で動いてきたが、ソ連が崩壊してしまったため、今後は、我が国と中国とを天秤にかけていくのではないか。その場合、我が国が米国から見放される可能性も考えておかなければならない。
  • 北朝鮮の問題に関して、政府は、拉致された邦人の引渡しだけを求めているが、邦人拉致にも関わっていた「よど号事件」の犯人の引渡しについても要求していくべきである。


桑原 豊君(民主)

  • 憲法と現実との間の乖離がどうして起きてきたのかについて、私は、(a)我が国が東西冷戦下において米国に依拠し、また、冷戦終結後は日米安保の再定義により対象地域を極東からアジア全域に拡大するなど、「力」に対しては「力」で対処するという米国の戦略に組み込まれてきたこと、(b)憲法の掲げる「平和主義」を、字面ではなくどう現実化していくのかという戦略を欠いてきたことに原因があると考える。
  • 先日、韓国の盧武鉉大統領が訪日した際の国会演説で、北東アジア地域を対象とした平和協力機構の創設やアジア開発銀行の創設などの展望について表明したが、こうしたことは、本来、我が国の首相こそが語るべきではないのか。このような展望を持ってこそ、初めて憲法の「平和主義」は力を発揮し、現実との間の乖離を埋めることになるのではないか。


葉梨 信行君(自民)

  • 今国会の憲法調査会における議論の中で、(a)平和と武力との関係の在り方や平和の実現のための方途、(b)国とは何か、(c)家族の重要性などが、底流にある大きな課題であると感じられた。これらについて議論し、各党・各会派間でコンセンサスが得られるよう努力したい。


谷川 和穗君(自民)

  • 葉梨委員が指摘した点以外に、国柄を議論する際に重要となる「財政」、特に地方財政について、日本が中央集権的体制であり続けてきていることを踏まえた上で議論してくべきであると考える。


末松 義規君(民主)

  • イラクの現状を視察してきたが、現在検討されているイラク復興支援のための自衛隊派遣に関しては、(a)自衛隊は、反乱鎮圧、治安維持やローカルな政府の立上げなどが重要な任務となっている多国籍軍のメンバーとはなれないこと、(b)その一方で、受け入れる住民などの側からすれば、自衛隊は軍隊とみなされ、歓迎されない可能性が強いこと、(c)現地の治安がよいとは言えないこと、(d)派遣するとなれば、武器使用基準等の憲法上の問題が生ずることなど、さまざまな問題がある。
  • このような問題がある中で自衛隊の派遣を推進しようとする政府の姿勢の背景には、米国の戦略の影響下にある中で米国との関係を重要視したいとの思いがあると考えられ、その意味で、イラクへの自衛隊派遣は、政治問題であると言う方が正しいのではないか。
  • イラクの復興においては、今後、米国の影響下において、新政権の樹立や新憲法の制定等がなされることが考えられるが、私は、その際、イラク憲法に日本国憲法9条のような規定が盛り込まれるかといった点を含め、興味深いと感じている。
  • 素晴らしい理念を含む現行憲法の礎を築いてくれた米国には感謝する面もあるが、日本は、米国の評価のみを気にするのではなくその呪縛から自らを解き放ち、独立した気概を持って、外交や経済政策に当たっていくべきと考える。


金子 哲夫君(社民)

  • 今国会における安全保障以外の論点として、労働基本権に関連する3件の法律案が提出されたことや公務員制度改革論議において公務員の労働基本権が問題となったことに見られるように、労働基本権が挙げられる。
  • 今日の不況下で大量の失業者の発生や若年労働者のフリーター化等の問題が取りざたされている中で、27条に規定されている労働基本権、特に「働く権利」の実質的な保障がなされているかについては、これが日本の根幹に関わる重要な問題であるにもかかわらず、いまだ憲法調査会において十分な議論はなされてはいないと考える。
  • 労働基準法の基本的性質を変えかねないとも考えられる解雇権の明記といった同法の改正に係る問題や、公務員制度改革論議に関し、現在取り上げられている論点以外の論点やILO勧告等の国際条約の履行の現状等について、憲法との関連で議論していくことが、憲法調査会の役割として重要ではないかと考える。

水島 広子君(民主)

  • 安全保障を考える上では、「人間の安全保障」が重要であると考える。人間の幸せや健康という観点からは国民の生命や財産を守るだけでは安全保障は十分ではないことなどを踏まえた上で、「人間の安全保障」の考えを基本としつつ、日本が今後どう歩んでいくべきかについて、更に議論していくべきである。また、「人間の安全保障」を考える上では、従来の「心のバリア」を取り払うことが必要となると考える。
  • 憲法調査会には小委員会が設置されているが、小委員会のみで議論を完結させるのではなく、小委員会同士、あるいは総会の場で議論を更に発展させることが重要である。例えば、6月5日の基本的人権小委員会において、小林参考人は、国をコミュニティとしてとらえるのであれば、「押し付けられる公」ではなく一人一人が自発的に参加していくコミュニティが重要であり、価値観を押し付ける制度は歪んだ結果を招くと指摘した。このような指摘は、安全保障の分野においても応用できるものであって、国民が積極的に参加していくことのできる国家の枠組みを作る方向で議論していくべきである。
  • 安全保障において治安の維持といった側面が重要であることは、もちろん承知しているが、巷に武器が氾濫する米国の銃社会の弊害が問題視されているように、武器等が身近にあることは精神的に良くない影響を及ぼすことが知られている。このようなことも踏まえ、憲法調査会において、「人間の安全保障」の実現に向けた議論を行っていくべきである。


古川 元久君(民主)

  • 国民の政治不信の原因は、政策をまとめることができず、また、政策の有効な実行がなされないことにある。このことは、統治機構の在り方に係る問題であって、これを議論することは、地味であり細かい技術的な側面もあるが、安全保障や人権の実質化の観点からは、大変に重要である。国民主権とは自己統治を行うということであり、国民が自らの意思と行動によって自らをマネージメントしていくことのできる統治機構の在り方について、今後とも、精査して議論していくべきである。