札幌地方公聴会 意見陳述者意見概要

以下は、6月24日(月)に開催された札幌地方公聴会の意見陳述者の方から、意見陳述者選定に際し提出していただいた「意見の概要」です。

『21世紀の日本と憲法』

稲津 定俊

[I]結論・日本国憲法改正の必然

私は、日本の伝統文化の内発的自立性により形成された民意の結晶ともいうべき普遍的価値を基本理念とした新憲法を制定し、21世紀初頭の世界秩序維持に積極的に貢献する道義国家建設をなすべきと考える。
[II]21世紀初頭における世界秩序の構造

冷戦終焉の現在、世界秩序は新たに再編されたが、基本的に現状維持的な先進民主主義諸国の間の平和な国際関係と、第二次世界大戦後に植民地状態から脱却した開発途上の国々(その多くは、国内に経済的困窮や内紛の危険を抱え、現状に不満を抱いている)の相互間、及び途上国と先進諸国との間の、武力行使の可能性をはらんだ国際関係の二重構造が存在している。つまり一方での民族紛争頻発型の国際政治構造である。そして、途上国間の紛争や内紛を抑制する能力を保有しているのは、先進諸国以外にはない。
[III]日本の21世紀型「国益」概念と政治責任

冷戦終焉のなかで、我が国が先進工業国として世界秩序の維持・安定に積極的に貢献しなければ、日本経済の国際市場での安定的発展が見込めない国際政治構造が出現した。換言すると、海外で活動する日本企業が保護されるべき政治経済環境を主体的に構築しなければ、21世紀の日本の発展はないのである。何故なら、国連加盟国のなかでは、日本は自由と豊かさでは先進国中でもトップクラスであり少数派である。むしろ大多数の途上国と利害が一致することの方が少ないのである。
したがって、我が国の「国益」とは、相互補完的な日米同盟を基軸とした、国際政治経済環境の優位性を確保する世界秩序維持(政治的道義性の確立)に尽きると考える。このためには戦後の政治風土の虚構化を決定づけた日本国憲法の基本原理を再構築する時期にきている。この作業は改憲によりなされるべきであり、結果的に政治の内発的自立性の確立をもたらす。これは国内外の政治不信に対する日本の政治責任といえる。

以上。


日本国憲法について(21世紀の日本と憲法)

石塚 修 

私は農家で、法律の専門家ではありませんが、日本人としての素直な気持ちで見て、日本国憲法は非常によくできている憲法だと思います。価値基準や国家理念を見失っている現在にあってこそ、国民全体にとって必要不可欠な基本法だと思っています。

憲法の内容は、今の時代においても斬新な内容と言えます。戦争を永久に放棄し軍備を保持しないこと。主権は国民にあること。基本的人権は侵すことのできない永久の権利であること。個人を尊重すること。法の下に平等であること。信教、学問、集会の自由が保証されていること。通信の秘密は守られるとしていること。など、国としてあるべき姿が完璧なまでに折り込まれています。さらに前文では、日本のみならず世界各国が目指す姿が格調高く述べられています。

敢えて、憲法に付け加えることがあるとすれば、国家としての「自立」です。これまで日本は、戦勝国である米国に従属している関係に甘んじてきたわけですが、そろそろ、日本は日本として自立した生き方に進むべきです。これは独自の軍事力を持つということではなく、もっと政治的、経済的に米国から独立するということです。 特に基本的な食糧を米国に大きく依存している状態は異常です。

私は、これからの日本を足腰の強い国家にしていくために、「自給」という概念を憲法に入れたらどうかと思うのです。食糧自給に関しては農業基本法で述べられていますが、食糧に限らず、エネルギーの自給、資源の自給を確立していくことを明確にすることが、自国の自立につながるだけでなく、他国にも迷惑をかけないことにもつながります。

いずれにしても、私たち国民は、この憲法を今一度再確認し、日本を憲法で描いている姿に近付けるべく努力する義務があると思います。

以上です。

意見の概要

田中 宏

私は、まず、弁護士としてアイヌ民族の人権問題に取り組んできた視点から発言したい。

北海道には5万人余のアイヌ民族が居住していると言われ、彼らはヤマト民族とは全く異なる言語と文化を享有している。彼らに対し、日本国憲法が掲げる基本的人権の尊重、とりわけ民族による差別の禁止がどこまで徹底されているのか疑わしい。端的に言って、アイヌ民族に対する政策等は実際のところ零に等しいのであり、目に見えない差別は今なお続いている。日本国憲法第14条は、人種や民族による差別はあらゆる場面において禁止している。六法全書の中では平等が謳われていても、実生活の中では様々な場面で差別がまかり通っている。第1、現職の総理や閣僚などが「日本は単一民族国家」などと平気で発言し、そのたびに、アイヌ民族らから強い異議が出されて、発言者は訂正や陳謝を余儀なくされるという事態が続いてきたのである。

そういう意味で、日本国憲法の精神が未だこの国の隅々にまで及んでいないのであり、憲法改正を議論する前に、政治家にはもっとやるべきことがあるはずだ。

私がもう1つ訴えたいのは、日本国憲法第9条と有事法制の関係についてである。わが国は二度と再び戦争の惨禍を繰り返さないと世界に向かって宣言したのが憲法9条である。しかるに、有事法制が行われ、ひとたび政府が「武力攻撃事態」と認定すると、海外での武力行使も可能となり、地方自治体や公共機関、国民が強制的に戦争に動員されてしまう。これは、わが国が世界に向かって「戦争をする国」と宣言するものであり、断じて許されない。私は、北海道弁護士会連合会の理事長を務めているが、日弁連も、札幌をはじめ大多数の弁護士会も、有事三法案の違憲性を指摘し、その廃案を求めていることを指摘しておきたい。



意見の概要

佐藤 聖美

今国会に「人権擁護法案」が提出された。この法案は人権侵害の被害者を救済するために人権委員会を設置することなどを目的としている。人権の世紀といわれる21世紀に、このような新たな人権救済手続きを整備するのは、憲法で謳われている基本的人権の尊重を実現するという点で画期的なものだと思う。

しかし、この法案は、公権力による救済の対象に新聞などをはじめとするメディアを含めている事に大きな問題があると思う。

現在、私たちが知りたいと思う情報を手に入れるには、ほとんどの場合、マスコミを利用するほかない。また、マスコミが発信する情報によって、新たな関心事が生まれることも多い。

今までも、桶川のストーカー殺人事件でメディアが家族に取材を行った結果、埼玉県警の対応のミスが暴かれた。確かに、松本サリン事件のようにマスコミが容疑者扱いの報道を行い、人権を侵害された場合もある。しかし、その後、警察の見方に疑義を持って動きを牽制したのも、またマスコミである。

この法案によって、マスコミは特別救済の対象となる。その結果、私たちが本当に知りたいと思う情報をマスコミが取材することを萎縮する可能性がある。これは、マスコミの取材の自由、ひいては、表現の自由を侵害する事に繋がるのではないだろうか。

マスコミが取材できないということは、国民が本当に知りたいと思っている情報は手に入らない。これは、国民の知る権利を制限しているのと同じになってしまうのではないだろうか。

瀋陽領事館での出来事、外務省の裏金問題、国会議員の秘書給与疑惑など多くの組織的な腐敗や退廃が明らかになっている今、憲法で保障されている表現の自由について、もう一度、考え直してみる必要があると思う。21世紀の日本社会をよりよいものにしていくためにも、主権を持つ国民に、より多くの正確な情報を伝える道を妨げるべきではない。




「日本国憲法について(21世紀の日本と憲法)」の意見の概要

結城 洋一郎

(I)基本的考え方

日本国憲法の立脚する諸原理、即ち、基本的人権の不可侵、国民主権原理、恒久平和主義(戦力の不保持と国の交戦権の否定)、権力分立、地方自治の尊重、国際協調主義は、人類長年に亘る知的・政治的な営みの到達点であり、いかなる困難があろうとも堅持すべきものである。

(II)改革の余地を感じる点
  1. 国民主権原理に関する点 現憲法は、古典的な代表制の性格が色濃く、国民代表に対する主権者国民の優位性を確保する手続が不完全である。理想的には、スイスのような直接民主主義的諸手続を併用すべきであり、最小限、国民票決(レフェレンダム)を憲法上明記すべきである。
  2. 違憲審査 ドイツ型の憲法裁判所を設け、通常裁判所による違憲審査に加え、抽象的違憲審査の道を開くべきである。
  3. 議院内閣制 権力分立の観点からは、行政権の長を直接公選する大統領制が望ましい。首相公選制、あるいは半大統領制(仏・独等)も検討に値する。
  4. 公共の福祉 曖昧な概念であり、憲法上の規定の仕方も不明確であるから、人権一般の制約原理としては「他人の権利を侵害しないこと」等と表現を改める必要を感じる。
  5. 個別的人権条項 プライバシーの権利や抵抗権の明記など、より鮮明に規定する事が好ましい幾つかの点を感じている。
(III)憲法改正の提示方法

万一、憲法改正を提起する場合には、特に相互不可分の条項以外は、各条項毎に賛否を問うべきであり、全体を抱き合わせにして問題の所在をごまかすべきではない。

司法制度改革と憲法

馬杉 榮一

現在私達弁護士は21世紀初頭の我が国における大きな課題である司法制度改革に、全力をあげて取り組んでいます。

日本国憲法の柱は国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三本です。勿論このことに異を唱えるものではありません。また私自身は、現行憲法は、戦後の日本を正しく導いたものであり、これからもそうであると考える立場でありますから、この三本の柱をもっと太くすべきという、その方向での意見陳述をすべきかとも考えておりましたが、他の多くの方々がその三本柱を中心に論じておられるようですので、別の方向からの意見を申し述べようと思います。

憲法には、上記三本の柱を実現するために、この国の体制がどうあるべきかが書き込まれています。そのひとつが国家権力の独占の排除です。いわゆる三権分立です。国家権力を立法・司法・行政の三つに分け各々を牽制関係においています。そのなかで司法は憲法以下の法律に基づいて立法・行政の行為の合法性について判断します。これは狭い意味の「法の支配」です。日本国憲法は、国民主権の原則に立っています。司法もまた国民主権のもとにあります。国民が直接に司法に関与し、国民生活全般に憲法以下の法律が行き渡ることにより、広い意味の「法の支配」が確立することになります。そのことによって基本的人権も実質的な意味において保障されることになります。また憲法の平和主義への侵害は、必ず基本的人権の侵害を伴います。基本的人権を守ることは、憲法の平和主義を守ることになります。このように広い意味の「法の支配」は、憲法の柱、原則を守るための基盤を形づくるのです。

現在進行中の司法制度改革は、21世紀の日本における現行憲法の柱、原則を守るための「法の支配」の確立に向けたものであるべきです。私はこの方向から今回の公聴会で21世紀の日本と憲法について意見を述べたいと考えます。