論文優秀者(平塚 章文)

憲法調査会に望むもの

会社員
平塚 章文

・はじめに

 現行憲法の制定過程、及び各条文の内容ならびに改正の限界等については、さまざまな意見や解釈の違いがあり、それらの点については他に任せるとしても、戦後半世紀以上にわたりこの憲法の基本原則のもとで国の統治がなされてきた以上、その他の各法律に及ぼす影響や国民の生活などを考えても、今のこの存在を否定することは不可能であると思う。しかしながら、その憲法上にも憲法の改正を認める条項が定められており、これを否定することもまた憲法に反するわけである。立法機関である国会においてもその論議が必要に応じてなされるべく、将来においてもその改正を常に視野に置いた対応をすることは否定すべきものではないと考える。

・現在の憲法に関する教育について

 このように、憲法改正に対しての提議などは否定されるべきではないが、憲法にはその改正には国会における「各議員総数の三分の二以上の賛成」による発議と「国民投票の過半数による承認」が必要とあるように、改正の際には必ず「国民投票」がなされ国民の直接判断が必要になってくるわけである。

 現在、一般に成人になるまでに憲法について直接ふれる機会というものは、義務教育でない高校での「政治経済」という教科の学習については前提とする事が出来ない以上、小中学校での社会科などで取り上げられる程度であり、それ以外にはほとんど何もないのが現状である。また、その小中学校で教える教員の知識や理解度についても大学等の出身学部等によりその差が大きいことが予測でき、このことにより、全ての国民にある程度の憲法に対する知識が備わっているとは言い難いのではないだろうか。憲法とその他の法律との違いが何か判らないといったことは決して珍しいことではないのである。

 こうしたことを踏まえて考えると、仮に国民にその判断を問うた場合、その時期だけに応じた意見や報道、部分的に知りえる情報などにより判断してしまうことになり、正しい改正の是非は問えないのではないだろうか。

・国民の憲法に対する知識について

 そこで、憲法についてどれほどの割合の有権者がそれを判断できうる知識と考えを持ち合わせているものであろうか。この問題をまず考えてみるべきであり、その調査を反復的に実施し、その理解度のレベルを上げていくことは国として、また、国民にとって義務であると思う。高度な法律的専門知識を持つ一部の人のみで判断すべきであると言うのではなく、教育の過程において憲法というものに触れる機会を増やすことがまず、必要であると考えるものである。

 これは、例えば小学校から身の回りの例にあて、「公共の福祉については、みんなに迷惑のかかることは出来ないこともある」といったように易しく、少しずつ教える「けんぽう」の時間をつくったり、更に中学校では法律の知識のある専門家に「憲法」講義をさせるといったようなことを考えることが先ず大切なのではないかと思われるのである。

 勿論、偏った内容の思想や指導で教育されないように注意することは最も大事であることはいうまでもなく、様々な意見があるということを教えることもその教育の一つであると考える。

・おわりに

 以上、いくつかの意見を記してきましたが、私としては何より「憲法」に対する国民の知識と意識レベルを底上げすることが今後の大きなテーマであると考えます。その一例が教育です。この方向に対する調査や提言を切に望むものであります。