論文優秀者(堀江  訓)

憲法調査会に望むもの

北陸学院短期大学助教授
堀江  訓

 憲法は国の最高法規であり、国内においては、政治、行政、法律、社会の基盤となるものであるが、国際的には国の統治原理、政治理念、長期的ビジョン等を国際社会に対して明示する役割も持っていると言える。その国際的な側面も的確に把握することを衆議院の憲法調査会には期待したい。

 現在日本が大きな経済力を持ちながら、残念なことに、国際社会の中で必ずしも他国から信頼、尊敬され、指導的な役割を果たすことができないでいる理由の一つとして、日本が世界に対して確固たる理念やビジョンを示すことがないという点がしばしば指摘されている。

 言うまでもなく、日本国憲法の理念、特に前文と第九条に代表される国際主義と平和主義は、日本が世界に誇るべき崇高な理念である。しかし、「理想と現実のギャップ」という説明で、理想追求の努力を怠り、現実を理想に近づけようとするのではなく、理想を現実の前に妥協させようとすれば、「崇高な理念」が直ちに「見え透いたプロパガンダ」に堕ちるのが国際社会の厳しい現実でもある。つまり、日本国憲法の精神が、日本という国を導く基本理念ではなく、単なる建前に過ぎず、日本の本音は別のところにあるのではないかと疑う人が世界には少なくないのである。

 その結果として、日本は「建前」だけで、真の意昧で独自の理念もビジョンも持たず、いつも他国に追従する国と思われてしまうのである。

 歴史を振り返れば、近代的国家システムの礎となったウエストファリア条約の起草者達は、ヨーロッパ中世の宗教的な権威に決別して「国家主権」という概念を肯定し、イギリスの法律家や市民は「神と法の下にある国王」という概念で「法の支配」による専制君主の絶対的な権力の規制を試みた。また、アメリカ独立を勝ち取った人々は「民主主義」の概念のもとで君主を持たない平等な政治体制を構築し、フランス革命は人間個々人の尊厳を守るために権力に対抗しうる「人権」という概念を導入した。

 これらの概念はいずれも近代憲法の原則として現在定着しているものであるが、これらの概念が初めて世界の歴史に登場したときには、いずれも当時の伝統的かつ正統的な思想に真っ向から対立する革新的な概念であった。そして、歴史の流れを見誤らずに、それらを大変な勇気と識見と犠牲を用いて導入した国々こそが世界の歴史をリードしてきたのである。

 もし日本が本当に国際社会の中で尊敬され、指導的な地位を占めたいと考えるのであれば、「国家主権」、「法の支配」、「民主主義」、「人権」に匹敵する新しい理念を世界に向かって提示し、その実現に向けて最大限の努力をする必要があると言わなければならない。

 そして、日本という一国の憲法でありながら、その中に理念として提示されている「国際主義」と「平和主義」はその新しい理念として不足はないであろう。そして、それをさらに明確にし、強化する必要はあるいはあるかもしれない。その方向性を見いだすためには、日本の国内だけではなく、人類の歴史の大きな流れを見据える必要がある。国家の重要性はもちろん否定できないが、すでにいかなる国家でも、単独で成立し、自国の利害だけで行動できる時代はすでに終わっており、国家の枠組みに固執する理念では、国際社会のリーダーシップは支えることができないのである。

 日本国憲法は日本の基本法であり、最高法規である。従って日本国内において幅広く国民に支持され、親しまれ、信頼されるものでなくてはならない。しかし、それと同時に、日本が世界の中でどのような役割を果たそうとしているのか、その基本理念やビジョンを独自に示すものでなくてはならない。さもなければ、日本は世界の中で信頼も尊敬もされない物真似国家になってしまうであろう。そのような事態を回避するためには、「主権国家」、「法の支配」、「民主主義」、「基本的人権」に続く、人間の歴史を動かす新しい概念として日本国憲法が持っている「国際主義」をどのように提示してゆくか、国際的な側面からも十分に検討すべきだと考える。