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平成二十年一月二十五日提出
質問第二九号

二〇〇一年のイルクーツク声明並びに歯舞群島・色丹島の引き渡しと国後島・択捉島の帰属問題を並行して交渉する「並行協議方式」に対する外務省の評価に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男




二〇〇一年のイルクーツク声明並びに歯舞群島・色丹島の引き渡しと国後島・択捉島の帰属問題を並行して交渉する「並行協議方式」に対する外務省の評価に関する質問主意書


 「政府答弁書」(内閣衆質一六八第三五七号)を踏まえ、以下質問する。

一 「政府答弁書」によると、二〇〇一年三月のイルクーツクでの日ロ首脳会談で我が国が提案した、北方領土問題に関して歯舞群島・色丹島の引き渡しと国後島・択捉島の帰属問題を並行して交渉する並行協議方式(以下、「並行協議」という。)について、「色丹島及び歯舞群島の引渡しの態様に関する議論と択捉島及び国後島の帰属の問題に関する議論を同時かつ並行的に進めていくとの考え方については、平成十三年三月にイルクーツクで行われた日露首脳会談において日本側より提案したが、その後、ロシア側より明確に受け入れられない旨の回答がなされた。」との答弁がなされているが、ロシア側が我が国から打診した「並行協議」の受け入れを拒否したのはいつか、その具体的な日にちを明らかにされたい。
二 二〇〇八年一月二十五日付の北海道新聞四面に、パノフ元駐日大使、現ロシア外交アカデミー学長のインタビュー記事(以下、「インタビュー」という。)が掲載されているが、外務省は「インタビュー」の内容を承知しているか。
三 「インタビュー」の中でパノフ氏は、ロシア側が「並行協議」の受け入れを拒否した経緯について、「ロシアの拒否は、日本側が拒否したから。当時、小泉政権が『四島一括』の原則に姿勢を転換し、交渉基盤が崩れた」と述べている。一方で、「政府答弁書」では、「政府としては、御指摘のいずれの内閣総理大臣の在任中においても一貫して、我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して、ロシア連邦との間で平和条約を締結するとの方針の下、ロシア連邦政府との間で交渉を行ってきており、現在もかかる方針に変更はなく、御指摘のような事実はない。」と、すなわち小泉政権下でイルクーツク声明や「並行協議」から四島一括返還へと、日本政府の方針が変更した事実はないと、右のパノフ氏の発言(以下、「パノフ発言」という。)の内容とは真っ向から対立する内容の答弁がなされている。例えば「われらの北方領土」の一九九二年版から二〇〇六年版までに、ソ連邦が崩壊しロシアという国家に生まれ変わったことに付随して、「我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決してロシア連邦との間で平和条約を締結するという基本的方針を堅持しつつ、北方四島の我が国への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、様態及び条件については柔軟に対応する」との記述がなされているが、その一方で小泉政権で最初に外務大臣を務めた田中眞紀子氏は「日ロ関係は田中・ブレジネフ会談が原点である」旨の発言をし、ロシア側にそれまでの日ロ間での諸合意を全て否定するかの様な認識を示したことがあると承知する。また、小泉総理自身も、就任当時、あくまでも四島の一括返還、帰属の確認にこだわるとの認識を示していた。これらの事実を鑑みる時、「並行協議」の経緯に関しては「パノフ発言」の方が正しく、我が国から提案した「並行協議」がロシア側に拒否されたのは、小泉政権下で北方領土の四島一括の帰属確認を求め、それまでの橋本、小渕、森内閣での交渉方針が大きく変えられたことが原因であると考えるが、外務省の認識如何。
四 昨年十二月二十一日、ロシアのサンクトペテルブルグで森喜朗元首相がロシアのプーチン大統領と会談した際、北方領土問題について、森元首相からイルクーツク声明を基礎に「並行協議」で交渉を行うことの提案がなされたことにつき、ロシアのラブロフ外相が本年一月二十三日の記者会見で、森元首相の提案は日本政府からの公式な提案ではないとの認識を示しているが、右ラブロフ外相の認識についての外務省の評価如何。
五 四のラブロフ外相の認識は、今後我が国が公式に「並行協議」を提案してくるかどうかを注視する姿勢を示したものと考えるが、外務省は今後「並行協議」をロシアに公式に提案する考えはあるか。

 右質問する。



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