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平成二十七年三月十一日提出
質問第一二九号

琉球王国の歴史的事実と認識に関する再質問主意書

提出者  照屋寛徳




琉球王国の歴史的事実と認識に関する再質問主意書


 私は、平成二十七年二月二十五日付で「琉球王国の歴史的事実と認識に関する質問主意書」(以下、質問主意書という)を提出し、同年三月六日に同質問主意書に対する政府答弁書(以下、政府答弁書という)を受領したものである。
 私の質問主意書に対する政府答弁書は、総じて誠実さに欠ける回答になっていると批判せざるを得ない。
 ところで、去る二月二十七日から三月二十九日までの間、琉球新報社主催、浦添市教育委員会共催の「琉球・幕末・明治維新−沖縄特別展」(以下、「沖縄特別展」という)が浦添市美術館で開催されている。私も早速、去る三月一日に浦添市美術館を訪ねて鑑賞した。
 私が「沖縄特別展」に関心を持ったのは、外務省外交史料館が保管している琉米・琉仏・琉蘭三修好条約(以下、三条約という)の原本の展示を知ったからである。
 「沖縄特別展」には、多くの沖縄県民が足を運び、三条約の原本に深く見入っていた。私も、三条約の原本を直に目にし、改めて琉球王国の歴史に思いを致した。同時に、三条約締結当時の琉球王国は、間違いなく国際法主体の主権国家であったとの確信を得たものである。
 一方で、佐藤優氏(作家、元外務省主任分析官)は、本年三月七日付の琉球新報連載「ウチナー評論」の中で、次のように書き記している。
 「三条約は、当時の帝国主義列強から琉球王国が国際法の主体と認められていたことを示す歴史文書だ」「三条約の琉球側正本は、県民に『頑張れよ。われわれは自前の国家を持っていた。沖縄にとって死活的に重要な事柄は沖縄人にしか決定できないのだよ。そのことを伝えるために、われわれは今、東京の外交史料館から里帰りしてるのだ』と呼び掛けている」−。
 また、本年三月一日付の琉球新報によると、琉仏修好条約に次いで琉米修好条約の米国側原本が、米国立公文書館に保管されていることが判明したようだ。
 琉米修好条約は、締結翌年の一八五五年三月九日に米国議会で批准され、同日大統領によって公布されている。
 私の質問主意書に対して、誠実さに欠ける政府答弁書を閣議決定し、琉球王国を国際法主体の主権国家として認めようとしない政府の態度は、ウチナーの民意を無視し、国家権力を総動員して辺野古新基地建設を強行する政府の姿勢と相通ずるものがあると指摘し、糾弾するものである。
 以下、質問する。

一 私の質問主意書に対する政府答弁書は、五について「御指摘の『江戸幕府は、国際法主体の主権国家であった』の意味するところが必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である」と回答している。
 では、日米和親条約(一八五四年三月三十一日)及び日米修好通商条約(一八五八年七月二十九日)は、主権国家間で締結された国際約束と認識するか、政府の見解を示されたい。
 また、日米和親条約及び日米修好通商条約を米国との間で締結したもう一方の当事者は、国際法主体たる主権国家であったと認識するか、政府の見解を明らかにされたい。
二 江戸幕府、明治政府、日本国という言葉がある。ここでいう「幕府」「政府」「国家」とは、いかなる概念を意味すると考えるか、それぞれについて政府の見解を示されたい。
 その上で、日米和親条約及び日米修好通商条約を米国との間で締結した当時の江戸幕府は「政府」であったか、それとも「国家」であったか、政府の見解を明らかにされたい。
三 一八五八年当時、江戸幕府が統治していた領土に琉球王国は含まれていたか否か、その根拠を示した上で政府の見解を示されたい。
四 私の質問主意書に対する政府答弁書は、四について「御指摘の各『条約』と称するものについては、いずれも日本国として締結した国際約束ではなく、その当時における法的性格につき政府として確定的なことを述べるのは困難である」と回答している。
 では、政府のいうかかる国際約束たる「条約」を日本国が締結できるようになったのはいつからか、その根拠を示した上で見解を明らかにされたい。
 また、日本国として最初に締結した国際約束たる「条約」は何か。その名称や締結年月日など具体的に明らかにされたい。

 右質問する。



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