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答弁本文情報

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昭和三十五年七月十五日受領
答弁第一八号
(質問の 一八)

  内閣衆質三四第一八号
    昭和三十五年七月十五日
内閣総理大臣 岸 信介

         衆議院議長 (注)(注)一(注) 殿

衆議院議員(注)俣(注)三君提出六・一五事件における警察官の職権乱用に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。





衆議院議員(注)俣(注)三君提出六・一五事件における警察官の職権乱用に関する質問に対する答弁書



一 警察庁発行文書「六・一五国会突入事件を中心として」の発送部数は、約九〇〇〇部であり、その送付先は、警察部内、衆参両院議員(地方行政委員会、法務委員会の委員等)、政党役員、政府関係機関、言論機関、その他民間有識者等である。

二 該文書に記載した事件は、国の最高機関たる国会の警備に関連して惹き起こされたものであり、その事件のわが国内外に与えた影響は甚大であつた。したがつて、この事件に直接対処したのは、東京都警察であるが、この事件をめぐる警察に対する各種の誤解等にもとづくいろいろな批判は、全国都道府県警察の警察活動に影響するところが極めて大であるので、警察庁としては、全国的な視野に立つて、この事件に関し明らかになつている事実を各方面に卒直に伝え、国民の了察を得んとしたのである。

三 該文書の内容は、主として警視庁の調査による報告にもとづき、警察庁において慎重検討のうえ、作成されたものである。

四 該文書は、所属長の意を体して、警察庁の広報担当課長である長官官房総務課長の責任において作成されたものである。

五 該文書は、六月二十三日に発行されたものであつて、質問主意書のこの項で指摘された事項については、当時まだその事情が明らかでなく、調査中であつたからである。

六 右翼がデモ隊になぐりかかつた後においては、デモ隊側もこれに対して全くの無抵抗ではなく、デモ隊の一部には反撃の行動に出たものもあつて、その状況を「双方の乱闘」と表現したにすぎない。したがつて、この事件については、まず、主動的に攻撃を加えた右翼を現場において逮捕したのであり、もし今後の取り調べにおいて、デモ隊側等に刑事責任を追求すべきものが判明すれば、必要な捜査手段をとる場合も考えられる。

七 この項に指摘された雑誌の記事は、いずれも七月十日号のものであり、警察庁発行の該文書は六月二十三日のものであるから、指摘の記事にもとづいての調査は、警察庁の文書発行までには行なわれていない。しかしながら、その後においては、この項に指摘の事実については目下調査中である。

八 該文書の発行の趣旨について、あらかじめ国家公安委員会の了承を得ている。

 (一)

  (1)  参議院南通用門というのは参議院第二通用門のことであると思うが、現場配置の警察官は十二名であり、指揮者は麹町警察署警部中村克巳(制服)および公安第二課警部補中村秋夫(私服)である。
   
  (2)  第 四 機 動 隊 一〇〇名 警 部 三 矢 金 吾
     城 東  大 隊 九名 警 部 吉 田 七 之 助
    丸の内署 部 隊 八三名 警 部 小  林   重
  (3)  当時国会構内参議院第二通用門附近の警備を担当していた部隊ならびに指揮官は次のとおりである。
    第 四 機 動 隊 一〇〇名 警 部 三 矢 金 吾
    赤  羽  大  隊 一七一名    
    学  校  部  隊 一〇〇名 警 視 川 村 信 夫
    八 王 子 大 隊 二四六名 警 視 小  黒   新

 (二) 午後七時以降同七時四十分ごろに至る間、衆議院南通用門附近に配置されていた警察部隊は、次のとおりである。
    その内訳は、

  第五方面本部 伊 藤 秀 宏 警視正 以下 一一名
  第 二 機 動 隊 外 川 浅 次 郎 警  視 以下 三一四名
  第 四 機 動 隊 伊 林 長 松 警  視 以下 二三五名
  滝 野 川 大 隊 高 尾 万 次 警  視 以下 一五三名
  北 沢  大 隊 向  井   豊 警  視 以下 一五〇名
  本 所  大 隊 大 津 貞 一 警  視 以下 一九二名
  立 川  大 隊 松 本 捷 七 郎 警  視 以下 一九六名

 (三) 国会正門前において学生等を排除した部隊は、

    第 一 機 動 隊 近  藤   始 警視正 以下 四一八名  
  ならびに
    第 三 機 動 隊 木 村 正 一 警  視 以下 四四〇名  
  であり、
   正門から南通用門をへて首相官邸、特許庁方向に至る道路上において学生等を排除したのは、
    第 五 機 動 隊 末 松 実 雄 警  視 以下 四二九名  
  である。

 (四) 現在までの調べでは、一時二十分すぎ参議院議員会館構内から約二―三十名の学生を排除した警察官は、第三機動隊員数十名で、指揮者は警部小宮山勝三郎である。

 (五) 現在までの調査によれば、同日同時刻ごろ、第三機動隊が三宅坂交さ点下の道路上を通行中、議事堂前電停方向から来た眼鏡をかけた三十歳位の男が近寄つてきて大声で口ぎたなく悪ばを浴びせてきた。そのとき数名の巡査が隊列から飛び出し、「あつちへ行け。」と同人を突きとばしたので男はその場に倒れたが、直ちにそのうちの一巡査が助け起こしたという事案があり、この事案に関係した者は第三機動隊員五名であり、関係部隊の指揮者は、第三機動隊勤務警部天野政晴である。

 (六)
  (1) 現在までの調査では、そのような事実は認められない。
  (2) ラジオ東京報道部員神岡邦夫、北村美憲の両氏から「十五日午後十時十五分ごろ南通用門内において警察部隊の実力行使の際に警棒で殴打された。」との申し立てがあつたので、詳細について目下調査中であるが、はたして警棒により殴打されたものか確認するに至つていない。
  (3) 現在までの調査によれば、当時現場附近の学生たちの排除に当たつた部隊員数名が南通用門附近で、「警察官云々」と言つている一人の若い男を認め、その男の肩に手をかけ「何を言つているのだ。」と聞いたところ、その男はマイクに向つて「いま察警官が私の肩をつかんで云々」と言い出し「ラジオ関東の放送中である……」とも言つたので、はじめてアナウンサーであることを気づいた事実がある。この男に対して、警棒をふりあげたり、なぐつたということは認められない。

 (一) 「その他の罪」については、現在までのところ警察庁長官の指定は行なわれていない。

 (二) 所見公表については、所属長の許可を得たものである。ただし、この記事は、文責在記者として要点筆記されたものである。
 
 (三) 第五方面本部長が衆議院南通用門附近の警備に当たつていた滝野川大隊長等に、「警棒納め」の命令をなしたことは事実である。

 (四) 規定はない。

 (五) 第一の点については、国会構外の報道陣を指するものと思われるが、第五方面本部長指揮下の部隊は国会構外には出ていない。
     第二の点については、第一、第三、第五機動隊である。第五方面本部長の指揮下にはない。

 (六) 質問の赤木恭二は、警視庁広報課長赤木泰二の間違いであると思われる。この投稿は所属長の許可を受けたものである。

 (七) 警棒は原則として指揮官の命令によつて使用することになつているが、当時その命令は出ていない。ただし、指揮官の命令によるいとまがないとき、やむを得ず個々の判断で使用することが認められている。

 (八) 第五機動隊の一部では、学生、または周辺の野次馬風の組織不明の一団から絶え間なく続けられる敷石の破片、石塊等の投てき、あるいはプラカードの柄、竹竿等による暴行のため身体の危険を感じ、各警察官が自己の判断によつて警棒を用いている。

 (九) 激しい投石等の行なわれる混乱の渦中であり、また一部の部隊は学生に押された際分断された状態になつていたので、命令が整一に徹底しなかつたこともあつたと思われるが、個々の警察官が故意に命令に従わなかつたり、命令に反した行動をとつた事実はない。
     また、警棒使用にあたつては、慎重を期することはもちろんであるが、現場において伝令が特にそのようなことを叫んで回つたということは聞いていない。

 (十) 警棒の使用状況報告は、それぞれの部隊から報告されておりその概要は次のとおりである。
     第一回は、午後五時三十五分ごろ学生が南通用門を破壊して国会構内に侵入し始めてから大挙侵入するに至る間、第二回は、午後十時ごろ集会を終つた学生が正門方向に向かおうとして警察部隊に突き当たつてからこれを排除する際、第三回は、正門附近において車両に対する放火等を行なつていた学生等を解散させる際、の三回にわたつて使用している。

 (十一) 指摘の特殊警棒は、一部に報道された金属製の棒とは全く異なるものであつて、同規程第五条第三号に明示しているように、私服警察官が犯人逮捕、押収、捜索等必要ある場合に使用するもので、その購入月日は次のとおりである。

  昭和三十一年六月二十五日 七〇〇本
  昭和三十一年十二月十三日 五〇〇本
  昭和三十四年二月二十七日 一〇〇本

      なお、六月十五日の警備実施にはこの特殊警棒は全然使用していない。

十一 これらのことについては、警視庁において鋭意調査を進めている。しかし、現在までのところ告発、懲戒等の手続をとつたものはない。
  将来のことについては、今後の調査の結果を待ち、もし警察側に非違の点があれば、当然その責任を明らかにする所存である。

十二

(一) 質問の赤木恭二は、警視庁広報課長赤木泰二の間違いであると思われるが、その投稿は所属長の許可を受けたものである。

(二) 私服員は

  公安第二課員 四 名
  警備課員 二 名

  の計六名であり、午後三時ごろから護国塾周辺において維新行動隊の動向視察に当たつた。
   午後三時五〇分ごろ、同隊が貨物自動車一、観光バス一、宣伝カー一、の計三台に分乗して護国塾を出発したので、乗用自動車で追尾警戒に当たつた。

(三) 当日、丸の内署部隊八十三名は維新行動隊の対策部隊に指定されその国会周辺に進出するのに備えたのであるが、どの方向から現われるのか不明であつたので、まず内幸町、その後人事院前に前進待機していたのである。その後急報に接し午後五時二十五分ごろ現場に到着したのであるが、その到着が遅れたのはその直前の情報入手がおくれたためと、当時、すでに国会周辺の交通事情から徐行を余儀なくされ人事院前から現場到着に約五分を要したためである。

(四) 単なる樫の棒としては、一本も携帯していなかつた。
    当日現場で維新行動隊の使用した樫の棒と云われるのは彼等が携帯していたプラカードの柄と、日の丸の旗棒の樫材であろうと思う。ただし、プラカードの柄、旗竿として単に所持携帯していただけでは実際上取り締まることは困難である。

(五) 現場では被疑者七名を現行犯として逮捕した。その他の者については、個々人の犯罪事実がかならずしも明白ではなかつたために、全員を所轄麹町署に任意同行を求めて取り調べを行なつた。社会党議員の発言については、つまびらかでない。

(六) 麹町署に任意同行の途中、被同行者が買物(ビン入ジユース)をした事実はあるが、公衆電話の使用については、調査の結果同行中のものではないものが使用したことが明らかになつている。被同行者が警察電話を使用した事実は認められない。
    なお、刑訴法上の任意同行については、被同行者の行動を警察官が強制的に束縛することは認められていない。

(七) 第九項の(六)の(1)に述べたとおりである。

十三

(一) 当日、午後六時三十分以降逮捕された学生は百数十名におよび、これらの者は全員衆議院議員面会所一階の一般議員面談所、同地下の警察官詰所等に一時収容して被疑者の簡単な取り調べをしたが、そのうち、負傷者と判明した者については、救護、病院護送等に努めたのである。
    なお、同室では被疑者の取り調べ中であり、また、必要な救護は警視庁の救護班において処置されていたので同室に対する出入を制限したのである。

(二) 六月十三日衆議院当局と打合わせを行つた際、議員面会所地下の警察官詰所および一階の一般面談室等を使用することについて承認をうけていた。
    なお、国会議員その他の者を同室に入れなかつたのは、前項で回答したとおりである。

十四

(一) 六月十五日の警察官の国会派出については、六月十四日衆参両院議長から内閣を通じて警視庁に両議院各二千名の警察官の派出要請があり、更に六月十五日午後七時十分再び内閣を通じて警視庁に対し、両議院に各千五百名の警察官の追加派出要請があつたものである。

(二) 議長より国会構内に侵入された場合は、退去を要求し、これに従わない者は排除または逮捕するよう指示されているが、そのための具体的技術的事項については、議長から特別の指示のない限り、警察の判断において行なうこととされている。したがつて、警棒は警察の判断において使用したものである。

(三) 放水、催涙ガスの構外に向かつての使用については、前号のとおりである。

 右答弁する。




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