質問本文情報
平成三十年五月二日提出質問第二六七号
いわゆるアベノミクスの成果と日本銀行の物価安定目標の達成に関する質問主意書
いわゆるアベノミクスの成果と日本銀行の物価安定目標の達成に関する質問主意書
日本銀行の「経済・物価情勢の展望(二〇一七年十月)」では、「先行きの物価を展望すると、消費者物価の前年比は、マクロ的な需給ギャップの改善や中長期的な予想物価上昇率の高まりなどを背景に、プラス幅の拡大基調を続け、二%に向けて上昇率を高めていくと考えられる」「二%程度に達する時期は、二〇一九年度頃になる可能性が高い」と示された。
日本銀行の「経済・物価情勢の展望(二〇一八年一月)」では、「先行きの物価を展望すると、消費者物価の前年比は、マクロ的な需給ギャップの改善や中長期的な予想物価上昇率の高まりなどを背景に、プラス幅の拡大基調を続け、二%に向けて上昇率を高めていくと考えられる。今回の物価の見通しを従来の見通しと比べると、概ね不変である。二%程度に達する時期は、二〇一九年度頃になる可能性が高い」と示された。
然るに、日本銀行の「経済・物価情勢の展望(二〇一八年四月)」では、「先行きの物価を展望すると、消費者物価の前年比は、マクロ的な需給ギャップの改善や中長期的な予想物価上昇率の高まりなどを背景に、プラス幅の拡大基調を続け、二%に向けて上昇率を高めていくと考えられる。二〇一九年度までの物価見通しを従来の見通しと比べると、概ね不変である」と示され、従来、「二〇一九年度頃になる」としてきた物価上昇率二%の目標達成時期の表現が削除された。
日本銀行は、早期の「物価上昇率二%」の目標達成を目指しているが、これまで六度も達成期限を先延ばししてきた。今回は達成期限を削除し、今後の先延ばしの批判を避ける意図があると思料するが、達成期限が不明確になることで、早期達成との整合性に疑義が生じることになる。
平成二十九年十一月二十日の衆議院本会議で安倍総理は、「政権交代後、大胆な金融政策を含む三本の矢の政策により、もはやデフレではないという状況をつくり出すことができました。また、そうした中で、行き過ぎた円高も是正されました。さらに、日本銀行による大胆な金融緩和は、デフレマインドの払拭につながっているものと考えています」「金融政策の具体的な手法は日本銀行に委ねられるべきであると考えております。物価が二%程度に達する時期について、日本銀行の展望レポートでは二〇一九年ごろになる可能性が高いとされており、今後とも、日本銀行が物価安定目標の達成に向けて大胆な金融緩和を着実に推進していくことを期待しています。引き続き、政府、日本銀行は緊密に連携しながら、あらゆる政策を総動員して、デフレ脱却、そして力強い成長を目指してまいります」と発言している。
平成三十年一月二十二日、安倍総理は衆議院本会議で、「五年間のアベノミクスにより、日本経済は、足元で、二十八年ぶりとなる、七四半期連続プラス成長。四年連続の賃上げにより、民需主導の力強い経済成長が実現し、デフレ脱却への道筋を確実に進んでいます」と発言している。
いわゆるアベノミクスの推進と日本銀行の物価安定目標の達成に関して疑義があるので、以下質問する。
二 政府はデフレ脱却のための従来の目標である物価上昇率二%の目標達成時期を二〇一九年度頃とすることは困難であると考えているのか。政府の見解如何。
三 日本銀行は、早期の「物価上昇率二%」の目標達成を目指しているものの、これまで六度も達成期限を先延ばししてきた。今回は達成期限を削除し、達成期限が不明確になることで、政府も目指してきた早期達成との整合性に疑義が生じるのではないか。また、いわゆるアベノミクスの成果が不十分であるため、「デフレ脱却への道筋を確実に進んでい」るとは言えなくなったのではないか。政府の見解如何。
四 「金融政策の具体的な手法は日本銀行に委ねられるべきである」ものの、「政府、日本銀行は緊密に連携しながら、あらゆる政策を総動員して、デフレ脱却、そして力強い成長を目指」すべきことは論をまたない。日本銀行が「経済・物価情勢の展望(二〇一八年四月)」で、これまで二〇一九年度頃になるとしてきた物価上昇率二%の目標達成時期の表現を削除した理由はどのようなものからだと考えているのか。政府の見解如何。
五 日本銀行が「経済・物価情勢の展望(二〇一八年四月)」で、これまで二〇一九年度頃になるとしてきた物価上昇率二%の目標達成時期の表現を削除したことは、日本銀行が、正直に、デフレ脱却はほど遠く、目標を設定することもできないと吐露した結果ではないのか。政府の見解如何。
六 安倍総理は、「物価が二%程度に達する時期について」「二〇一九年ごろになる可能性が高いとされて」いるという認識に変わりはないのか。それとも、日本銀行が「経済・物価情勢の展望(二〇一八年四月)」で示したように、二〇一九年頃のみならず、その時期は不透明になったという認識であるのか。見解如何。
右質問する。