平成16年10月21日(木)(第2回)

◎会議に付した案件

日本国憲法に関する件

1.議会オンブズマンその他の行政に対するチェックの仕組み

上記の件について、委員間で自由討議を行った。

2.国際機関と憲法 〜特に国連憲章を中心として〜

上記の件について、委員間で自由討議を行った。



《議会オンブズマンその他の行政に対するチェックの仕組み》

冒頭、中山会長から、調査テーマに関し、発言があった。


●各会派一巡目の発言の概要

柴山 昌彦君(自民)

  • オンブズマン制度を憲法上位置付けることについては慎重にすべきだが、立法措置による国レベルのオンブズマンは検討に値する。
  • 我が国の国民負担率は35.5%であるのに対し、スウェーデンでは74.3%である。このことから、スウェーデンは税金の使途に対するチェックの要請が極端に高く、そこにオンブズマンの意義の一つを見出すことができる。
  • 我が国の現状では、確かに、議会の行政に対するチェックが不十分である。そこで、議会の補完としての裁判所の事後的チェックが重要である。従来、司法の行政に対するチェックについては、司法消極主義に過ぎるとの批判もあったが、先般の行政訴訟制度の改革に一定の成果を期待することができる。また、訴訟には費用と時間がかかるため、行政型ADR(裁判外紛争解決手続)も法制度として積極的に位置付けるべきである。
  • オンブズマンを調査権限を伴うものとして憲法上位置付けることについては、(a)欧州のオンブズマンのような質の確保、(b)独立性・公正性の担保、(c)市民オンブズマンの位置付けの低下等が懸念されることから、消極的に考える。

辻 惠君(民主)

  • 21世紀の国家像を考えるに当たっては、国民国家、地方自治、行政統制の三つがキーワードであると考えられる。
  • 国民国家は、市民革命以降に世界的に広がっていったが、人類史的には過渡的なものと考えるべきである。したがって、国権主義・民族主義を声高に主張するのではなく、近隣諸国との地域共同体の形成のための政治的選択を念頭に置くべきであり、この点からみて、小泉首相の靖国神社参拝は問題である。
  • 92条の地方自治の本旨について、自民党は住民自治よりも団体自治を強調する方向で動いているようだが、本来は住民自治をこそ強めるべきであり、道州制などの政策についてもコミュニティからの合意が重要である。
  • 行政統制は、統治機構の在り方の最大の課題であり、本来は立法府に期待される役割である。また、司法府に期待される役割は大きいものの、司法消極主義といってもよい現状にあり、行政訴訟制度も改革がなされたとはいえ十分機能していない。憲法裁判所の設置を含めて検討すべき問題である。
  • オンブズマンは立法府の機能強化の一環として有益である。オンブズマンは、苦情処理のみならず行政統制という役割を果たすことから、時代の要請に合うものであり、将来的には、その権限等について憲法上規定されることが望ましい。
  • オンブズマンには、十分な調査権限や勧告以上の権限の付与が不可欠である。また、警察等の監視を専門に行う特殊オンブズマンの設置などが検討されるべきである。この点、今次の海外調査の成果を活用すべきである。

赤松 正雄君(公明)

  • ここでの発言は、公明党としてではなく個人的見解である。
  • 憲法上、オンブズマン制度を導入すべきかどうかについては、憲法を21世紀にふさわしいものとして、全面的に改正する場合には明記すべきであるが、「加憲」といった部分的改正の場合には、その優先度は高くない。
  • 全面的な憲法改正の場合には、(a)三権分立の下で立法府による行政府の監視がうまく機能していないこと、(b)各国でオンブズマンが成果を上げていること、(c)国民主権をより充実させ、国民の権利侵害の迅速な救済を図るための方策として当然それが規定されるべきであることから、オンブズマンを憲法上規定すべきである。
  • 部分的憲法改正においては、オンブズマン制度は憲法で規定しなくとも法律で規定することにより導入が可能であることから、その優先度は高くない。
  • (a)苦情処理制度が既に存在すること、(b)平成9年の国会の行政監視機能の強化は、諸外国のオンブズマン制度に比肩し得る我が国の一つの答えであること、(c)オンブズマン制度が日本になじむのか、諸外国におけるオンブズマンの強力な権限、中立性、独立性を我が国に持ち込んでうまく機能するのか疑問であること等から、16条に定める請願の取扱いの改善等、現行制度の強化を図るべきである。
  • 仮に、将来的に「加憲」によりオンブズマン制度を導入する場合、16条を活かす形でそれに加えるということが考えられるが、その緊急性は高くない。

山口 富男君(共産)

  • 冒頭に会長がテーマに関して発言するということは、慎重にしていただきたい。
  • オンブズマン制度をめぐる世界の動向、特徴としては、20世紀後半の行政国家の肥大化に対応して、多くは議会型のオンブズマンが行政を監視し、同時に苦情処理機能を持つというものであり、憲法に規定するかどうかは、各国の歴史を反映して多様である。
  • 我が国では、1990年代に行政の不祥事が多発したことから、国会による行政監視機能の強化について各党からアイディアが出され、我が党も国民本位の行政の実現のために、1997年に行政監視機能と苦情救済機能を併せ持つ行政監視院(オンブズマン)を定めた行政監視院法案大綱を発表したところである。
  • オンブズマンの憲法上の位置付けについては、既に、国政調査権を始めとする行政監督権と請願権に憲法上の根拠を有しており、法律で制度を構築し得ることから、憲法の改正は必要ない。
  • 行政に対するその他のチェックの仕組みとしては、例えば、総務省の行政監察があるが、文書での問題指摘が少なく、フォローアップもほとんどないといった問題があるように、既存の制度が機能しているかの吟味が不可欠である。
  • 予備的調査、少数会派の調査権の強化についても、オンブズマン制度と併せて議論すべきである。

土井 たか子君(社民)

  • オンブズマン制度について、行政監視や民主主義政治の保障の観点から、その必要性が叫ばれているが、そもそも我が国においては、16条の請願権及び62条の国政調査権により、国会が行政のチェック等を行うことが認められ、具体化されていることを認識すべきである。
  • 請願は、法律上、国会が誠実に受理・処理するよう定められているが、実際には請願の内容は毎会期末になって初めて審査することが多く、このことは私の議長時代に問題とした。
  • 国政調査権は、41条の国会の最高機関性から導かれるが、実際には、行政に対して資料請求をしたときに必要な資料がなかなか出てこないという現状がある。
  • したがって、オンブズマン制度を導入する必要はなく、憲法が保障している16条及び62条に基づく制度やその運用を充実したものとし、行政監視等に活かしていくことこそ必要である。

●各会派一巡後の発言の概要

枝野 幸男君(民主)

<柴山委員の発言に関連して>

  • オンブズマンは、現在はEU各国に広がっていること等から、国民負担率の高さとオンブズマンの発展は必ずしも直結する議論ではない。むしろ、国民の行政への不信から国民負担を将来へ先延ばしして、財政赤字を増大させている我が国の現状では、行政に対するチェック機能が必要であると言える。

<赤松委員の発言に関連して>

  • 行政相談制度は、行政統制の観点から大きな意味を持つが、行政内部からの監視と外部からの監視では全く異なる意味を有することに留意すべきである。

<土井委員の発言に関連して>

  • 現在の行政監視制度が機能していないという主張には、賛成であるが、議院内閣制においては、政府・与党の一体性を前提に行政監視システムを考えなければならない。その上で行政監視の手段としては、(a)「内閣と行政府を遮断した、内閣のみが与党と一体化する議院内閣制」が考えられるが、これは現実をみれば、不可能である。次に(b)「行政監視機能に関しては多数決原理をとらない方針」が考えられるが、多数決原理は、議会の本質であるので、その排除は考え難い。そこで、(c)「与党と切り離した行政監視制度としての議会型オンブズマン」が考えられる。これは、権力分立の新しい在り方として、憲法上の位置付けが必要である。

船田 元君(自民)

  • オンブズマンは、国民の権利が救済できない場合の補完的措置として、また、肥大化した行政の監視のために必要である。
  • オンブズマンには議会型と行政府型があるが、行政府型は、内部チェックとしての限界があり、議会型をとるべきだと考えるが、その際は、議会内の勢力分布に左右されない中立性が必要である。
  • オンブズマン制度の導入には、類似制度との調整という点が重要である。この点、決算行政監視委員会は必ずしも十全でない点もあり、オンブズマンによって補完されることは有益である。また、行政相談制度の専門性の欠如を補うため、一般オンブズマン制度より特殊オンブズマン制度の導入が望ましい。

土井 たか子君(社民)

  • 議院内閣制における「第四権」としてのオンブズマン制度の導入を主張する意見もあったが、そもそも行政監視制度に対する問題意識というのは、大統領制であれ、議院内閣制であれ、行政国家に対する議会の機能不全から提起されたものである。
  • 41条の「唯一の立法機関」たる国会が機能不全に陥っている原因としては、帝国議会からの慣行が続いている点、立法府の補佐機関が不十分である点が挙げられる。
  • 私は、議長時代に、「国会改革への一つの提言」及び「議員立法の活性化に関する一つの提言」をまとめ、国会改革に取り組んだ。オンブズマンに頼るのではなく、国会自身が本来の機能を持つよう努力すべきである。
  • 新しい制度をつくるのではなく、現在の憲法の規定を実行していくことが真に重要である。

柴山 昌彦君(自民)

<枝野委員の発言に関連して>

  • 行政国家化に対応してオンブズマン制度を導入すべきという意見であったが、財政赤字の原因は濫費だけではない。日本はスウェーデンに比べて行政府の規模が大きく、非能率であるということもあり、オンブズマン制度の導入よりも行政改革や税制改革こそが必要である。

<辻委員の発言に関連して>

  • オンブズマン制度を憲法上明記せず、法律上の制度にした場合であっても、情報公開法等の法整備がなされていることから、権限が不十分になるという懸念は当たらない。

<発言>

  • オンブズマンは、議会側の機関なのか個人の権利救済機関なのかを割り切ることができず、それを憲法上の機関とすると「第四権」という位置付けとなってしまうため、そのことには躊躇を感じる。
  • オンブズマン制度を導入するよりも、行政相談制度を充実させ、個別の苦情を取り上げる機関をつくることや、決算行政監視委員会に市民からアクセスできるようにし、同委員会の外局として行政をチェックする機関を整備することが現実的である。

枝野 幸男君(民主)

<土井委員の発言に関連して>

  • 国会の機能を充実させる必要があることは同感だが、議会ができることには限界があり、相当な数の苦情の受理・選別を行うことや、その調査を行うことは多数決原理による合議制の機関では難しい。

<柴山委員の発言に関連して>

  • 行政改革を進める必要があることは同感だが、これまで行政が肥大化してきたという歴史を踏まえると、与党が予算を削減するような統制を行う方向に転換することは困難であり、任命等において議会が一定のコントロールをしつつも、オンブズマンのように独立して職務を行う機関は、議会の現実を考えたシステムである。

渡海 紀三朗君(自民)

<枝野委員の発言に関連して>

  • 行政府に対するチェックが不十分な現状については、議院内閣制がオンブズマンなしに機能しないという制度上の原因によるのか、運用上の原因によるのかという次元を整理して論ずる必要がある。議院内閣制か大統領制かを問わず、行政に対するチェックの必要性の問題は生じるのである。
  • 行政をチェックする議会に対しては、国政選挙以外にもチェックするシステムが必要である。

<船田委員の発言に関連して>

  • 決算行政監視委員会がつくられたが、審議の仕方や調査権が大きく変わったという印象はない。調査機能については、従来のものに頼るのではなく、独立した新しいものをつくることによって、議会の調査機能もだいぶ変わるのではないか。

<土井委員の発言に関連して>

  • 議会の補佐機関の充実も大いに必要である。

葉梨 康弘君(自民)

<枝野委員の発言に関連して>

  • 行政の肥大化という現状認識については同感だが、議院内閣制においては、与党による行政に対するチェックには限界があるということには異論がある。最近の行政の不祥事は不作為によるものが多いことから、行政に必要な行為を促すためのチェックを、与党を中心とする国会全体が行っている。
  • ただ、オンブズマン制度の必要性を認めていないわけではない。国会が人事のコントロールを持って行政から独立して行政をチェックするものとしては公安委員会等があるが、そこに苦情処理の機能を持たせることも、今後検討すべきである。

鹿野 道彦君(民主)

  • 日本においては、「市民オンブズマン」がオンブズマンの名前を冠して発達してきたため、オンブズマンのイメージが固まっていない。しかし、統治機構小委員会において宇都宮深志参考人も述べたように、「市民オンブズマン」は、本来の意味のオンブズマンではない。
  • 欧州においては、既に、法の支配、民主主義が確立しているのに対し、我が国では、そもそも国民の「統治」についての関心が薄いように思える。しかし、「統治」の問題は民主主義の根幹であり、オンブズマンの設置は、民主主義の質の向上に資する。
  • 日本においても本来の意味のオンブズマン制度の導入を積極的に検討すべきであり、さらにオンブズマンの独立性とオンブズマンに対する国民の理解を担保するためには、これを憲法上明記すべきである。
  • また、アメリカのようにすべてを訴訟で白黒をはっきりさせる手法は我が国にはなじまないと考えられ、オンブズマンによる穏やかな解決の方がなじむのではないか。

山口 富男君(共産)

  • 日本においても議会型のオンブズマンを設置する必要性は肯定できる。しかし、憲法は16条及び62条において、既にその精神を規定しているのであって、憲法の理念が実現されていないことこそ問題であり、オンブズマンを憲法上明記する必要はない。
  • 立法措置によって議会型オンブズマンを設ける場合には、特に、オンブズマンの中立性と独立性を明記し、議会とオンブズマンの関係をはっきりさせる必要がある。

中川 正春君(民主)

  • オンブズマンの設置の是非を考えるに当たっては、欧州でオンブズマンが発達してきた背景を考察する必要がある。
  • 今までの我が国においては、業界癒着型の行政手法が用いられることが多かった。これに対し、欧州の行政手法は、明確なルールに基づく行政、結果行政である。そのような行政手法の中からオンブズマンは育ってきたのではないか。現在、我が国でもこれらの行政の手法を取り入れようとしているが、まだまだ不十分であるし、その前提となるシステムも十分ではない。
  • これからの我が国には、かつての業界癒着型の行政と結果行政の中間程度に位置する手法がよいのではないかと考えるが、その場合において、オンブズマンは大きな意義を有すると考える。
  • オンブズマンを設置する場合、行政府型よりも議会型がよいと考えるが、その独立性を確保することが重要である。

中根 康浩君(民主)

  • 私は今国会、質問主意書を12本提出したが、このうち7本が内閣に転送されずに議運委員会に留め置かれている。このような質問主意書の取扱いは、議会が自らのチェック機能を無力化しているものであり、是非考え直すべきである。
  • 会計検査については、各省があらかじめ想定問答を作って検査に備えていること等によって有効な検査ができなくなっている。今後、会計検査の在り方も検討されなければならない。

山花 郁夫君(民主)

  • 議会は、行政の不作為等による法律運用に対してはチェックを及ぼしにくく、また、行政手法が事前規制から事後規制になっていくと、ますます議会のチェックは及びにくくなる。また、行政訴訟では、違法ではないが不当な行政庁の行為への訴えがあっても救済できない。したがって、オンブズマン制度の導入を積極的に考えていくべきである。
  • オンブズマンは、法律で定めるよりも憲法上の制度とする方が、よりその機能が発揮されるのではないかと考える。

大出 彰君(民主)

  • オンブズマンをめぐる議論の背景には、議会による行政府に対するチェック機能の低下が背景にある。国会がチェック機能を適切に果たすためには、行政情報へのアクセスが必要であり、それができる機関としてオンブズマンを設置する必要がある。
  • 特に外部から内部の状況が分かりにくい軍隊、刑務所等の組織に対しては、オンブズマン制度の必要性が高い。
  • 市民オンブズマンの視点からは、地方では、一般市民にとって議会も行政側と見られており、議会が地方行政に対し適切なチェック機能を果たしていないとされている。そうであるならば、地方にこそオンブズマンが必要であろう。

馬淵 澄夫君(民主)

  • 主権者国民による統制、16条の請願権が貫徹されることが必要であり、そのためには野党によるチェックや少数者に配慮した制度である予備的調査、質問主意書が重要である。この点から、質問主意書を制限するような動きは問題である。
  • 請願については、会期末の処理が常態化され、採択された請願のフォローも十分になされていないという運用は問題である。請願は、委員会において大いに議論すべきである。制度的にも、請願するための要件が厳しい等の意見がある。また、決算行政監視委員会の苦情受付についても、機能を果たしているのか疑問である。このように、制度上、運用上の問題がある中で、オンブズマンがチェック機能を果たす可能性を秘めているが、そのためには、スウェーデンのように現実に国民に開かれたものとする必要がある。

鈴木 克昌君(民主)

  • オンブズマン制度の導入に原則的には賛成である。確かに三権分立が定められているが、現行制度では行き詰まりが生じている。現在のような大きな改革を進めるに当たっては、国民の納得が必要であるが、従来の制度の延長では国民の合意を得られるか疑問である。そのためにも、憲法に位置付けられたオンブズマンが必要である。

加藤 勝信君(自民)

  • 行政が肥大化する中で、運用の改善より制度的対応が必要であり、オンブズマン制度の導入は行政をチェックするための一つの手段として考えてよい。また、行政の実際の運用面では、その作為・不作為に対するチェックについての議論もすべきである。
  • オンブズマンは、議会に代わって行政監視を行うものであるから、議会型オンブズマンが妥当である。
  • 憲法は、その時々の状況に応じて適切に改正すべきものであり、オンブズマンの機能を明確にする目的で、憲法にこれを明記することも考えられる。

園田 康博君(民主)

  • オンブズパーソン(オンブズマン)制度は、行政が肥大化して国民の権利が侵害されやすくなっている現状にかんがみれば、主権者である国民の権利を擁護する選択肢の一つとして導入されてもよいのではないか。
  • 地方自治体でのオンブズマン制度が、首長の付属機関として創設され、運用されていく過程で市民の信頼を得ていったという経緯からみれば、オンブズマン制度は、法律上規定するだけでもよい。しかし、憲法上規定すれば、国民の信頼に応える制度となり、なお望ましい。

鹿野 道彦君(民主)

  • 与党や大臣でさえ官僚から情報が入らないような現状にかんがみれば、オンブズマンについては、与野党間で議論を衝突させるのではなく、官僚国家を脱して真の国民国家をつくるという視点で議論をすべきではないか。スウェーデンのオンブズマンのように軍事事項や機密事項にまでアクセスできる制度であれば、国民が納得できるものになる。また、これを憲法に明記していく努力の中から、真の民主主義が育っていくと考える。

和田 隆志君(民主)

  • オンブズマンの要否は、自律的チェックと他律的チェックの二つの側面から結論を出していくべきであると考える。
  • 自律的チェックとして、公務員制度改革の結果、公務員の仕事が国民にどれほど役立っているか分かり、一人一人の公務員が責任を持てるような制度になるのであればオンブズマンは必要ないが、そうでなければ必要である。
  • 他律的チェックとしては、国会の国政調査権があるが、議員自身がその行使に当たって自覚を持ち、節度を保つことも必要である。そのチェックが必要かどうか判断するに当たっては、与野党間の議論だけでなく、国民への報告という視点を第一に据えた他律的視点が必要である。国政調査権が十分な自覚と節度をもって行使されていない現状では、オンブズマンは必要である。

柴山 昌彦君(自民)

  • 行政に対するチェックは重要であるが、これをチェックすべき国会が機能不全である。ただ、この点については、先般の改正によって内容が充実した行政訴訟により補完を図ることが、訴訟には強制的な要素があるため、オンブズマンによる補完より実効性の面からも有効である。

<山花委員の発言に関連して>

  • 情報公開制度では不十分なため、オンブズマン制度が憲法上位置付けられていることが必要であるとのことだが、軍事情報等については、公共の利益を考量した結果、非公開となるであろうし、オンブズマン制度を設けたとしても、劇的に機能するかは疑問である。
  • 行刑における人権制限に対しては、監獄法の改正によって対処すべきである。行政苦情相談や市民オンブズマンの活動を高く評価するが、もしオンブズマン制度を憲法上規定すると、このような市民オンブズマンが一段下に見られるのではないかとの懸念を持つ。同時に、オンブズマンの予算の独立性や裁判上の手続について公益性に配慮できるかについての懸念も払拭できない。

園田 康博君(民主)

  • オンブズパーソンの役割は、行政のチェックとそれに基づく国民の権利擁護である。

<柴山委員の発言に関連して>

  • 行政訴訟制度や情報公開制度が不十分であるとは言わないが、実際には必ずしも十分に機能していない。情報公開法は、国民の「知る権利」を明記していないところに問題がある。情報公開法を変えるとともに、オンブズマン制度を積極的に導入するなど、国民の苦情処理の選択肢を広げていくべきである。

山花 郁夫君(民主)

<柴山委員の発言に関連して>

  • 行政訴訟においては、違法かどうかが争点となり、不作為の義務付け訴訟も重大な結果が生ずる場合にしか認められない。しかし、違法ではないが不当なものについても、オンブズマンへの申立てが累積し、やがて議会に勧告するということになれば、意味があるのではないか。
  • 行政からの資料が、憲法上の根拠に基づく請求であれば出てくるが、法律上の根拠に基づく請求だと出てこないことが多いという経験から、また、議会によるチェックを補完するという目的から、オンブズマン制度を憲法上位置付けるべきである。オンブズマンに守秘義務を課すこと等は、その後の制度設計の問題である。

三原 朝彦君(自民)

  • オンブズマンには、法律で救済されないものを救済するというイメージがあるが、それ以上の機能はイメージできない。政権交代が議員に危機感を与えるとともに、行政にも大いに刺激を与えるが、政権交代可能な状況下であれば、オンブズマンの必要性とされる行政監視の必要性がかなり解消するのではないかと思う。


《国際機関と憲法 〜特に国連憲章を中心として〜》

●各会派一巡目の発言の概要

葉梨 康弘君(自民)

  • 小泉首相は安保理常任理事国入りを目指すと表明したが、常任理事国として無制限ではないが必要な貢献を行うことができると考える。
  • 憲法は国家権力の限界を定めるものであり、これについて合憲の可能性があればすべからく行使できると考えられることから、どこまで合憲の可能性があるのかという観点から憲法について検討することが重要である。
  • 憲法9条1項は、パリ不戦条約や国連憲章を受け継ぐものであるが、国連憲章は武力行使を禁止しつつ、一定の条件下で集団安全保障や自衛権行使を認めていることから、同項は普通の国としての軍事力の行使を妨げてはいないと考える。また、9条2項は自衛権の行使や国際貢献のための実力は保有できると解釈できるなど、さまざまな解釈の余地があり、具体的な歯止めがない。このような憲法の下で、憲法の解釈は事実上、内閣法制局によって行われ、最大限拡大して解釈されている。
  • 以上のことから、(a)憲法上の問題点の洗い出し、より良い仕組み、解釈の問題点などを国会議員同士が審議するために国会に常設の憲法委員会を設置すること、(b)国連の集団安全保障に我が国がどの程度関与すべきか、集団的自衛権をどの範囲で認めるか、自衛隊の装備をどの程度防衛的なものに限るかについて、憲法に規定することの二点を提案する。

中川 正春君(民主)

  • 憲法は、民主主義を法的に担保すると同時に国家権力を抑制する役割を果たすものであることにかんがみれば、GHQの占領行政以後早い段階で、軍事力の保持及び専守防衛について明文化すべきであったと考える。
  • それをせずに解釈で対応してきたことが、我が国の国家としての意思を曖昧なものとし、周辺諸国に不安を与え、ひいては我が国に対する信頼の喪失につながってきた。これまでは米国の世界戦略に追随してきたが、世界の情勢が変化しつつある今日、我が国の国家としての意思が問われている。
  • この問題について、国際貢献の視点から考えると、冷戦の終了後、世界は新秩序を模索している最中であるが、その中で、テロの克服や破綻国家への対応が新たな課題となっている。国連による軍事的措置は、紛争終了後の暫定統治等の事後処理的平和構築では成功しているのに対し、事前予防の活動は大国の拒否権行使や一方的な武力行使等により失敗に終わっており、なお課題として残されている。このような現状にかんがみれば、我が国の国際貢献は、事後処理的平和構築に限定すべきである。
  • また、自衛権の視点から考えると、日米安保と対アジア政策との関連の中で我が国の安全保障政策を構想すべきである。私は、国連憲章の規定する自衛権については憲法に明記されるべきと考えるが、米国との同盟関係のみで自衛権を考えることは危険であり、むしろ、アジア地域の安全保障の中で議論がなされるべきである。

佐藤 茂樹君(公明)

  • 戦後9条の果たしてきた役割は極めて大きい。9条については、党内で活発に議論を行ってきた。(a)個別的自衛権及び集団的自衛権の行使が認められるか、(b)自衛隊の存在を認める規定を置くべきか、(c)国連による集団安全保障は認められるか、(d)国際貢献について明確化すべきかなどの個別論点については、意見が分かれている部分もあるが、党内では現行規定を堅持すべきとの意見が大勢である。今後、自衛隊の存在の明記や国際貢献の在り方を「加憲」の論議の対象とし、検討を進める方針である。
  • 個人的見解として、安保理常任理事国入りについては、それに臨む原則と役割を鮮明にすべきである。常任理事国入りしたとしても、軍事力の行使はせず、平和憲法を尊重し、人間の安全保障などの非軍事分野における多面的な協力をすることを国際社会に表明すべきである。こうした分野に実績があることから、武力行使には参加せず、現行憲法下で常任理事国としてふさわしい役割を果たすことができると考える。
  • 国連決議に基づくことや武力行使を目的としないこと等の原則を明確にした上で、国際貢献の根拠規定を「加憲」すべきである。なお、自衛隊の本来業務に国際協力を追加することは、ここ十数年間のPKO活動を踏まえると国民の合意が得られるものと考える。

山口 富男君(共産)

  • 国連憲章の特徴として、(a)国際の平和と安全を維持するためのルールを明確化したこと、(b)基本的人権の保障と生活水準の向上を恒久平和の土台と位置付けたことの二点を挙げることができる。
  • (a)については、国際紛争の平和的手段による解決及び武力による威嚇又は行使の禁止を定める国連憲章2条、安保理が平和に対する脅威や侵略行為の存在について認定するとする39条等から、個々の国が勝手に行う戦争を認めず、平和のルールが守られる世界自治をつくり上げようとする国連憲章の基本的立場を読み取ることができる。
  • (b)については、国連憲章前文に明記されている。国際人権規約をはじめとする一連の国際人権条約はこうした方向の下に誕生したものである。
  • 日本国憲法は、9条1項で国連憲章の言葉を取り入れているように、国連憲章の平和の達成を具体化したものというべきものである。また、9条2項では、戦力の不保持と交戦権の否認を明記しており、ここに世界の平和の流れの中で先端を行く到達点があると称されている。
  • 我が国は、戦争放棄を明定した9条を持つ国として、国際協力においても憲法の原則を貫き、災害、貧困等の人道問題に対して、非軍事的な手段による国際的な支援活動を行うことにより、9条を活かして世界に貢献する積極的な立場の表明を行うべきである。
  • 憲法は、人権規定について豊かな内容を有しているが、これは国連憲章の深い影響を受けたものであると言える。

土井 たか子君(社民)

  • 国連と憲法との関係については、(a)国連憲章前文と憲法前文とを比較して、両者には、細部において差異はあるものの、憲法が国連憲章の目指す方向と適合していること、(b)国連憲章は、7章で特別協定の締結によって兵力以外の便益の提供も可能である旨を規定しているが、我が国は、兵力の提供をしないという合意の下で国連に加盟していること、という二つのメルクマールがあることを認識して法的に判断していくべきである。
  • 集団安全保障活動への自衛隊の参加は、憲法上否定的に考えなくてはならず、特別協定で、我が国にとって可能なことと不可能なことを明確に区別すべきである。各加盟国によって集団安全保障への協力の内容はそれぞれ異なるものであり、集団安全保障活動への参加のための改憲は必要ない。
  • テロや紛争等の防止のためには、その原因を除去することが先決である。我が国は、人間の安全保障の観点から、生存権保障、教育面、衛生面等で貢献し、非軍事、民生、文民の立場を貫いて活動することが重要である。

●各会派一巡後の発言の概要

船田 元君(自民)

  • 我が国は国連中心主義を標榜しているにもかかわらず、憲法9条は国連憲章と整合性がとれていない。なぜなら、国連憲章42条の強制措置が発動するまで、同51条により個別的・集団的自衛権が認められているにもかかわらず、9条には何ら言及がないからである。今後は両者の整合性をとるという観点から憲法を見直していく必要がある。
  • 国連憲章42条に従って、強制措置が発動されたときには、集団安全保障措置に協力しなければならないが、軍事的な面については我が国は協力しなくてよいというつまみ食い的な見解については、意見が分かれるところである。
  • 従来の安保理常任理事国としての責務を現行憲法の下で全うすることは困難であり、日本の常任理事国入りは、慎重であるべきと考える。ただ、昨年、設置されたハイレベル委員会において国連改革が進められ、現在の常任理事国の責務が緩やかになるのであれば、憲法改正をしなくても常任理事国入りすることは不可能ではないと考える。その場合においても、国連憲章53条の旧敵国条項は削除されるべきである。

枝野 幸男君(民主)

  • 米国の保持してきた軍事力による紛争解決能力は、近代以降に見られる主権国家間の紛争に対しては極めて有効であったが、21世紀になると、主権国家間の紛争以上に、テロや民族紛争といった問題が大きくなり、このような紛争に対して、軍事力は必ずしも有効に機能しないことが明らかとなった。テロや民族紛争などを解決するには、国内の秩序の維持と国際協力が必要であり、今後、国際機関の意味付けがますます大きくなってくると考える。


葉梨 康弘君(自民)

<船田委員の発言に関連して>

  • 9条は1928年の不戦条約や国連憲章を受け継ぎ、国連憲章が自衛権を妨げるものではないことから、9条と国連憲章は矛盾しているとは考えない。

<枝野委員の発言に関連して>

  • 国際的なテロ組織は支援国家が介在する場合があること、また、東アジアにおいては国家間の軋轢が存在していることから、国家は現在においても重要な意味を持つ。ただし、地域的な枠組みによる総合的な安全保障の重要性は21世紀において大きくなると考える。

赤松 正雄君(公明)

  • 国際協力に対する我が国のスタンスは、湾岸戦争以前の「一国平和主義」や、その後のPKOに参加しさえすれば平和主義が貫かれるとする「PKO至上主義」を経てきたが、現在は、「多面的側面から行動する平和主義」が必要とされている。
  • 憲法は、「多面的側面から行動する平和主義」を実現するにしては、わずかな言及しかない。現行憲法の持つ高い質を認めた上で、足りない部分を加えるという「加憲」が合意を得やすいと考えており、個人的な意見としては、集団安全保障などの国際協力の規定を加えるほか、個別的自衛権を認め、集団的自衛権については概念整理をした上で認められる部分について加憲すべきであると考える。

山口 富男君(共産)

  • 小泉首相は安保理常任理事国入りを表明したが、米国の言いなりとなっている状態から抜け出すために平和のための外交努力をして世界の信頼を得ることが先決である。
  • 常任理事国になる場合には、国連憲章に規定される兵力の提供や軍事参謀委員会への参加が義務や責任となるが、これは9条と相反する。また、常任理事国入りは、9条を改定し、自衛隊を海外に派遣する目的と一体のものであり、軍事大国化につながるので、反対である。

<船田委員の発言に関連して>

  • 9条には国連憲章に規定されていることがきちんと書かれていないとされたが、平和主義について定める各国憲法においても、国連との関係は書き込まれておらず、当然のこととして憲法体系がつくられている。

<発言>

  • 集団的自衛権は憲法上行使できないとする解釈は、政府解釈にとどまらず、憲法学会でも当たり前のこととされている。この解釈を崩すことは9条の趣旨からはずれることになる。

野田 毅君(自民)

  • 憲法制定時、我が国は占領下にあり、「旧敵国」であったことから、国連軍等への参加は憲法の想定外であったと考える。9条は自衛権に対する制約を定めており、集団安全保障を否定しているのではない。前文を見ると、むしろ協力すべきと読むことができる。
  • 小泉首相は安保理常任理事国入りを表明したが、周辺国の理解を求めるといった環境整備をしておらず、また、集団安全保障に対する我が国のスタンスが明確でなく、米国の積極的な支持が期待できないことが想定され、戦略的な観点から構想を組み立て直すべきである。

枝野 幸男君(民主)

  • 我が国が安保理常任理事国入りすることや、国連の集団安全保障に協力することは、否定しない。ただし、旧敵国条項は事実上死文化しているとはいえ、その削除が最優先であり、その上で常任理事国入りを目指すべきである。

渡海 紀三朗君(自民)

  • 現行憲法の制定時と現在の状況は大きく変わり、我が国の国際社会における影響力が高まった。冷戦の終焉など国際情勢の変化の中で、我が国が国連の中で何を果たすべきかが問われている。
  • 我が国の国連安保理へのスタンスについて、確かに旧敵国条項の問題はあるが、まず常任理事国入りをするか否か、また常任理事国入りした場合にどのような貢献をするのかを明確にすべきである。
  • 我が国の国際貢献は、事後処理的な平和構築に限ったものではなく、軍縮等の分野で大いになし得ることができる。
  • 個人的意見としては、現行憲法下で集団安全保障に参加することは難しいと考えており、それを可能とするためにも新しい憲法を制定すべきである。

三原 朝彦君(自民)

  • 初めから手足を縛られている「やれない」のと、自由であるが自らの意思による「やらない」とは異なる。現在の日本の安全保障は、「やれない」ことが前提にあり、それを変えるために改憲すべきである。
  • 我が国の国連への関与は、非軍事的分野では大いに活動しているが、軍事的分野では制約の中でできる限りの協力をしているに過ぎない。コソボ紛争において大きな効果を発揮した国連の予防展開を我が国は「やれない」が、そのような「やれない」ことにも踏み込むべきである。

<船田委員の発言に関連して>

  • 安保理常任理事国入りという機運が高まる中、そのために努力することに問題ない。

佐藤 茂樹君(公明)

  • 安保理常任理事国入りに当たっては、それに臨む原則と役割を鮮明にすべきである。現行憲法では武力行使は不可能であり、そのような日本でも常任理事国入りが可能であるのかを国連の場で議論することが必要である。その上で、日本が常任理事国としてふさわしいのであれば、人間の安全保障など我が国が先駆的に取り組んできた分野で特色を発揮すべきである。
  • 国連憲章に旧敵国条項が残っていることや、憲章上の国連軍が一度も編成されていないこと、PKOが「憲章6章半の国際協力」と言われているといった状況は、現実の国際情勢に合っておらず、これらのことに対して日本は意見を述べていくべきである。

柴山 昌彦君(自民)

  • 9条を変えた方が平和になるのか、それとも変えない方が平和になるのかというコンセンサスがいまだにでき上がっていないように感じる。
  • 憲法には、現在の国際情勢の変化に合った規定を反映させていくべきである。
  • 国際貢献を行う際には、長期的には有形力の行使が可能となるようにすべきだが、当面は憲法と現実との乖離を解消していく努力をしていくべきであり、「直接的な実力行使を伴わない集団安全保障」への参加については憲法に規定していくべきである。
  • 集団的自衛権は、自然権の一つとして、その存在だけでなく、その行使についても認められるべきであり、現在の我が国は、集団的自衛権の行使を認めた上で自重しているという立場をとっていると解すべきである。
  • 常任理事国入りするからといって、軍事的措置に参加しなければならない必然性はなく、常任理事国入りすることで、国連の場で積極的に発言し、集団安全保障に対しても議論をリードしていけるのではないか。

船田 元君(自民)

  • 先程の私の発言は、現行憲法の前文に、国連中心主義が謳われながら、それを超越した形で9条が存在していることに違和感があり、憲法を見直す際には、国連憲章に沿った形に改めるべきであるという趣旨で述べたものである。
  • 安保理常任理事国入りに躊躇するものではないが、現在の国連憲章の下での常任理事国入りは、常任理事国のさまざまな責務と9条に照らして無理があるのではないか。常任理事国の拡大や性格の再定義等国連の改革が適切に行われるなら、それに積極的に参加していく態度をとることは当然である。

辻 惠君(民主)

  • 国連憲章と憲法との整合性がとれていないとの理由、あるいは常任理事国入りのための理由から憲法9条の改正が必要であるという主張があるが、9条を変えなければ常任理事国に入れないというわけではなく、ハイレベル委員会の議論等も踏まえつつ、国連の改革等を行っていけば、常任理事国入りするための改憲は必要ないと考える。
  • 9条を変えれば常任理事国に入れるのか、常任理事国入りに対して、近隣諸国の納得が得られるのか疑問である。無条件に米国のイラク攻撃を支持するなど戦略なき外交姿勢では、我が国は国際的なプレゼンスを失うのであって、米国のくびきから脱した独自の戦略的外交が必要である。
  • 従前の国連の枠組を超えたテロや地域紛争といった問題に対しては、我が国が世界的なルール作りや原則の確立にリーダーシップをとっていくことが必要である。

山口 富男君(共産)

  • 我が国は、9条を持つ国として、軍事分野における負担をしないという留保付きで国連の集団安全保障体制に加盟したのであって、これを基本として非軍事的分野での国連の平和維持活動を行うべきである。

<柴山委員の発言に関連して>

  • 集団的自衛権を定めた国連憲章51条は、暫定的、例外的なものであり、自衛権が自然権であるという考えは間違いである。このことは、世界において軍事同盟から脱退している国が多いことからも明らかである。

<野田委員の発言に関連して>

  • 憲法制定時には、国連憲章を念頭に議論しており、国連の加盟を想定していたことは明らかである。

中川 正春君(民主)

  • 我が国は、建前としては国連中心主義を標榜しているが、実際の我が国の歩みは、米国中心主義であったと考える。そうした傾向は、最近、さまざまな局面において加速しつつあるのではないか。
  • そのような状況では、周辺諸国から、我が国が対米追随と見られても仕方がない。もう少し、アジアという地域からの視点を持つべきである。

保岡 興治君(自民)

  • 国際的な安全保障に参加する前提として、自国の防衛能力を保有すべきだが、世界の現状は、一国のみで自国の防衛を達成することが不可能な状態にある。したがって、我が国にとって日米同盟は、決定的な同盟関係である。
  • 現在の憲法解釈では、我が国の周辺で武力攻撃事態が起きた場合でも米軍と十分に共同行動をとることができず、したがって、そのような事態が起きた場合、同盟関係に深刻な影響をもたらしかねない。
  • 国連中心主義といっても、アジア地域において問題が生じた場合、常任理事国である中国やロシアが公正な対処をなし得るかについては疑問が残る。
  • 我が国は憲法で軍事活動にさまざまな制約を設けているが、それでもなお、公聴会において猪口邦子公述人が述べたように、我が国の平和構築のための国際貢献は高く評価されている。我が国は、「平和大国」として、これまでの歩みに自信を持って行動すべきであり、国連の常任理事国入りを目指すべきである。また、平和構築活動における他国との協働を円滑に実施し得るよう、憲法を改正すべきである。

大出 彰君(民主)

  • 米国やロシアが唱えているような世界情勢の不安定要因を取り除くための先制攻撃論は危険であり、我が国は、武力行使を伴わない事後的平和構築に努力すべきである。
  • 米国との関係では、在日米軍の引き起こした事故に対する調査等において、我が国の「主権」を取り戻し、対等なパートナーシップを構築すべきである。

山口 富男君(共産)

<保岡委員の発言に関連して>

  • 軍事同盟は、集団安全保障体制をとる国連憲章の立場とは反する流れである。個別的・集団的自衛権を認める国連憲章51条との関係で、軍事同盟を直ちに国際法違反とは言えないが、少なくとも国連憲章の求める方向とは違うものである。
  • 世界的には非同盟の国が多数になっており、その点から、軍事同盟の問題を見直すべきである。今必要なのは、憲法に反する事態を変えることである。

鹿野 道彦君(民主)

  • 小泉首相が安保理常任理事国入りを表明したのは、多大な分担金を負担しているからという情緒的な理由もあるのではないか。しかし、安保理常任理事国入りは、よほどの覚悟がなければ実現できないと考える。
  • 北朝鮮問題をはじめとする現在の我が国を取り巻く国際情勢から、国連も大事だが今は日米同盟を重視すべきであるというのが国民の世論である。
  • 9条と国連憲章の関係や安保理常任理事国入りの問題について、我が国は国際情勢の将来的な変化を見据えて自らの行動を判断すべきであり、また、そういう視点からの議論が必要である。

保岡 興治君(自民)

<山口委員の発言に関連して>

  • 核の脅威がなければ、非同盟というような選択肢もあるかもしれないが、現実には核の脅威が存在する。我が国が単独で核の脅威に対応しようとすれば、膨大な財政支出や新たな軍事緊張の発生は避けられないことから、日米同盟は我が国の安全保障の中心に据えるべき現実的な政策であると確信する。
  • 我が国は、武力行使を目的とする集団安全保障に参加したとしても、前面・中心に出て行くような国ではない。なぜなら、日本には、古くから命を慈しみ、平和を愛するという「国柄」に加えて、先の大戦の悲惨な教訓を未来に活かすという「国柄」があるからである。
  • 我が国は軍事的には抑制的な国としての「平和大国」の道を考えるべきである。いずれにせよ、円滑な防衛や安全保障装置を欠くことのないように、法的根拠を明確にして、我が国の国家権力の行使についてしっかりと管理をする必要がある。

赤松 正雄君(公明)

  • 小泉首相による安保理常任理事国入りを目指すとの発言には、「国内政治の国際化」と「憲法改正論議のテコ入れ」という二つの狙いがあるのではないか。
  • むしろ、旧敵国条項の削除を優先させ、現行憲法のままでの常任理事国入りを強く主張していくことが大切である。ただ、仮に常任理事国入りが可能になった場合にも、今とはおよそ違う形態の常任理事国として参加することになると考える。

山口 富男君(共産)

<保岡委員の発言に関連して>

  • 核兵器の問題を日米同盟との関係で論ずるのは妥当ではない。核兵器廃絶のイニシアティブを我が国自身がとるべきである。
  • 米国は国連憲章にも反する先制攻撃戦略を公式の外交方針として掲げており、そのような国と同盟関係を結ぶこと自体が、日本の平和にとっては決定的に不幸であると考える。

長島 昭久君(民主)

  • 現行憲法は、国権の発動による武力行使を禁じているのであって、国連憲章7章の強制措置への参加は可能であると考える。これを阻んできたのは、内閣法制局による9条の誤った解釈である。
  • 常設の憲法委員会をつくるべきであるという葉梨委員の発言に賛成である。憲法の解釈権を内閣法制局に委ねるのではなく、全国民の代表者としての国会議員が解釈をし直すべきであると考える。