衆議院

メインへスキップ



質問本文情報

経過へ | 質問本文(PDF)へ | 答弁本文(HTML)へ | 答弁本文(PDF)へ
平成二十一年三月十九日提出
質問第二三六号

一九八〇年三月当時の在ソ連日本国大使館における大使館員の行動に係る内規等に関する再質問主意書

提出者  鈴木宗男




一九八〇年三月当時の在ソ連日本国大使館における大使館員の行動に係る内規等に関する再質問主意書


 前回質問主意書における質問に対して、「前回答弁書」(内閣衆質一七一第二〇〇号)では「お尋ねについては、当時の記録が残っておらず、お答えすることは困難である。」との答弁のみがなされている。右を踏まえ、再質問する。

一 一般に、外務省における内規に関する書類は、当該内規が廃止された後何年間保管されるか。
二 前回質問主意書で、一九八〇年当時、在ソ連日本国大使館(以下、「大使館」という。)においては、大使館員がソ連国内を行動する際は、単独ではなく必ず二人以上で行動する様義務付ける内規(以下、「内規」という。)があったと承知するが、「内規」はいつからいつまで存在したか、「内規」に違反した者に対する罰則は、当時設けられていたかと問うたところ、前文で挙げた答弁がなされている。右は「内規」を記録した書類が一切残されていないということか。
三 原田親仁在中国特命全権公使は、かつてソ連邦崩壊以前に「大使館」に勤務していたと承知するが、原田公使の他に、かつて「大使館」に勤務した経験がある外務省幹部は誰か、その者の現在の官職氏名を全て挙げられたい。
四 三の外務省幹部は「内規」の存在を記憶していると思料するが、それぞれに直接確認をした上で答弁を求める。
五 前回質問主意書で、現在内閣官房副長官の任に就いている漆間巌氏がかつて一等書記官として「大使館」に赴任していた時期に、当時の漆間一等書記官に対しても「内規」は適用されていたかと問うたところ、前文で挙げた答弁がなされているが、当方の問いに関し、外務省は漆間副長官本人に直接確認を取っているか。
六 五で、取っていないのなら、それはなぜか。
七 一九八〇年三月、「大使館」の防衛駐在官であった平野浤治氏らが、グルジアの首都トビリシを視察中にレストランで食事した際、毒を盛られたウォッカを飲まされ、めまいや吐き気、背中の激しい痛み等、毒物中毒の症状に襲われるという事件(以下、「毒ウォッカ事件」という。)が起きた。本年一月三十日、講談社より発行された『ドキュメント秘匿捜査』という著書(以下、「著書」という。)の七十一頁に「漆間は赴任後、早速トビリシに行き、『毒ウォッカ事件』の現場を視察している。スターリンの出生地であるゴリを見て歩いたあと、漆間は事件の舞台となったレストランバーに、客を装って入ったのである。」、七十三頁に「のちに警察組織のトップに立つ漆間は、警察官として単身、体を張って現場を視察したわけだが、平野の吐瀉物の鑑定が不可能だったこともあり、事件の真相は謎のままである。」との記述があるが、前回質問主意書で、右記述は事実を反映しているか、漆間副長官が「毒ウォッカ事件」の調査のため、単身で事件の現場に足を運んだというのは事実かと問うたところ、前文に挙げた答弁がなされている。右の当方の問いに対し、外務省は漆間副長官本人に直接確認を取っているか。
八 七で、取っていないのならば、それはなぜか。
九 漆間副長官は、「内規」の存在を記憶しているか。
十 漆間副長官は、「著書」の七十一頁と七十三頁に記述されている様に、「毒ウォッカ事件」の調査のため、単身で事件の現場に足を運んだことを記憶しているか。
十一 九と十で、漆間副長官が「内規」の存在並びに「著書」にある様に「毒ウォッカ事件」の調査のため、単身で事件の現場に足を運んだことを記憶しているのなら、それは当時として「内規」に違反する行動をとったことになると考えるが、漆間副長官は、当時その様な認識を有していたか。確認を求める。

 右質問する。



経過へ | 質問本文(PDF)へ | 答弁本文(HTML)へ | 答弁本文(PDF)へ
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.