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平成二十一年七月九日提出
質問第六五七号

陵墓に指定された古墳の実態に関する再質問主意書

提出者  吉井英勝




陵墓に指定された古墳の実態に関する再質問主意書


 宮内庁によって陵墓(陵墓参考地を含む、以下同じ)にされている古墳の実態について六月二十九日に質問主意書を提出したが、その答弁書(内閣衆質一七一第六一一号)の内容は考古学の調査知見から著しく乖離したものであった。また、文化財保護の上からも適切なものとは考えがたい内容であった。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 学術的観点から陵墓を調査することは、わが国のみならず古代東アジア全体の歴史や文化、外交の実態を解明するために寄与するものにならないという考えか。
(二) 奈良県桜井市の箸墓古墳をはじめとする巨大前方後円墳の多くが宮内庁によって陵墓とされ調査が自由にできないことは、古代史解明のための情報を包蔵する歴史資料が十分に活用されていない状況にあり、学術研究の進展を妨げているのではないか。
(三) 陵墓を調査することにより得られる情報には、皇室の静安と尊厳が保持できないものや、皇室の起源が明らかになるものが含まれると考えているのか。
(四) 宮内庁によれば、古墳に葬られている古代の皇室の歴史について「歴史学者の間でも諸説ある」としているが、最も古く考える説と最も新しく考える説の内容を、その提唱者とともに詳らかにされたい。
(五) 宮内庁によれば、箸墓古墳には考霊天皇の娘・ヤマトトトヒモモソヒメが葬られていることになっている。ヤマトトトヒモモソヒメは、いつからいつまで存在したと考えているのか。諸説があって一概に答えることが困難であれば、最も古い考えと最も新しい考えを示されたい。
(六) 皇室による陵墓の祭祀は神道の形式によって行っているのか。
 また、皇室による陵墓の祭祀はいつから始まったものか。古代から連綿と続いているものか。あるいは、幕末〜明治期から始まったものか。
(七) 陵墓の祭祀は古墳において行うのか、皇居内の皇霊殿で行うのか。あるいは、その両方で行うのか。
 また、皇室による陵墓の祭祀において参列する関係者とは、具体的に誰を指すのか明らかにされたい。
(八) 陵墓は国有財産法上、皇室用財産として宮内庁が管理しているものであるが、皇室の私有財産ではないという認識でよいか。陵墓が皇室の私有財産でないのならば、どういう理由から陵墓の祭祀に要する経費を天皇家の私的費用である内廷費から支出しているのか。
(九) 祭祀の前後に行う陵墓の清掃経費を、皇室費予算のうち皇室の公的活動のための宮廷費から支出しているが、政教分離の原則を定めた憲法二〇条との関係でどういう見解を持っているか。
(十) 答弁書ではヤマトトトヒモモソヒメの「薨去月日については、明確ではない」とされているが、なぜ九月一日を「ご命日」として箸墓古墳の祭祀を行っているのか。
(十一) 昨年実施した堺市の陵墓参考地・百舌鳥御廟山古墳の発掘調査現場のうち、宮内庁の調査現場を一般の見学者に公開しなかったのはなぜか、明確に答えられたい。
(十二) 百舌鳥御廟山古墳の調査は、宮内庁と堺市双方の調査員や作業員が、宮内庁が陵墓参考地として管理している部分でも双方が情報を交換しながら共同で進めたのではないのか。
 また、墳丘や周濠に設定したトレンチの土層観察や実測は、共通の認識のもと共同で作業しなければ行うことができなかったのではないか。明確に答えられたい。
(十三) 百舌鳥御廟山古墳に堺市と宮内庁が設定した詳細なトレンチ配置の関係を、今年度末の宮内庁書陵部紀要の発行まで明らかにすることができないのはなぜか。
(十四) 大山古墳と誉田御廟山古墳について、墳丘測量図作成の年次計画を明らかにされたい。
(十五) 帝室林野庁作成の箸墓古墳の測量図に表されている、後円部に引かれた等高線とほぼ垂直に交わって走る破線や、墳丘くびれ部を斜めに横切る破線は、何を表現したものか。
(十六) 宮内庁書陵部陵墓課の陵墓調査室には、陵墓調査官をはじめ研究職職員を複数配置している。採用の資格として大学院修士課程を修了した考古学専攻者であることが定められているが、宮内庁書陵部が考古学を専攻した研究職職員を配置する目的と必要性は何か。
 また、これらの職員に考古学的研究をさせないのか。
(十七) 前回質問主意書で指摘したとおり、大阪府茨木市の太田茶臼山古墳(宮内庁によれば継体天皇の墓)、奈良県天理市の西殿塚古墳(同じく継体天皇妃・手白香皇女の墓)、奈良県奈良市の市庭古墳(同じく平城天皇の墓)等の出土遺物等の考古学的知見は、宮内庁による陵墓治定の内容と明らかに時代が乖離している。しかし、宮内庁は「陵墓の治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されない限り、現在のものを維持していく」という姿勢である。考古学を専攻した研究職職員を擁する宮内庁は、これまでの考古学の学術的成果を無視、あるいは否定する立場に立つのか。
(十八) 本年六月二十四日の衆議院内閣委員会で、文化庁・高杉文化財部長は「古墳の被葬者について発掘調査で判明することは非常にまれ」と答えている。答弁書では「陵墓については、宮内庁として被葬者を治定しており」となっているが、陵墓にされている古墳において考古学的に被葬者が明らかになったものはあるか。
 また、答弁書では「文献等から皇室関係者が埋葬されていると考えられるものについては、陵墓参考地としている」。宮内庁により皇室関係者が埋葬されていると判断している陵墓参考地の考古学上の古墳の名称と、皇室関係者の古墳であると判断するに至った文献等の内容をすべて明らかにされたい。
(十九) 学術的な目的で、被葬者が特定できていない古墳を調査するため墳丘に上ったりトレンチを設定したりすると、被葬者の静安と尊厳が保持できないものになるのか。
 三世紀末〜四世紀初めの大王級の墓の一つと考えられる桜井市の前方後円墳・桜井茶臼山古墳が、奈良県立橿原考古学研究所によって発掘調査され、後円部の石室上部を盛り土して造られた長方形の壇を囲む柱の跡が確認された。これは神聖な空間を囲った「結界」のようなもので、埴輪を並べる葬送儀礼の前身ではないかと指摘する考えもある。桜井茶臼山古墳は宮内庁によって陵墓とされていないが、この桜井茶臼山古墳の調査は、被葬者の静安と尊厳を妨げるものであったか。
 また、今後、桜井茶臼山古墳では石室等の内部主体の調査が行われる予定か。
(二十) 被葬者が特定できない古墳であっても、宮内庁により皇室の先祖や皇室関係者が埋葬されていると判断されれば、その古墳の墳丘に上ったりトレンチを設定したりすると被葬者の静安と尊厳が保持できないことになるのか。
(二十一) 被葬者が特定できない古墳から出土した遺物を宮内庁が所蔵している根拠について、答弁書では「陵墓に関する調査・考証のため、必要な遺物を所蔵している」と答えている。しかし、陵墓として管理している古墳を調査し考証するために、被葬者不明の古墳から出土した遺物を必ずしも宮内庁が所蔵する必要はないのではないか。宮内庁が所蔵しないとその古墳の調査・考証ができないという考古学的根拠があれば示されたい。
(二十二) 宮内庁が所蔵する古墳出土遺物について、博物館等への貸し出しと研究者の調査受入れ等の実績を、考古学上の名称・陵墓の名称ととともに詳らかにされたい。
(二十三) 日本最大の前方後円墳・大山古墳の築造年代について「諸説あるもの」と答えているが、諸説の内容を詳らかにされたい。大山古墳を学術的に調査することは、諸説を解明する上で大きな役割を果たすものではないか。
 また、文化庁として、大山古墳の被葬者は明らかになっていると考えているか。
(二十四) アメリカのボストン美術館に所蔵されている大山古墳から出土したと伝えられる細線式獣帯鏡、三環鈴、馬鐸、環頭太刀について、答弁書では「その来歴について異説があるもの」と答えているが、異説の内容を詳らかにされたい。
(二十五) 大阪府・藤井寺市の津堂城山古墳の被葬者について、六月二十四日の衆議院内閣委員会で、文化庁・高杉文化財部長は「被葬者が判明する成果は得られていない」と答えているが、答弁書では「歴代皇后等の陵墓の可能性がある」となっている。どちらが正しいのか。
 また、宮内庁が「津堂城山古墳は歴代皇后等が埋葬された古墳」と考えている考古学的根拠を明らかにされたい。
(二十六) 津堂城山古墳から出土した長持形石棺の大きさについて、答弁書では「図説日本の史跡」(文化庁文化財保護部史跡研究会監修)から引用した数値を挙げているが、この古墳の石棺の計測数値については定まったものがないのではないか。石棺を正面・側面・上面などから精密に実測した図や撮影した写真はあるのか。
 この古墳の竪穴式石室を精密に実測した平面図や断面図、撮影した写真はあるのか。竪穴式石室の石材の種類と産出地等はすべて明らかになっているのか。石室の構築方法や構築手順は明らかになっているのか。副葬品の出土状況を記録した実測図や写真はあるのか。
 陵墓参考地にされているため、右に挙げた項目を改めて明らかにしようとしても不可能なのではないか。これらの実情は、学術研究上の支障になっているといわざるを得ないのではないか。
(二十七) 津堂城山古墳から大量に出土した朱の量について、答弁書では「約十三リットル」となっている。この古墳について記述した藤井利章「津堂城山古墳の研究」(『藤井寺市史紀要』第三集、一九八二年)によれば、「二十三・四リットル」、「約二十リットル余り」という二つの数字があるが、答弁書の数値は七リットル以上少ない。七リットル以上の朱はどこに消えたのか。宮内庁が紛失したのか。
(二十八) 古墳から出土する朱は、古代の葬送儀礼や死生観を考える上で重要な資料と考えられる。津堂城山古墳の大量の朱がどういう状態で出土し、副葬目的が何であったかを明らかにすることは学術的にも意義深いものと考えるがどうか。放射線分析や質量分析等の科学分析を含めて調査を行い、一般にも公開すべきではないか。
 また、津堂城山古墳のように大量の朱を副葬した古墳の実例は、他にどのようなものがあるか。
(二十九) 津堂城山古墳の、史跡に指定されていない内堤と外濠・外堤に想定される部分の発掘調査について、これまでの調査件数と、そのうち原状保存されている件数を明らかにされたい。
(三十) 津堂城山古墳の史跡指定範囲について、答弁書は「範囲を決定した根拠に関する資料が残っておらず、当時の状況は不明」としている。文化庁は、文化財保護審議会から答申を受けるための諮問に関する資料や、同審議会での議論の内容を記録した文書を廃棄したということか。これらの文書の保存年限は何年間と定められているか。
(三十一) 答弁書では、史跡の名称について「当該史跡を最も適切に指すものを名称として」いる。誉田御廟山古墳の被葬者について「学術的には確定しない」「被葬者が判明する成果は得られていない」(六月二十四日、衆議院内閣委員会での文化庁・高杉文化財部長の答弁)。応神天皇が葬られていることが明らかでない以上、史跡の名称は「応神天皇陵古墳外濠外堤」から「誉田御廟山古墳外濠外堤」と変更すべきではないか。重ねて見解を求める。
(三十二) 周濠部分が宮内庁管理の陵墓参考地の範囲から外れている古墳の例として、答弁書は土師ニサンザイ古墳(堺市)、百舌鳥御廟山古墳(同)、ウワナベ古墳(奈良市)、コナベ古墳(同)を挙げている。これらの古墳の周濠部分が陵墓参考地の範囲から外れた歴史的経緯を詳らかにされたい。
(三十三) 調査の結果、これまで周濠がないと思われていた古墳で新たに周濠の存在が確認されたり、周濠の外側でさらに周濠が検出され内濠と外濠の存在が確認されたりする事例が増えている。その結果、墳丘と内濠部分は原状に近い状態で保護されてきたが、地表下に埋まり存在が分からなかった外濠部分が開発によって破壊される事例が増えることが危惧される。地表から見えない周濠の部分も保護するため、その範囲を確定する調査を積極的に進めることが必要と考える。文化財保護の観点から適切な措置をとることは当然であるが、国としては地方公共団体の判断と措置に完全にゆだねる姿勢なのか。
 あわせて、巨大古墳が集中する大阪府と奈良県に所在する古墳のうち、墳丘の長さで上位から三十番めまでの古墳で、@周濠がないと思われていた古墳で周濠の存在が確認されたもの、A新たに外濠の存在が確認されたものの名称と所在地を明らかにされたい。
(三十四) 宮内庁が行っている陵墓の調査は、墳丘裾部が周濠の水によって浸食されることを防ぐための「護岸工事」に伴う事前調査である。本来ならば古墳の原形や規模を確認する目的での調査が必要なのではないか。
(三十五) 陵墓とされている宮内庁による古墳の護岸工事は墳丘裾部に礫を積み上げる工法がとられており、古墳築造時の墳丘の原形や規模を改変するものとなっている。この工法は古墳の築造時の姿を変えるものであり、緊急やむを得ない場合を除いては、この種の工事は控えるべきものではないか。
 また、この工事とそれに伴う事前調査は、宮内庁が当該古墳に埋葬されていると考えている皇室の先祖の静安と尊厳をそこなうものになっていないのか。

 右質問する。



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