質問本文情報
平成二十二年十月一日提出質問第一号
陵墓の治定と祭祀に関する質問主意書
提出者 吉井英勝
陵墓の治定と祭祀に関する質問主意書
奈良県高取町にある「車木ケンノウ古墳」は、文久年間に越智崗上陵という名前で斉明天皇陵に治定され、現在宮内庁に管理されている。このたび奈良県明日香村で、巨大な横口式石槨を持った七世紀後半と考えられる「牽牛子塚古墳」の発掘調査が行われ、八角形に並べられた凝灰岩製の石敷が確認された。牽牛子塚古墳は八角形の墳丘を持った古墳であることが明らかになったが、八角形の墳丘は天武・持統陵のように天皇陵級の古墳の特徴と考えられている。かねてから牽牛子塚古墳が斉明天皇陵と考える説があったが、今回の調査でその可能性はさらに高まっている。牽牛子塚古墳こそ本当の斉明天皇陵ではないかという考えが強まっている中、その学術的検証が急務と考えられる。
これまで、大阪府茨木市の太田茶臼山古墳(宮内庁によれば継体天皇の埋葬地)、奈良県天理市の西殿塚古墳(同じく継体天皇妃・手白香皇女の埋葬地)、奈良県奈良市の市庭古墳(同じく平城天皇の埋葬地)を実例にあげ、古墳の築造時期と宮内庁が考える被葬者の年代に大きな隔たりがある陵墓について、学術的調査を行って治定の変更をすることは当然であると主張してきた。これに対し、宮内庁の考え方は「陵墓の治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されない限り、現在のものを維持していく」というものであった。
よって、次のとおり質問する。
(二) 現在宮内庁が斉明天皇陵としている車木ケンノウ古墳からは、被葬者が斉明天皇であることを示す陵誌銘が出土しているのか。
(三) 車木ケンノウ古墳は「古墳」であるのか。古墳であるとすれば、その築造時期についてはどのような考えがあるのか、文化庁の見解を問う。
(四) 牽牛子塚古墳が真の斉明天皇陵であるか否かの検証と、宮内庁による現在の斉明天皇陵の治定が正しいのかという検証とを進める必要があるのではないか。治定の正否の検証を行う必要がないというのであれば、それは真の歴史解明を妨げるものとなるのではないか。
(五) 古墳から陵誌銘や被葬者名を特定できるものが出土する可能性がほとんどない以上、「陵墓の治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されない限り、現在のものを維持していく」という宮内庁の考えは、かつて一度決めたものは絶対に改めないということを意味しているのか。また、この考え方を是正することを検討すると考えないか。
(六) 現在の宮内庁の陵墓治定は、戦前に行われた古事記・日本書紀等における記録や口碑伝承に基づく調査によるものである。考古学をはじめとする最新の学術的知見を踏まえて陵墓の治定を再検討することは当然のことではないのか。またその結果、陵墓に該当しない古墳と考えられるものと分かれば、宮内庁の管理から外すことは当然ではないか。
(七) 陵墓(陵墓参考地含む、以下同じ)に治定されている古墳の多くは、幕末〜明治年間に現在の宮内庁が治定したものである。本年八月四日に提出した質問主意書において、古墳時代の陵墓での祭祀が、皇室の伝統に基づいて古くから途切れることなく連綿と続けられてきたのかどうか質した。これに対する答弁書では、奈良時代の養老令や平安時代の延喜式の記述をあげている。
では中世以降、宮内庁が陵墓として治定するまでの間も、皇室の伝統に基づいて祭祀は継続していたのか。現在陵墓に治定されている古墳で行われている皇室の伝統に基づく祭祀とは、明治新政府が新たにつくった儀礼ではないのか。明確に答えられたい。
また、陵墓に治定している古墳すべてについて、中世以降現在の陵墓治定が行われるまでの間も、連綿と皇室の伝統に基づく祭祀が行われていたという根拠を、証拠となる遺物と文献名とを示して明らかにされたい。
(八) 宮内庁刊行の陵墓要覧によれば、宮内庁が神武天皇陵に治定している奈良県橿原市の「四条ミサンザイ古墳」では、二〇一六年四月三日、神武天皇没後二千六百年に当たる式年祭を行う予定である。今から二千六百年前は縄文時代と考えられるが、四条ミサンザイ古墳は「古墳」なのか。古墳であるとすれば、その築造時期等についてどのような根拠によって、いつと考えているのか、文化庁の見解を問う。
(九) 宮内庁は来年度概算要求で、明治天皇陵第三鳥居の改築工事として、約四千八百万円の予算を要求している。改築工事の目的は何か。
(十) 陵墓に治定されている古墳の拝所に設けられている鳥居は、宮内庁が設置したものと思うが、何のために設けているのか。古墳の築造時から設けられていたのか。また、これらの鳥居は西暦何年から設置されるようになったのか、古墳ごとに明らかにされたい。
(十一) 本年八月四日に提出した質問主意書で、宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳について、陵墓の名称・考古学上の名称・被葬者名等を質した。これに対する答弁書の中で、宮内庁が第二十五代天皇と呼んでいる武烈天皇に関する記載がないが、古墳時代の六世紀初頭に没したといわれる武烈天皇は古墳に埋葬されなかったということか。
右質問する。