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平成二十四年八月二十一日提出質問第三七七号
七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
提出者 服部良一
七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
国立国会図書館関西館が所蔵している『金子順一論文集(昭和十九年)』(以下、単に「金子論文」という。)は、「雨下撒布ノ基礎的考察」「低空雨下試験」「PXノ効果略算法」等、八本の論文から構成されているが、これらの論文は旧陸軍七三一部隊(関東軍防疫部及び関東軍防疫給水部を指す。以下同じ。)に所属していた金子順一氏(故人)が単独ないし他者と共同で執筆したものである。
平成二十三年、NPO法人七三一部隊・細菌戦資料センターは、金子論文の中に七三一部隊の具体的活動を示す重要な記述が含まれていることを発見した。また、同年十月十五日、十六日付けの朝日新聞・東京新聞は、金子論文について「旧日本陸軍が一九四〇〜四二年、中国で細菌兵器を使用していたことを示す陸軍軍医学校防疫研究室の極秘報告書が見つかった」旨を報じた。
一方、アジア歴史資料センターがインターネット上に公開している公文書等の中には、未だ研究されていない七三一部隊の活動内容を示す多数の資料の存在が確認されている。
従って、次の事項について政府の認識を質問する。
1 右の「危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務」で、七三一部隊が行っていた業務とはどのようなものか。細菌の培養やワクチン製造を含むのか。また、右の「其ノ他危險ナル病原細菌」で、七三一部隊で取り扱っていた細菌とは何か。炭疽菌、鼻疸菌、結核菌を含むのか、以上明らかにされたい。
2 「不健康業務加算ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒」に記述されている「同部隊ニ在リテ直接該業務ニ從事スル公務員」で、恩給の加算申請をした七三一部隊員の人数は何人か。加算申請した隊員数を、将校、准士官、下士官、兵、技師、技手、雇員・傭人別にはそれぞれ何名か、明らかにされたい。
3 加算申請の際、七三一部隊員は「不健康業務」の内容について具体的にどのような内容を申告しているのか。具体的な申告内容で典型的なものはどのような業務内容か、明らかにされたい。
4 昭和五十七年四月六日、第九六回国会衆議院内閣委員会(同議事録九号)において、政府は七三一部隊の隊員数について、留守名簿に基づいて将校一三三名、准士官・下士官・兵これらあわせて一一五二名、技師・技手あわせて二六五名、雇員・傭人二〇〇九名、合計三五五九名という数字を明らかにしている。以上の七三一部隊の隊員数は、留守名簿の正確な記載か。七三一部隊の留守名簿に基づく将校、準士官、下士官、兵、技師、技手、雇員、傭人ごとの隊員数はそれぞれ何名か。また昭和二十年六月の時点の部隊略歴に基づく七三一部隊のハルビンの本部およびハイラル、牡丹江、孫呉、林口の各支部、大連の出張所の人数及び将校、準士官、下士官、兵、技師、技手、雇員、傭人の人数は何名か、以上明らかにされたい。
5 七三一部隊の隊員数を示している留守名簿や部隊略歴以外の公文書は何か。その公文書に記載されている七三一部隊の隊員数は何名か、以上明らかにされたい。
二 アジア歴史資料センターが公開している昭和十一年四月二十三日付け陸満密受第五五五号の関東軍参謀長板垣征四郎発・陸軍次官梅津美治郎宛の「在滿兵備充實ニ關スル意見」(陸滿密大日記)の「其三 在滿部隊ノ新設及増強改編」中にある「第二十三 關東軍防疫部ノ新設増強」の中に、「豫定計畫ノ如ク昭和十一年度ニ於テ急性傳染病ノ防疫對策實施及流行スル不明疾患其他特種ノ調査研究竝細菌戰準備ノ為關東軍防疫部ヲ新設ス 又在滿部隊ノ増加等ニ伴ヒ昭和十三年度以降其一部ヲ擴充ス 關東軍防疫部ノ駐屯地ハ哈爾賓附近トス」と記載されている。
アジア歴史資料センターが公開している関東軍防疫部(部長石井四郎)発、陸軍大臣板垣征四郎宛の昭和十四年八月十日付け陸満密受第一三〇三号の「軍需品調辨價格ニ關スル件」の、「軍機保護上ヨリ見タル寒天」で「本品カ食料品トシテノミナラス〇〇ノ培養基々材トシテ使用セラルルコトハ世界一般周知ノ事實ナリ故ニ軍ニ於ケル之カ大量調辨ハ直チニ〇〇戰ヲ髣髴セシメ我軍ノ企圖〇〇ノ研究、實施機關等ヲ察知セラルルノミナラス、現下ノ如キ現下ノ情勢下ニ於テハ各國共ニ諜報ノ耳目ノ活動活發ナル折柄ナレハ之カ調辨ノ事實及數量ハ絶体ニ秘匿セサル可カラス(後略)」と述べて多量の粉末寒天の購入を申請し、さらにアジア歴史資料センターが公開している昭和十五年九月三十日付けの陸支密第七六号で加茂部隊長石井四郎が陸軍大臣東條英機宛に発した「寒天調辨價格ニ關スル件申請」においても粉末寒天の調達方を要請している。
右の粉末寒天の購入や前記の「不健康業務」は、七三一部隊の設置目的である「細菌戰準備ノ為」に行われていたものかどうか、明らかにされたい。
三 金子論文の八本の論文のうち、最初に綴じられている「雨下撒布ノ基礎的考察」の「緒言」には、「(前略)部隊ニ於テハ斯カル見地ヨリ既ニ創立以來研究ヲ續ケ、昭和十三年、雨下用法草案トシテ其ノ一端ガ示サレタ所デアル。予ハ昭和十三年秋命ゼラレテ此ノ方面ニ於ケル理論的研究ヲ擔當シ今日ニ到ツタ。此ノ間石井部隊長ノ指導ニ依リ鋭意之ガ基礎實驗ヲ重ネ來ツタガ、顧ミルニ淺學非才何等加フル所ノ無カツタ事ヲ甚ダ遺憾トスル。今般從來ノ成績ヲ總括シテ將來ノ参考トスベキ命ヲ受ケ、此処ニ主トシテ昭和十四年以降ノ實験考察ヲ羅列シ更ニ若干將來ニ對スル希望ヲ開陳シタ(後略)」との記述がある。右の記述は、七三一部隊が細菌戦の実施手段である雨下ないし撒布実験を繰り返して研究開発していたことを推認させる重要な証拠である。
また「PXノ効果略算法」には「第一表 既往作戰効果概見表」があり、同表には、@昭和十五年六月四日に吉林省農安においてペスト感染蚤五グラムを撒布したこと、A昭和十五年六月四日ないし七日、吉林省農安・大賚においてペスト感染蚤一〇グラムを撒布したこと、B昭和十五年十月四日、浙江省衢県においてペスト感染蚤八キログラムを撒布したこと、C昭和十五年十月二十七日、浙江省寧波においてペスト感染蚤二キログラムを撒布したこと、D昭和十六年十一月四日、湖南省常徳においてペスト感染蚤一・六キログラムを撒布したこと、E昭和十七年八月十九日ないし二十一日、江西省広信、広豊、玉山においてペスト感染蚤一三一グラムを撒布したことを示している記述がある。右の記述は、七三一部隊が昭和十五年から昭和十七年にかけてペスト感染蚤を用いた細菌戦を中国国内で実施したことを強く推認させる重要な証拠である。
右のように七三一部隊が細菌戦部隊であり、中国に対して細菌戦を実施したことを強く推認させる金子論文の存在が明らかになった現在、政府は同論文及びアジア歴史資料センターが公開している公文書等を研究対象として、七三一部隊の活動内容を検証する作業を、内外の歴史学等の研究者と協力して開始するべきであると認識するが、政府の見解を示されたい。
四 中国の細菌戦被害者は、七三一部隊が細菌戦を行ったことを未だ認めていない日本政府に対して強い不信と憤りを抱いており、七三一部隊・細菌戦問題は日中友好の大きな障害となっている。
平成二十三年十一月、中国の細菌戦被害地の一つである湖南省常徳市では、細菌戦被害者が結成した「常徳市日軍細菌戦受害者協会」を同市政府が社会団体法人として許可し登録した。同協会の活動目的には、細菌戦被害者の謝罪と賠償を実現することが含まれている。政府は、同協会が中国の湖南省常徳市政府によって社会団体法人として許可され登録されたことを認識しているかどうか、明らかにされたい。
右質問する。