答弁本文情報
平成十九年四月六日受領答弁第一四八号
内閣衆質一六六第一四八号
平成十九年四月六日
衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員照屋寛徳君提出ウチナーンチュの法的地位などに関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員照屋寛徳君提出ウチナーンチュの法的地位などに関する再質問に対する答弁書
一について
大日本帝国憲法第十八条は、「日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」と規定しているが、この「日本臣民タルノ要件」を規定した法律で最初に施行されたものは、明治三十二年に制定された旧国籍法である。したがって、「日本臣民タルノ要件」とは、旧国籍法で規定していた日本人の要件又は日本国籍の得喪の要件と同じ意味となると解される。
徴兵令(明治二十二年法律第一号)第一条の「日本帝国臣民」の解釈について十分な資料がないため、お尋ねについてお答えすることは困難である。
お尋ねの「ウチナーンチュ(沖縄人)」が何を指すのか必ずしも明らかでなく、また、個々の法律の内容によることもあり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難であるが、一般論としては、沖縄については、昭和二十七年四月二十八日から昭和四十七年五月十五日までの間、日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号)第三条の下で、我が国は領有権を放棄しない状況にあったものの、米国が琉球列島米国民政府布令等を通じて施政権を行使していたため、現実には我が国の法律が実効性をもって適用されることはなかったと考えている。
当時、昭和二十七年二月二十九日の琉球列島米国民政府布令第六十八号(琉球政府章典)第三条にいう「琉球住民」である日本国民とその他の日本国民がそれぞれ有していた権利義務の内容は、三についてで述べた事情等を考慮すれば、完全に同一ではなかったものと考えている。
先の答弁書(平成十九年三月二十日内閣衆質一六六第一一二号)三についての「昭和四十七年五月十五日の沖縄の復帰前においては、日本国憲法は、観念的には同地域に施行されていた」との記述は、昭和四十七年五月十五日の沖縄の復帰前において、日本国憲法は同地域にも施行されていたと考えられるが、同地域について、日本国との平和条約第三条の下で、我が国は領有権を放棄しない状況にあったものの、現実には、米国が施政権を行使していたため、日本国憲法は、実効性をもって適用されることがなかったということを述べたものである。
先の答弁書(平成十九年三月二十日内閣衆質一六六第一一二号)四についてで述べた「戦争状態」に関する答弁は、法的な意味での戦争状態について述べたものである。また、沖縄については、昭和二十七年四月二十八日から昭和四十七年五月十五日までの間、日本国との平和条約第三条の下で、我が国が領有権を放棄しない状況で、米国が施政権を行使していた。