平成16年4月8日(木)(第5回)

◎会議に付した案件

1.参考人出頭要求に関する件

日本国憲法に関する件(科学技術の進歩と憲法)について、参考人から意見を聴取することに協議決定した。


2.日本国憲法に関する件

小委員会ごとに、小委員長から報告を聴取した後、自由討議を行った。


◎最高法規小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪憲法保障(特に、憲法裁判制度及び最高裁判所の役割)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

保岡 興治小委員長(自民)

  • 憲法保障 の最も有効な手段とされる違憲審査制を活性化させるためには、司法を健全に機能させることが不可欠である。
  • 司法制度の改革の方向性について、特に、憲法裁判所を設置すべきか否かは、なお、議論が必要と考えられる。
  • 今後は、オンブズマンなどの準司法機関の設置を検討することも含め、人権保障の充実化に向けた議論を行っていきたい。


●自由討議

計屋 圭宏君(民主)

  • 参考人は、最高裁判所の機構改革によって違憲審査の活性化を図るべきとの意見で あったが、具体的争訟が存在しなければ違憲審査を行えない現行制度のままでは、違憲審査が活発になるとは思われない。
  • 現行の違憲審査制度では、最高裁判所が憲法の番人としての役割を果たすことは 不可能であり、憲法裁判所のような憲法判断を専門に行う機関を設けるべきである。
  • 9条の 解釈に見られるような憲法のなし崩し的な拡大解釈あるいは選挙における一票の格差の問題のように裁判所の違憲判断が時宜を逸している現状は、現行の違憲審査制度の限界を示している。
  • 我が国もドイツのように憲法裁判所を設け、抽象的違憲審査を行うべきである。


船田 元君(自民)

  • 最高裁には「上告審機能」と「違憲審査機能」の二つの役割があるが、現状は「上告審機能」に偏っており、「違憲審査機能」がうまく機能していない。
  • 「違憲審査機能」を充実させるためには、「憲法裁判所」を創設すべきであるとの見解もあるが、「違憲審査機能」を独立させることは、事件との乖離を促し抽象論に陥るおそれ等があり問題である。
  • 現実的な解決策としては、(a) 最高裁内部に特に違憲審査を行う「憲法部」を設けることや、(b)最高裁判所と 高等裁判所の間に「特別高等裁判所」を設け、これに「上告審機能」を委ねることで、最高裁の機能を「違憲審査機能」に限定すること、などが考えられるが、私は後者の案が現実的であると考える。


山口 富男君(共産)

  • 憲法裁判所の導入に関しては、当調査会で招いた参考人の多くが消極的な意見であったが、私も同感である。
  • 現行違憲審査制の問題は、司法の独立の弱さに起因している。76条に規定されるように、裁判官には、下級審の段階から憲法を勉強し判断し現実をみる力をつけること、また、司法官僚制といわれる現状に対し独立して憲法を判断する力をもつことが求められている。今後も引き続き、違憲審査制の活性化という方向を探求していくべきである。
  • 憲法裁判所は各国で導入されているが、導入の背景は国によって様々である。そのような背景を考慮することなく憲法裁判所を導入したところで、裁判官の独立性に問題がある最高裁判所の現状を考えると、現実に機能するとは思われない。


棚橋 泰文君(自民)

  • 日本の司法制度は、事件性の原則の枠内で民意により選出されない裁判官が違憲審査を行っているが、世界的に非常に高い水準にあり、現在の司法制度の在り方は基本的に正しいものと考える。
  • ただ、法律及び行政行為の憲法適合性について、事件性がなくとも憲法判断をすべきという要請もある。このような場合は、非民主的な司法判断に委ねるより、両院がほぼ同機能を有しているという比較的珍しい我が国の二院制の現状を踏まえ、一方を「立法院」、他方を「立法適合性を判断する院」とすることも検討すべきと考える。


杉浦 正健君(自民)

  • 憲法裁判所の導入については、自民党の憲法調査会においても活発に議論されており、賛成意見が多数である。
  • 憲法裁判所の問題は、96条の憲法改正条項とも関係している。現行の憲法改正要件を緩和し、国家・社会の変化に即応できる憲法にしなければ、憲法裁判所の設置により違憲判決が出るようになっても、憲法を変えられないという問題が生じることになる。


赤松 正雄君(公明)

  • 司法の活性化を考える上で、憲法裁判所を設置すべきとの見解もあるが、政争の具になるおそれがある。むしろ調査官の体制を充実化させる等、現行の最高裁判所を改革していくことこそ大切であり、その機能を充実させるために特に「違憲審査機能」を担う「憲法部」を設けて現実問題に取り組むべきと考える。


仙谷 由人君(民主)

  • 昨日の福岡地裁の首相の靖国参拝違憲判決は、非常に多岐にわたる問題を含んでいる。
  • この裁判は、被告たる政府・公務員のある行為によって原告が精神的被害を受けたという構成の請求であるが、具体的事件性という点では無理のある構成である。しかし、このような法的テクニックを使わなければ、憲法判断を求められないのが日本の憲法裁判の現状である。
  • 首相は、今回の判決を一地方裁判所の判断であるとして無視し、靖国参拝を続けるのではないかと危惧している。憲法尊重擁護義務を負う首相が裁判所の違憲判断に従わないというような「法の支配」を踏みにじる在り様が国民に波及することを大変憂慮している。
  • 私は、最高法規である憲法が軽々に変えられるべきではないと考えるが、まったく改正できないとの態度もとらない。憲法についてしっかり判断を行える憲法裁判所を設置して、改正すべきところは改正するというけじめのある「法の支配」を創るべきである。


山花 郁夫君(民主)

  • 付随的審査制の下、我が国の違憲判決の効力の範囲は、通常個別的なものであり、その範囲内で国家機関の行為を縛るに止まるとされる。しかし、この国家機関を縛るという意味での判決の効力は、国民一般の受け止め方とは違い、実際には弱いと考える。
  • 昨年、法務省入管局が新聞社に対して憶測に基づく記事を掲載しないでほしいとの抗議をし、これが国家による「事前抑制」にあたるのではないかという事件等があった。このような事件について訴訟を提起する場合、現行法上、実際に訴訟でどのように争えるのかを考えたとき、訴訟物をどのように構成するかが大きな問題となる。そのような意味から、具体的争訟性を前提としない憲法判断を行うシステムをつくる必要性があると考える。
  • 司法の機構改革を考えたとき、その案を作るのは法務省になると思われるが、法務省には裁判所出身の者が多く、法案をつくる際に最高裁との調整を図られることを考えると、抜本的な改革は現実的に困難であり、制度設計そのものを改める必要があると考える。


山口 富男君(共産)

  • 仙谷委員が「法の支配」という問題を提起したが、同感である。昨日の判決は、国を相手とする訴訟として初めて明確に違憲と判断した重い判決であり、首相は靖国参拝をやめるべきである。
  • 一地方裁判所の判断であっても、行政に対して違憲と判断した以上、それを受け止めることが「法の支配」の貫徹という観点から重要である。
  • 憲法裁判所の問題は、人権保障の確保という視点から捉えるべきであり、96条の憲法改正要件の緩和と絡めようとすると、違憲審査制や各国の憲法裁判所の設置の意図が把握できなくなる。


小野 晋也君(自民)

  • 昨日、福岡地裁で首相の靖国参拝が違憲と判断されたが、政府のみに憲法を厳しく当てはめ、原告団に対してはこれを緩やかに解釈する、「ダブル・スタンダード」による判断がなされており、このままでは憲法の権威が損なわれるおそれがある。
  • 憲法を改正し、この種のあいまいな解釈を許す憲法を改める努力をしていくことは国会の責務である。
  • 靖国参拝を違憲と主張する国会議員は、首相の靖国参拝を制限する法案を出す努力をすべきではないのか。憲法を自分の都合の良いように解釈し、そうでなければおかしいと論じ、憲法の権威を損ねてきた今までの日本の政治の歴史を振り返り、憲法改正の議論を深めるべきと考える。


杉浦 正健君(自民)

  • 違憲判断に事件性を排除し、抽象的違憲審査制を導入するために憲法裁判所を設置すべきとする仙谷委員の意見に賛成である。
  • 現行憲法は、首相等閣僚が宗教施設に参拝することを禁じていないと考える。憲法は曖昧に判断されるようなものであってはならず、もし、参拝行為そのものを憲法が禁止しているのであれば、憲法を改正すべきである。
  • 首相の靖国参拝という行為が妥当であるか否かは国民が判断すべきであり、妥当であるとすれば、憲法を改正すればよい。そのためには、憲法改正がほぼ不可能な現行憲法を改め、憲法改正要件を緩めるべきである。


永岡 洋治君(自民)

  • 現行憲法は、司法が行政の継続性や国益に絡む高度な判断に踏み込んで、行政の継続性や国益を損なわしめる事態を予定していない。一裁判官による判断が国益に与える影響について、慎重に考える必要がある。
  • 私は、憲法裁判所を設置すべきであると考えるが、高度な政治問題に踏み込んで抽象的な判決をしすぎるのも問題である。憲法裁判所の設置を議論をする場合には、機構の在り方と憲法判断の効果を分けて考える必要がある。
  • 憲法改正の要件を厳格にしたまま、憲法裁判所に強力な違憲審査権を付与することは避けるべきと考える。憲法を経済・社会・国際情勢に合わせて改正し得る前提があって、はじめて裁判所の違憲審査機能を強化する意味がある。憲法改正手続の問題を含めて、憲法裁判所の議論を深めるべきである。


森岡 正宏君(自民)

  • 国の代表者たる首相が国のために命を落とした人々を祀る神社に参拝してはいけないとする昨日の福岡地裁の判決には、国民の一人として、理解に苦しむ。これは、一地方裁判所の判事が自分の私的な気持ちを判決という名の下に吐露したものではないか。それに対して控訴ができない仕組みはおかしい。
  • 昨日の判決は、占領時の神道指令の影響がいまだに裁判官の間に残っている証左であり、非常に問題である。
  • どのような形をとるべきかは別として、統合的に憲法判断ができる機構を作るべきである。


仙谷 由人君(民主)

<森岡委員の発言に関連して>

  • 首相の靖国参拝は、相当多数の国民からみれば、憲法を踏みにじる行為であり、一つ一つ決着をつける制度を作ることが大切である。


<小野委員の発言に関連して>

  • 99 条に「国民」と規定していないのは、憲法が国家権力に対する猜疑の体系であるからである。権力行使の統制手段として憲法が作られてきたという歴史的な経緯を考えれば、「ダブル・スタンダード」という発言は由々しき発言である。


◎安保国際小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪非常事態と憲法(国民保護法制を含む)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

近藤 基彦小委員長(自民)

  • 非常事態に関する規定の憲法上への明記の是非について、我が国の安全にとっての脅威が顕在化する現在、国民の生命・財産を守るという観点から、これを憲法上明記すべきであるとの発言や、非常事態に関する規定を明記した上で、その規定に基づき法整備を行うべきであるとの発言等があった一方で、現行憲法が非常事態対処について明文規定を持たないことの意義に言及する発言等があった。
  • 今国会に提出された国民保護法案については、その実効性について検討する必要があるとする発言や、国民に戦争協力を強いるものであるとする発言等があった。
  • 非常事態に関する規定を憲法上明記することの是非、非常事態の際にとられる措置と人権との関係といった、非常事態をめぐる憲法上の重要な論点について議論が行われた。今後も、国民の生命、財産を守ることが政治の責務であることを踏まえ、我が国の安全保障や国際協力等の在り方について議論を深めたい。


●自由討議

大出 彰君(民主)

  • 小針参考人から示された、(a)憲法に非常事態規定がないため、非常事態における人権制約の根拠は 公共の福祉に求めるしかないこと、(b)人権保障の在り方が多様かつ複雑になっていることや憲法の個人主義的世界観に基づく国民の保護等によって国家の支配が正当化されること、(c)「国民→地方公共団体→国」という防衛観の視座への転換が必要であること、(d)有事にこそ有事法制が効果を発揮し、国民の生命、身体及び財産を守り、国家の安全を確保するものであるという四つの視点から国民保護法制を検討すべきである。また、参考人と同様、非常事態の対処規定を憲法典に明記すべきと考える。
  • 国民保護法制は 憲法の枠内でつくられており、従事命令違反に罰則規定がないことなど、抑制的になっていることについて評価できる。


武正 公一君(民主)

  • 中国人の尖閣諸島不法上陸問題での一連の対応で明らかになったように、危機管理について現場任せに なっている。緊急事態に対処する場合の責任の所在、とりわけ内閣総理大臣、内閣官房の責任の明確化が必要であり、このことは、現行憲法下でも可能である。


船田 元君(自民)

  • 非常事態において、(a)為政者が超法規的措置をとるといった権限の濫用を防止し、(b)人権制約の根拠を明らかにする必要性から、非常事態への対処について憲法に明記すべきである。
  • 非常事態対処について、どの程度憲法に規定すべきかについては、為政者の濫用を防ぐ観点から、ドイツのように、ある程度詳細な規定を憲法に書き込む必要があるのではないか。
  • 非常事態に対処する規定だけではなく、有事から平時に戻るための非常事態のシステムの「停止条項」も 憲法に明記すべきである。


山口 富男君(共産)

  • 日本の憲法学では、9条があることにより軍事的事態は遮断されるとされ、非常事態規定は必要がなかった。参考人が述べた「軍事的公共性」に関わる事態において13条の「公共の福祉」を根拠に人権規定を制約できるとする説は、憲法学会の中では少数である。
  • 国民保護法制は、誰の ため、何のためのものであるかが問題であるが、今回提出された法案は米軍や自衛隊が円滑に活動できるようにすることが主眼となっている。
  • 周辺事態法では「後方地域」における物品・役務の提供が認められたが、米軍支援法案は、「後方地域」の要件が外れる等の問題があり、憲法上許されない。


赤松 正雄君(公明)

  • 個人的な意見としては、 緊急事態に対処する規定を憲法に設けるべきであると考える。
  • 緊急事態や安全保障に ついての基本法や対処の在り方について議論し、その上で、憲法上にどのように緊急事態対処規定を規定すべきかを検討し、将来「加憲」すべきと考える。


大出 彰君(民主)

<山口委員の発言に関連して>

  • 小針参考人の意見に全面的に賛成しているということではなく、有事法制における政府による公共の福祉の解釈には理解できない部分もある。また、憲法学会における公共の福祉の通説的見解から考えると、 人権制約の根拠になり得るかについては、なお疑問である。


<発言>

  • 国民保護法制の抑制的な部分は評価するが、過去に想定されたソ連に対する防衛という面を引きずっている ところや、国民の総動員をイメージさせる部分がある。国民の視点に立った法制度でなければ国民の納得は得られない。


中谷 元君(自民)

  • 武力事態等対処法等は、当然日本の国のため、国民のためのものである。国を守るための手段としては、 自衛隊や国際社会の協力、愛国心がある。
  • 国家が存在して初めて 基本的人権や自由が成り立つ。憲法に国を守る義務を規定するとともに、国を守り国を愛することを国民が当然と考えるように何らかの規定を設けるべきである。


武正 公一君(民主)

  • 自民、民主で合意した「緊急事態基本法」の制定や「危機管理庁」の設置は実現すべきであり、それらを通じて緊急事態に対処する場合の責任の所在、特に内閣総理大臣の責任を明確化すべきである。


山口 富男君(共産)

<中谷委員の発言に関連して>

  • 憲法に「日本国家は」という文言がなく「日本国民は」とのみ規定されているのは、憲法が国家権力に対して人権を保障するという近代立憲主義の流れに立っているからであり、憲法に国を守る義務がないことを指摘する中谷委員の憲法についての理解は、この点を認識していない点で誤っている。


辻 惠君(民主)

  • 50年先の将来を見通した上で、その時代に通用するものかどうかという視点で憲法を考えるべきである。国民国家・国家主権という概念は、歴史のある段階における概念であって、これを前提に50年先の社会の仕組みを考えることが適切かどうか疑問である。
  • EUは、経済的統合から政治的統合へと発展しつつあるが、このような地域共同体が醸成されているのが現在の世界の流れである。我が国周辺には、朝鮮問題等が存在するが、それを克服 した上で、東アジアにおける地域共同体を想定し、社会や政治の在り方を考えていくべきである。


中谷 元君(自民)

<山口委員の発言に関連して>

  • 国家があって初めて人権や私権が守られるのであるから、国防を否定したり国家について明確にしないままで人権を守ることはできないと考える。
  • 我が国憲法は、占領下で制定されたものであるから、改めて国を守ることの必要性や義務を明記すべきである。


増子 輝彦君(民主)

  • 戦後の日本の発展については、戦争がなかったことが重要な要素であったのであり、9条の戦争放棄規定は、憲法の重要規定として堅持すべきと考える。
  • 有事法制は 認められるべきと考えるが、それは国や国民を守るために整備すべきである。
  • 自衛隊は、専守防衛に徹するべきであり、海外における武力行使や有事における治安維持のための活動は許されない。
  • イラク戦争終結宣言から一年が経過してもまだ戦争状態は続いており、イラク全域が戦闘地域と言えることから、イラクへの自衛隊派遣は誤りであると考える。自衛隊の他国への武力の行使はあってはならず、自衛隊の在り方についても9条を守るという前提で議論すべきである。


保岡 興治君(自民)

  • 天災、自然災害、人災等にどのように対処するかについては、その本質についての議論を深めるべきで ある。すなわち、究極の人権保障とは何か、人間の社会性、共同体的価値を守るための価値とは何かについて考え、それを守るにはどうすればよいかを議論すべきである。
  • 先の大戦の教訓も大事だが、社会、国家、世界の平和機構、人間の尊厳等の本質を議論し、リスク管理を 可能とする思考を確立してこそ世界から信頼される国家となることができる。世界から優れていると評される憲法を求めて、改正の議論をすべきである。


武正 公一君(民主)

  • 松浦参考人から、FEMAの ような危機管理の一元的組織を設置する場合でも他省庁と横並びの機関とすべきではないという見解が述べられた。設置に当たっては、単なる調整機関としてではなく、内閣総理大臣や内閣官房に指揮監督権を与え、責任が明確となる組織とすべきである。
  • 国があって初めて国民の私権が保障されるという中谷委員の発言があったが、国民保護法制においては、私権の 制限や裁判権の制限ということも想定されるほか、我が国においては、人権の保護という観点からの取組みが遅れている点が現行憲法下でも危惧される。人権を守る諸条約への批准が遅れている一方で、捜査や取締りを内容とするサイバー条約等の批准を急ぐ点についても疑問を感じる。


◎基本的人権小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪公共の福祉(特に、表現の自由や学問の自由との調整)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

山花 郁夫小委員長(民主)

  • 公共の福祉については、現代的な問題に対処するためには「公共の福祉」を広く実効的に認めていくべきであるとの意見が出される一方、「公共の福祉」はあくまでも人権が衝突した場合の調整原理であるとの意見も出された。
  • 公共の福祉による人権制限に議会が重要な役割を果たすべきであるとの参考人の意見に賛成する意見が見られるとともに、議会の判断のしやすさという点からも、「新しい人権」を積極的に憲法に明記すべきではないかとの意見も出された。
  • 人権制限をいかに理論付けるかは、基本的人権の在り方にも及ぶ最重要課題の一つである。特に、表現の自由は、基本的人権の中でも中核をなし、民主主義において不可欠の前提をなす大変重要な意味を持つ自由であり、その制限は慎重に行わなければならない。
  • 「人権と公共の福祉との調整は、議会の定める法律の形式で行われるべきである」との参考人の指摘は、大変示唆に富むものであった。なぜなら、普遍的な価値を持つ人権が制限されるためには、行政の裁量などに委ねるのではなく、まさに「唯一の立法機関」であり、民主主義の基盤に立脚する国会が、本質的な部分を立法によって定めてこそ、初めて正当化されると考えるからである。


●自由討議

小野 晋也君(自民)

  • 19条は思想良心の自由を保障し、20条は信教の自由を保障しているにもかかわらず、首相の靖国参拝が違憲だとするならば、首相になってしまうと「何人」に対しても保障されるはずのこれらの権利が保障されなくなってしまうことになりかねない。首相の靖国参拝を違憲と主張するのであれば、これを禁止する法案を国会に提出し、国会において堂々と議論を行うべきである。
  • 99条に「国民」が規定されていないことは憲法がそもそも国家権力を統制する性質であることを示すものであって、政府のみに対して憲法を厳しく当てはめることはむしろその性質に沿うものであるとの意見があったが、それでは首相になってしまうと32条の裁判を受ける権利は保障されなくなってしまうのか。
  • 「公共の福祉」の内容も「個人の人権」も多岐にわたるようになってきており、単なる二項対立図式ではなくなっている。したがって、多くの要素を考慮して調整を行わなければならないが、司法にその能力があるか。裁判以外のルートによる調整を考えなければならない段階にきていることを指摘したい。


中谷 元君(自民)

  • 出版の自由とプライバシーの問題に関しては、司法の判断もまちまちに分かれているが、その際、基本的人権の尊重を念頭に置くべきである。表現の名の下に暴力的な出版によってプライバシーを侵害する事態が起こっており、憲法上、表現の自由に何らかの制限をかけることも検討すべきである。


倉田 雅年君(自民)

  • アメリカにおける制度を参考にして、下級審において違憲判決が出たときは、事件自体とは切り離して最高裁に憲法判断を仰ぐことを目的として上告できるといった制度を法律レベルで設けてはどうか。憲法裁判所を設けた場合、「政治の裁判化」や「裁判の政治化」を招くなど弊害が考えられるため、現行憲法の枠内で違憲審査制度の充実化を図るべきであると考える。


山口 富男君(共産)

  • 参考人は日本国憲法の人権カタログは豊富であると述べたが、これは重要な点である。
  • 人権を人権によって制限することはできないが、人権がぶつかり合う場合に、これを調整するのが「公共の福祉」である。その調整に関して、参考人が「議会の定める法律の形式で行われるべきである」と強調したが、調整に際しての基準を法律で示すことは、我々に課せられた重大な責任であると考える。同時に、「国家権力」のために人権を制限することは絶対にできないとの参考人の指摘も重要であったと考える。


<小野委員の発言に関連して>

  • 首相の靖国神社参拝問題は、憲法上位置付けられたいわば国家機関である首相が靖国神社参拝を続けていることが政教分離原則に反して違憲であるということであって、これを基本的人権の制約や公共の福祉との関係で論じ始めると、憲法論がめちゃくちゃになってしまう。


>辻惠君(民主)

  • 多様な意見が見られる現代社会では、感情論ではなく論理的な説明を行うことが必要である。20条3項が信教の自由を守るための制度的保障として定められたとの歴史的経緯と、99条に憲法尊重擁護義務が規定されている点にかんがみれば、首相による靖国神社参拝は20条3項に反するとの判決が出されたことは当然であり、私もこれに賛成である。


>小野晋也君(自民)

  • 靖国参拝の問題を解釈するに当たって、「公共の福祉」を持ち込むべきではないとの山口委員の意見は現実に即したものではなく、憲法判断はさまざまな条項をしっかり斟酌してなされるべきと考える。私は、靖国訴訟を「公共の福祉」との関係で述べたのではなく、首相の信教の自由が損なわれるという点から発言したのである。
  • 閣僚の行為などが宗教と関わりを持ったかどうかを判断する際、憲法の条文を都合よく使って政教分離に違反しているとする意見もあるが、これは言ってみれば「憲法の部分どり」であって、このような解釈は好ましくない。


赤松 正雄君(公明)

  • 公明党は、「新しい人権」を憲法に明記する「加憲」を主張している。
  • 小委員会における松本参考人と我が党の太田委員との議論は、この問題についての集約的な議論であったと考える。
  • プライバシー権に関しては、参考人は、すでに憲法上に根拠を見出すことができることから、これを明記することに消極的だったが、私もこの意見に賛同する。
  • 一方、環境権に関しては、「国家の義務として明記すべきである」との参考人の意見に賛成であり、25条の規定に書き加えることもよいのではないか。


山口 富男君(共産)

<小野委員の発言に関連して>

  • 小野委員の発言は、靖国参拝問題を「政教分離原則」の問題ではなく、「公共の福祉」の問題として捉えているとしか解釈できない。
  • 靖国参拝の問題はまさに20条3項の政教分離の問題であって「憲法の部分どり」などではない。


山花 郁夫君(民主)

  • 名誉権とプライバシー権はしばしば混同して用いられているが、表現の自由を制約する際には、名誉権が謝罪や反論によって回復され得るのに対して、プライバシー権の回復は難しいという違いがあることを踏まえて論じられるべきである。こうした人権の調整を行うに当たっては、人権の性質に応じて、(a)憲法に明記する、(b)議会が法律を制定する、(c)司法府が解釈するという三つの段階に分けて議論すること重要である。


◎統治機構小委員会の経過の報告聴取及び自由討議  
≪財政(特に、国民負担率の問題を含む社会保障の財源問題、国会による財政統制)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

鈴木 克昌小委員長(民主)

  • 財政統制に関しては、複数年度予算を考える必要があるとの見解、憲法に健全財政主義を明記すべきとの見解等が述べられた。
  • 社会保障に関しては、25条は社会保障等について国の責任を規定した点を重視すべきとの見解等が示されたほか、社会保障に関する憲法規定の在り方、国民負担率の現状や将来許される水準、企業の税負担の在り方、義務教育費国庫負担の在り方、スウェーデンの年金制度改革の評価、我が国が目指すべき福祉国家モデル等をめぐり、多様な見解が示された。
  • 我が国において、国会による財政統制や社会保障の財源問題といった財政に係る問題は今後ますます重要性を増してくると考えられること等にかんがみれば、引き続き総合的見地から議論を深める必要があると感じる。


●自由討議

古屋 圭司君(自民)

  • 我が国の財政状況について、ややもすると借金ばかりが強調される結果、将来の希望が持ちにくい状況となっているが、政治家は、我が国の外貨準備や海外に対する貸付金等の金融資産があること等、財政についての総合的な情報を国民に開示し、国民自身が自らの目で財政活動や政治の決断をチェックすることが可能となるよう、努力しなくてはならない。
  • 89条に関連して、憲法解釈上も私学助成は合憲であるとされ、予算措置もなされているが、同条は議論を誘発する規定であるため、この条項は削除又は改正をすることが適当である。
  • 今後、社会保障の強化・再編が必要と考えるが、いわゆる高福祉・高負担は経済の衰退を招きかねず、すべてを税金で賄うという発想には限界がある。そこで、自助・公助・共助の適正な役割分担が必要であるが、その際、家族の再生という視点が大切となるのであり、憲法に家族の絆の重要性を謳う等の規定を加える考え方が必要である。


鹿野 道彦君(民主)

  • 法律案は「法律案」として国会に提出されるのに、予算は「予算案」ではなく「予算」として提出されている。また、予算は国会において増減額修正の制約があるとされている。極論すれば、国会は、予算についてはイエスかノーかを言うだけになっており、予算関連法案の提出要件も厳しくされた経緯もある。これに対して、米国では、予算も法律であるという考え方から、予算委員会で大枠が作成される。
  • 米国議会において国民に十分な情報を提供できるのは、議会予算局(CBO)に負うところが大きい。我が国では、日本版GAOの導入について注目されているが、日本版CBOの創設を検討すべきである。


山口 富男君(共産)

  • 25条は社会保障に関する国の責務を定めており、他国の憲法と比較しても豊かな内容を持つ規定である。社会保障に関する国の責務は「公助」に関わるものであるが、いわゆる「骨太の方針」が出て以降、行政の文書から「公助」という言葉が消えている。年金については、25条に規定する社会保障の権利、国の責務の角度から審議していく必要がある。
  • 89条は、判例上、憲法解釈上安定しており、改正の必要はない。


船田 元君(自民)

  • 現在、国は、巨額の累積赤字を抱えるなど厳しい財政状況にあり、健全財政主義を憲法に位置付けるべきである。また、財政民主主義については、現行憲法にも規定されているが、一般会計の他に特別会計等が林立し、複雑化する中で、国会が十分に財政統制をできない状況にあり、改めて、憲法に財政民主主義を位置付けるべきである。
  • さらに、予算単年度主義については、それを原則としつつ、財源を伴う予算の繰越しを認める例外を憲法に明記すべきである。
  • 国会による決算審査機能の強化については、これまでもなされてきたが、不十分であり、機能強化のため、衆議院が予算審議、参議院が決算審査をそれぞれ専門的に行い、そうした審議が、予算作成に反映できるようにすべきである。また、そのために必要な憲法改正は、大いに行うべきである。


永岡 洋治君(自民)

  • スウェーデンは、社会保障が完備された国であるが、老人の自殺が多いなどの実態がある。社会保障の在り方は、公と私の役割分担をどのようにしていくかなど、まさに政治が選択すべき問題である。その際、家族が大きな役割を持つのは当然であり、憲法において、家族の再生について規定すべきである。