平成16年4月15日(木)(第6回)

◎会議に付した案件

日本国憲法に関する件 (科学技術の進歩と憲法)

上記の件について参考人木村利人君から意見を聴取した後、質疑を行った。

(参考人)

 元早稲田大学教授、早稲田大学国際バイオエシックス・バイオ法研究所元所長         木村 利人君

(参考人に対する質疑者)

 中山 太郎会長

 水島 広子君(民主)

 斉藤 鉄夫君(公明)

 吉井 英勝君(共産)

 阿部 知子君(社民)


◎木村利人参考人の意見陳述の概要

1.環境破壊―Genocideの悲劇

  • 私は、1970年代にベトナムの大学で教鞭をとっていたとき、ベトナム戦争当時の枯葉剤作戦の実態を知り、愕然とした。枯葉剤作戦がもたらした「ジェノサイドの悲劇」により、ベトナム側のみならずアメリカ側も遺伝子が汚染され、深刻な事態をもたらした。私は、科学技術の悪用・誤用が人間の生命に極めて長期にわたって惨害・被害を及ぼすということを身をもって体験したのである。
  • ヒトゲノム解析プロジェクトは、月への到達に比肩しうる偉業であり、バラ色の未来が開けるように言われることもあるが、当初、アメリカにおいてこのプロジェクトを推進したのは、エネルギー省であった。エネルギー省の前身がABCC(原子爆弾戦傷委員会)であり、ABCCが被爆直後の広島・長崎で被爆者の遺伝的データを収集していたことはあまり知られていない事実である。私は、バラ色のヒトゲノム解析プロジェクトを見るとき、それがヒロシマ・ナガサキの悲劇からつながっているということを考え、科学技術の進歩とはいったい何なのかということを考える。
  • そこで私は、「いのち」の問題を、さまざまな研究領域の枠を超えた「超学際的」学問として把握し直す「バイオエシックス」の構築を試みてきた。


2.生命尊厳の根拠―Life Manipulationの規制

  • 私が1972年にジュネーブの大学に移ったとき、既に先端医科学技術をいかに人間の尊厳と重ね合わせて考えるかというプロジェクトがWHOにおいて進んでいた。
  • 1973年にチューリヒで行われた“Genetics and Quality of Life”という会議は、 (a)「いのち」の問題は、命の専門家と称する人々のみに任せてはならない、(b)そのためには、学際的な共同研究を行い、(c)国内的ガイドライン、ひいては国際的ガイドラインをつくる必要がある、という三点を示したことにおいて、世界各国の立法府に大きな影響を与えた。私は、医療の専門家に限らず、様々な人がその会議に参加しているのを見て、公共政策(public policy)を国際・国内で、「公開の場」でつくることの重要な意味を教えられた。
  • 先端生命科学技術の分野において、この会議の手法を取り入れ、あるときまでは学会の専門家・医療や健康の行政担当者が中心になってガイドラインを作っていたシステムが大きく変わることになった。


3.未来文明へのImagination

  • ジュネーブでの仕事を終えて、私はハーバード大学に移った。そこでアメリカ憲法学の泰斗であるトライブ教授の憲法セミナーに参加したが、そのセミナーには“Biomedical Technology, Biofantasy and Law”という副題がついており、教材がサイエンス・フィクション書であることに驚いた。
  • 我々は通常、法律は社会の後追いをするという発想しかできないが、ハーバード・ロー・スクールにおいては、法律が社会に影響を与えて変化させるという発想・500年先を見て議論をするという発想がなされている。私は、これを「Legal Fictionによる社会変革」と呼んでいる。
  • この発想のもとにおいて、ニューディーラー達が理想に燃えて取り組んだのが戦後の占領期における日本国憲法である。一方において、アメリカが日本に対してしたもう一つの実験が優生保護法による人工妊娠中絶の許容であり、それによる日本の人口の抑制であるが、これはアメリカ国内において批判を受けた。
  • 人間のいのちを、いかなる国であれジェノサイドするということは、それが戦争という形をとらなくても、決して行われてはならない。


4.IT時代のPrivacy

  • かつては、日本のみならず世界各国において、医療の情報は、患者に流さないことが当然であった。しかし、現在は、自分の情報を入手し、それに基づいて自分で判断する時代になった。
  • いまや日本においても定着したということができる「インフォームド・コンセント」というカタカナ用語は、1980年に私が紹介し、主張してきたものであるが、治療の内容をわかりやすい言葉で説明し、最終的には患者がそれを理解、納得、同意し、治療に参加するという点で「説明と同意」や「納得診療」とは異なるものである。
  • 健康情報については、健康情報を知る権利や健康情報管理者による守秘義務など様々な問題がある。


おわりに

  • 私たちは、今の日本を考えるだけでなく、100年先、200年先の日本を見据えて、人権・平和・人間の尊厳の方向性を考えていかなければならない。

◎木村利人参考人に対する質疑の概要

中山 太郎会長

  • 先端生命科学技術に対する規制は、アメリカでは連邦法レベルの法的規制には消極的だが、ヨーロッパでは包括的な法的規制を設ける傾向にあり、日本ではクローン技術等規制法が、人の体細胞クローン等の個体を作ることは禁止しつつも人クローン胚等を使用した研究自体は禁止していないなどそれぞれ方式が異なっている。国によってこのような違いが生じた背景は何か。
  • ドイツ基本法1条1項が「人間の尊厳」規定を定め、スイス憲法119条が「人間の領域における生殖医療及び遺伝子技術」に関する規定を定めているように、最近、生命倫理規定を各国憲法に採り入れる例が多く見られる。このように憲法で先端生命科学技術に関連する規定を置くことについて、参考人の意見を伺いたい。
  • 参考人は、バイオエシックスの考え方の基本は、「いのち」を守ることにあり、先端科学研究が人の「いのち」を軽く扱うおそれがあることに対して警鐘を鳴らしている。一方で、日本は現在少子高齢化が進み、憲法制定時に比べ平均寿命が非常に延びている実情がある。また、医療発達に伴って行われるようになった「延命治療」はかえって患者の自己決定権を侵害しているのではないかという議論もある。そこで、尊厳死やオランダで法制化されている安楽死の問題について、どのように考えるか。
  • 少年による殺人事件などが多発する現状にあって、命の大切さについて教育の場でいかに教えていくべきかは重要な問題であり、ドイツの学校には、「人間の大切なもの」について教える時間を設けているところもある。この問題について国家としての包括的な考え方や方針を打ち立てるべきと考えるが、いかがか。
  • 近年の高度情報通信社会の進展にかんがみれば「知る権利」は重要であると考える。また、電子政府の構築により個人情報が行政府に集められる時代となり、民間企業などにより個人情報の流出事件が多発していることから、個人情報保護は喫緊の課題となっている。個人情報保護などについては、諸外国では80年代以降憲法に定められるようになっているが、我が国も同様に憲法に規定すべきではないか。
  • 知財高裁の設置が具体化しているように、知的財産権など理工系の知識を必要とする訴訟が多くなっているが、裁判官が約3,000人おり、裁判所が547庁設置されている中で理系出身の裁判官はわずか8人という現状である。いかにしてこの現状を改善していけばよいかを含めて、科学技術の進歩に対する司法の在り方はどのようであるべきと考えるか。
  • 諸外国では知的財産権の保護や環境に関する事項を憲法で保障している国が多く、それらはいずれもこの2-30年の内に制定されたものであり、日本国憲法の制定当時では予測できなかった事柄である。日本も科学技術立国として、こうした規定を基本法たる憲法に明記することは重要であると考えるが、いかがか。


水島 広子君(民主)

  • バイオエシックスが扱う領域には、人間や動物の生命・尊厳に止まらず、人間の価値観等も含まれると理解してよいか。
  • バイオエシックスにおいては自己決定の視点が重要であるとの参考人の意見に賛成である。一方で、バイオエシックスに関する社会的なガイドラインを作成することもまた重要であるが、その際、ガイドラインの内容と自己決定の内容とが相反する状況が生じた場合、それをどのように整理すべきか、伺いたい。
  • ガイドラインの作成に当たっては、市民による公開の議論によって行うべきとの参考人の意見に賛成であるが、その際、十分な情報が提供されていることが重要であると考える。特にバイオエシックスの分野では、少しの知識の差で意見が180度変わり得ることもあり、情報提供の重要性は非常に高いが、情報提供を担保するための方法について伺いたい。
  • 自己に関する情報を持ち、自己決定できるという基本的なことを教育で教える必要があると考えるが、この点について参考人は何かアイデアをお持ちか。
  • 何らかの意思をもって他人を攻撃するジェノサイドとやむを得ずに最後の手段として選択しなければならない中絶とを同列に論じることはできないと考えるが、参考人は、この問題をどのように捉えているか。また、我々はこの問題について、どのように考えていかなければならないか。
  • バイオエシックスを考える上での中核的な問題は、先端技術が良いか悪いかについて議論をすることではなく、それを裏側から支えていく仕組みを考えていくことであると考えるが、いかがか。
  • 知る権利を保障するに当たり、医療の現場ではカルテの開示が問題となるが、近時、民主党も患者の権利法案を作成し、医療情報を患者と医者が共有すべきものと考えている。しかし、カルテの開示に際して、精神障害等について、どうしても例外規定を設けなければならない場面もある。知る権利を担保する上での限界領域について参考人の意見を伺いたい。


斉藤 鉄夫君(公明)

  • 宗教的土壌という観点から見た場合、バイオエシックスはどのように捉えられるか。
  • キリスト教やイスラム教のような一神教的な世界と、アジアのような世界とでは「いのち」に対する基本的な考え方に違いはあるのか。
  • 憲法には「個人の尊厳」が規定されているが、個人の尊厳ばかりが強調され公共の利益が軽視されているのではないかという議論も見られる。この点、私は「個人の尊厳」のさらに上位の概念として「生命の尊厳」を憲法に明記すべきと考えるが、いかがか。
  • 我が国のクローン技術等規制法は、人クローン技術を禁止するが一定の研究はガイドラインによる規制にとどめるとしている。受精卵の研究については、これを「生命の萌芽」とみなすべきか否かといった議論があるが、参考人の意見を伺いたい。
  • 生命科学技術に関する知識では、社会と専門家集団の間に乖離が見られるが、両者を介在する存在がマスコミであるとも考えられる。参考人はこれについてどう考えるか。


吉井 英勝君(共産)

  • アインシュタインは、原子爆弾の開発に関与したが、その使用には反対した。科学者は、科学者として、また、一人の人間として生命の尊厳を考える社会的責任を負っている。日本でも1966年に日本学術会議が枯葉剤の毒性を世界に訴えたように、科学者が日本国憲法の豊かな内容を世界に発信し、その実現を働きかけることが重要だと思われるが、いかがか。
  • 戦前の日本では、滝川事件などの学問の自由に対する弾圧が行われた。このような歴史的背景を踏まえて規定されたのが23条の「学問の自由」の保障規定であり、1949年に日本学術会議は、戦前を反省し憲法を尊重するとの決意表明をしている。しかし、このような精神が忘れ去られつつあるのではないか。歴史を踏まえ、憲法の精神を不断に受け継いでいかなければならないと考えるが、いかがか。
  • 1998年にクローン技術等規制法が制定された。この法律は、憲法13条や24条等を具体化するものである。このように、憲法はすでに豊かな人権カタログを持っているのであるから、時代の流れとともに必要になるものは現憲法下で法律を制定していけばよい。今、求められているのは憲法に新しい文言を書き加えることではなく、憲法を活かすことであると考えるが、いかがか。


阿部 知子君(社民)

  • 科学技術が悪用された悲劇としてドイツのナチスや日本の731部隊による人体実験などが挙げられる。ドイツは憲法に「人間の尊厳」条項を設け、また、きちんと過去を検証したが、日本は参考人の言うところの「歴史的健忘症」である。科学技術の進歩を理由として、現在の憲法を見直すことの前に、日本が起こした悲劇をきちんと検証すべきではないのか。
  • 臓器移植や受精卵の使用について、フランスは生命倫理法により、「人体の人権宣言」ともいえる内容を規定している。現状の科学技術先行の状態に歯止めをかけるために、日本でも、憲法改正の前に、「人体の人権」を保護する枠組みを法律で制定すべきではないのか。
  • イラクでは湾岸戦争以来、白血病が5〜7倍に増えたとの報告がある。それにつき、劣化ウラン弾の影響を調べているが、WHOがその影響を調査し、結果が確定するまで待っていては被害が拡大してしまう。科学技術がもたらす危険な影響というのは、その危険性が確かめられるまで対応できないのでは意味がなく、事前の段階で警告を発しなければならないのではないかと考えられるが、いかがか。