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平成十三年二月六日提出
質問第一二号

今後の日本外交・防衛問題及び有事法制に関する質問主意書

提出者  楢崎欣弥




今後の日本外交・防衛問題及び有事法制に関する質問主意書


一 今後の日本外交及び防衛問題に対して質問する。

 1 冷戦終了後の日本の外交環境の変化、それにともなう日本の安全保障に関する検証と論議はまったく進んでいない。外交と軍事に関する討論は、国際関係の変動や軍事力の具体的な動向を分析した上で論ぜられるべき問題であるにもかかわらず、それらの諸点がまったく検証されない最近の傾向、とくに、日米安保の新ガイドライン制定に関する国会議論は、国民には殆ど伝わっていない。
 冷戦の終焉は日本の外交にとっても大転換の時代であったはずである。日本は、アメリカとの関係でいえば、日米安保体制という軍事同盟から、より総合的な経済協力、相互平和友好条約へと発展させることを目指し、より広範な地域安全保障への発展を目指すべき時期にきているのであって、少なくとも冷戦以後の安全保障体制と外交の課題を新たな角度から再検討すべきではないか。
 しかし、それはなされず、日本はアメリカの新国際戦略の一方的なリーダーシップのもとに組み入れられた。それが日米安保の新ガイドラインの制定であったと思われる。
 ソ連の崩壊によりアメリカの世界の覇権は確立した。現実の問題としてアメリカに敵対できる国は存在しない。いいかえれば現在はアメリカの軍事力に対抗できる軍事力は世界から消滅した時代になったのではないか。
 むろん、ロシアは現在も依然核大国であり、それは抑止力として働いている。それが攻撃力に転ずることも可能である。しかし、米ロによる核兵器の発動は、全面的核戦争の勃発を意味し、それは人類の絶滅を意味する。また通常兵器による戦争でもアメリカと戦うことは、自国の破壊をもたらす。このような危険を犯す国は存在しないと考える。そのような国際軍事情勢を正確に分析するべきである。
 以上の分析について、まず政府の具体的な見解を明らかにされたい。
 2 中国も北朝鮮もロシアもいまや、日本にとっての敵性国家ではない。まずそれらの国々と戦争をもって解決しなければならない国家の係争点は一切存在しない。また日本国内には、外国勢力の介入を招き兼ねない政治的分裂もない。要するに日本ほど周辺に危険な要素をもたない国はなく、北方領土問題も外交交渉で解決すべきである。したがって、これらの具体的な検証を行った上で日本の防衛計画を議論する必要がある。
 昨年一二月一五日に「二〇〇一年から五年間の中期防衛力整備計画(次期防)が安全保障会議と閣議で決定された」と報道されたが、以上、述べたような問題点を徹底的に議論した上で決定されたのか、しかと見解を問う。
 3 それでも日本は自衛力を持つ必要はあると考える。何時不測の事態が訪れないという保証はないからである。しかし、それには幾つかの前提がある。あくまでも防衛的であること。防衛の規定を明確に示すこと。軍事力の海外派遣は憲法にもとづいて禁止すること。海外紛争への国際貢献は非軍事的側面だけに限定すること。逆に人道的な国際的義務を果たすためのシステムを積極的に検討することなどである。
 これらの諸問題を検討しなければ、日本の本当の国益は守れない。アメリカがどのような世界戦略を掲げようと自由であるが、日本は自立、自主的な外交路線をいまこそ確立しなければならない。
 新しくアメリカの大統領となったブッシュ氏は、早速以上の諸点に関連して、@PKFの凍結解除、A集団的自衛権の(憲法上の)確認に期待する旨の表明をおこなった。
 この際、日本政府は確固たる見解を日本国民、アメリカ政府に対しては勿論のこと、世界にむけて宣言すべきだと思うが、森内閣のゆるぎない見解と決意を明らかにされたい。

二 有事法制(緊急事態法)論議に対して質問する。

 1 一月三一日に召集された第一五一通常国会の衆参両院本会議における森首相の施政方針演説の中で「有事法制」の検討、着手を表明したが、公式に「有事立法」問題をとりあげたのは福田内閣であった。確か栗栖統幕議長解任(昭和五三年七月二八日)をテコに福田内閣は国防会議議員懇談会、有事にそなえた非常時立法、民間防衛の研究推進を正式に決定し、それを防衛庁に指示した筈である。
 本来、有事立法とは防衛庁も確認している通り、自衛隊法第七六条下令(防衛出動発令)、即ち戦時における自衛隊の行動をどのように自由化し、他方、国民に対してはどのように基本的人権を制約し、義務負担を強要するかの立法問題である。極限すれば、有事とは「武力のさなかにあって法は沈黙する」事態と思われるが政府の見解を問う。
 又、以上のことを証明する資料として、一九五八年、防衛研修所『自衛隊と基本的法理論』が存在していることを明らかにしておく。
 2@ 防衛庁内部では自衛隊創設以来、有事法制に関する検討、研究はすでに数多く行っており、それらの一部は「訓令」や「達」によってすでに極秘裏に下部実戦部隊に下令されており、それに基づく演習、訓練が実行されていることは衆知の事実である。
 有事立法がでてきた背景としては、日本を中心とする内外情勢がことさら緊迫状態でもないのに、なぜ突如として有事立法問題がおこったのか、その背景こそ問題である。
 日米安保協議委員会の小委員会(日米防衛協力小委員会)が一九七七年八月に発足して、日米安保条約を軸とする日米韓軍事癒着体制(運命共同体)下における日米防衛分担の明確化が話し合われてきたが、有事即応態勢下にある米軍の有事における軍事行動自由化(在日米軍基地及び自衛隊基地使用の自由化と事前協議事項の包括承認)、及び有事即応の米軍に連動する自衛隊の有事における軍事行動の自由化がその小委員会において米側により強く要請されている筈であるがどうか。
 おそらく有事立法問題提起の直接的要因は米側からの強い要請が背景となっているのではないか。政府の見解を問う。
 A 日米の共同作戦といえば、三自衛隊のうちで、航空自衛隊が一番密接にやっていると思われる。自衛隊の日本の防空作戦には、警戒体制、防空体制、二つある。警戒体制はデフェコンという。このデフェコンはまた二つからなっている。一つは対空警戒体制、これはレーダーにより領空侵犯機を探知し識別する体制、二番目は警戒待機体制、これはスクランブル体制である。そしてこの警戒体制、つまりデフェコンは一段階から五段階までわかれている。それで一番通常の場合が五である。それから防空体制のほうは有事における防空のための体制である。この区分内容は警戒体制と同じ、一から五まである。間違いないか。見解を問う。
 B それと、いわゆるあのサイレンが鳴る防空警報、これは三段階に分かれている。防空警報が赤、略称「アップルジャック」、警戒警報が黄、これは略称「レモンジュース」、警報解除、これは白、「スノーマン」、そういうことになっている。間違いないか。
 そのことは国民には何も知らされていない。警戒警報のときには、どういう手段で国民に知らせるのか。明らかにされたい。
 3 奇襲はありうるのか。その可能性について見解を問う。
 奇襲とは平和時における急迫不正の予期せざる組織的、計画的武力攻撃のことである。しかし平和時に何の国際的変調もなく、ある日突然、侵略の意図をもった組織的、計画的奇襲がありうるのか、もしあるとすれば必ずや何らかの前触れ、即ち国際的対立、紛争、あるいは変調が前提としてある筈であり、それはエリントによって充分事前に察知しうる。
 そのような前提が皆無の場合、侵略の意図をもった奇襲が突如として行われるということは到底ありえない。
 しかし為にする議論では、万々万一あったらどうするという反論が必ずおこる。
 もし仮に万々万一ありうるとすれば、相手国の奇襲形態は遥か遠く公空、公海からのミサイル攻撃でまず始るであろう。その攻撃対象(目標)は、現在、日本に存在する二八ヶ所のレーダー基地(エリント基地)破壊、米軍、自衛隊基地、重化学工業地帯、特に十六ヶ所の原子力発電所へのミサイル直接攻撃と海上輸送貿易路の遮断、封鎖(例えば台湾海峡異変の場合など)であって、とても自衛隊の超法規的行動などおよそ介在する余地はない筈である。
 それでは平和時における侵略の意図のない突発的不意打ちはありうるか。かつて栗栖統幕議長設問の「奇襲」はこのような場合かもしれない。この種の奇襲の可能性は航空機による領空侵犯の場合にありうる。この場合は武力攻撃(武力行使)というより単発的な武器の使用である。しかしこのような場合の対応はすでに教育されているし、実際の対処方法も内訓として「要撃準則」がつくられているのではないか。
 超法規的行動はすでに予定されているのである。いま一つ奇襲が考えられるのは朝鮮半島、或いは台湾海峡緊迫の事態が発生したときであろう。しかしそういう場合はその緊迫の事態が先行するわけで万一の事態に備える体制が当然布かれている筈である。以上のことを証明するものとして
 (1) 「兵学研究記事第六号」中の『国家と自衛隊』
 (2) 「松前・バーンズ協定」昭和三四・九・九
 の資料が存在することを問う。
 4 もともと憲法には有事の想定もなく、したがってその規定もない。だから有事立法は根源的に憲法を超える性質のものである。自衛隊の行動を自由化するために防衛庁や制服組がねらい期待している有事立法の行き着く先は結局、超憲法的体制であり、現行憲法秩序をのりこえざるをえない。このことはこれまで防衛庁が部内で過去現実に行ってきた有事立法関係の研究文献をみれば歴然としている。軍備で国を守るという発想にたつ限り、超憲法的有事立法への追求は到底避けえざる宿命なのである。
 集団的自衛権の復権論議の如きは、現行憲法法秩序を破るものである。以上を立証するものとして以下の資料が存在していることを問う。
 《有事立法関係文献の具体的事例》
 @ 「列国憲法と軍事条項」一九五六年防衛庁から大西邦敏教授(早大)に調査委託された報告書。
 A 「自衛隊と基本的法理論」一九五八年
 B 「三矢研究」一九六三年
 「非常事態措置諸法令の研究」
 (1) 国家総動員対策の確立
 (2) 政府機関の臨戦化
 (3) 自衛隊行動基礎の達成
 ・「隊員補充」→有事徴兵制
 ・「防衛司法」→軍刑法、軍事裁判制度、憲兵制度
 ・「防衛保護」→「国防秘密」「軍事秘密」の保護体制確立
 C「治安行動(草案)」一九六〇年
 「治安出動時の部隊の行動及び防衛出動時において公共の秩序を維持するための部隊の行動」
 ・「関係機関」
 (1) 「治安関係」→公安調査庁、海上保安庁、検察庁、特別司法警察職員、入管機関、消防
 (2) 「その他の関係機関」→国の機関として、運輸、通産、郵政、建設、厚生、大蔵等の各省、地方公共団体として、都道府県、市町村、公共企業体等の機関としてJR、NTT、日赤、NHK等
 D「国家緊急権」
 ・「軍事に制定できるもの」→平常時において現憲法上立法可能な人権制限事項
 「自衛隊の作戦行動に必要な物資の強制調達、土地、建物等の強制収容、民防衛、防空、秘密保護」
 ・「有事に制定できるもの」→平常時の立法としては違憲の疑いがあるが、非常時には立法可能な人権制限事項
 「徴兵、強制労役、物資・役務等の統制、通信報道の制限、運輸・通信機関の統制、重要産業等の統制、労働運動の規制、国家総動員体制、戒厳令」
 E 「兵学研究会記事第六号『国家と自衛隊』」一九六五年、陸自幹部学校兵学研究会
 「真に止むを得ざる緊急事態においては責任の追求を恐れる余り機を失して事態を悪化させ、国を誤るよりもいわゆる『警察比例の原則』を適用してその事態に即した適宣の処置(超法規的行動の意味)をとり、事後報告をし、その正当性は平静状態に復帰後、国会なり、裁判所なり、国民の判断を仰ぐのが武人としての正しい姿であろうとおもいます」
 F 防衛庁法制調査官室試案「法制上、今後整備すべき事項について」一九六六年二月
 “不必要又は不適当と判断されたもの”(二三件)
 「防衛出動時待機命令時の武力行使」「防衛出動の下令前においても、現地指揮官が自隊防護の限度内で武器を使用することは違法でないと考えられるし、かつ下令前はその限度内にとどめるべきである。下令前に防衛出勤下令後と同様な武力の行使の権限を現地指揮官に許すことは不適当である」
 5 シビリアン・コントロールといっても、国会では与野党間、野党間それぞれ見解が分かれてしまっているし、院外の識者間でも意見がマチマチである。政府部内ですら発言が不統一であり、裁判の判決も判断が揺れ動いている。これほどシビリアンの考え方がバラバラで、国民の合意のないところにどうして真のシビリアン・コントロールが作動しえようか。
 シビリアン・コントロールが真に作動するためには次のような条件が満たされる保証がなされねばならないと考えるが政府の見解を問う。
 (イ) 「知る権利」が保証され、正確な情報と資料の提供が前提。
 (ロ) 国民の見えるところで、見える形での公開論議。
 (ハ) 国民の合意形成のための徹底的論議。
 (ニ) 国会に具体的統制権限の附与。
 「有事」とは「戦時」であり、政府、国民が一体となって立向かうべき「危機管理」の事態である。それは各省にまたがる広範な国家的国民的視野からの研究が必要であり、内外情勢に対する高度の総合的政治判断が要請される事態の筈である。
 第七六条以外に自衛隊法が「武力行使」を認めていないということは、自衛隊の独断専行による暴走を戒めるシビリアン・コントロールのそれこそ重要な歯止めであって、それをもって法の欠陥だなどというのは、まさに政治優先というシビリアン・コントロールへの挑戦である。
 基本的な防衛政策、あるいは自衛隊の存在自体についても合憲性が争われ、国民の合意が成立していない現状をいきなりのりこえて有事立法論議が先行するのはまさに逆立ちの論議と考える。

三 防衛に関する基本的問題に対して質問する。

 1 私達はいま一度防衛に関する基本的諸問題を整理し考察し直す必要がある。その原点から論議を再出発させねばならない。
 「国を守る」とは一体「何から」「何を」守るのか。また「守れるのか」。「どうすれば守れるのか」。さらに「脅威の実体とは何か」。
 「脅威の可能性」はあるのか。「過去の教訓」をどのようにうけとめるべきか。それらの基本問題について以下、質問をしたい。
 「国を守る」ということは決して現在の支配体制を守ることではなく、国民のいのちとくらし、福祉と財産、自由と幸福を守るということでなければならないと思うがどうか。守るべき対象が国民のいのちとくらしであれば、このような核時代に武力で国民のいのちとくらしが守れるであろうか。政府の確たる見解を問う。
 「脅威の実体」がわが国周辺に存在するかどうか。「脅威の実体」とは対象国の侵略の「意思」とその「能力」である。いま日本の周辺国家にその敵国たりうる「能力」がある国があるかもしれない。問題は侵略の「意思」が周辺国にあるかどうかを明確に指摘されたい。
 2@ 武力(自衛隊)でこの国の国民が守れるのか。ここで太平洋戦争末期の教訓を想起しなければならない。あの太平洋戦争末期、本土決戦が叫ばれたとき、日本本土には天皇に忠誠を誓った軍隊がまだ三百万いたし、航空機も数百機が残っていた。本土決戦で国論も統一されていた。それでこの国が、国民が守れたであろうか。残念ながら広島、長崎の原爆二発で終わったのである。これが冷厳な歴史的事実なのだ。
 では今日はどうなのか。日本列島は大陸に対し地理的にも近く弓状に浮かんでいる細長い島である。国土に縦深性はなく、一億の人間がそこにひしめき、重化学工業地帯が大都市、中都市に集中している。海上交通による貿易なくしては生きてゆけない貿易立国なのである。しかも破壊力はかつての広島、長崎原爆の数万倍の威力をもった核兵器の時代である(旧ソ連保有の核兵器の破壊力は広島・長崎型原爆の十四万倍以上)。太平洋戦争の比ではない。日本国は武力では到底守れないのである。
 国を守るために自衛隊を必要とする世論が八三%を占めるにいたったという報道があった。「国を守るために自衛隊を必要と思いますか」という設問ほど陥穽に満ちたものはないと痛感する。
 自衛隊で国を守るということは、自衛隊だけが国を守るのではなく、自衛隊(武力)で闘うための体制というものが背後になければならないのである。その体制とは何か。それが即ち戒厳令であり、徴兵制、徴用令であり、治安維持法、秘密保護法であり、国家総動員体制なのである。したがって「国を守るために自衛隊を必要と考えますか」という問いと、「国を守るために徴兵制や戒厳令を必要と思いますか」という問いは同じであることを知らねばならない。
 「国を守るためには自衛隊が必要だ」と答えた人が、同じ質問である筈の「国を守るために徴兵制を必要と思いますか」、「国を守るために貴方は徴兵制で自衛隊に入りますか」と問われて果たして「ハイ」と答える人が何人いるであろうか。「国を守るために自衛隊は必要だ」と答えた人は、徴兵制、徴用令、戒厳令、治安維持法、秘密保護法など国家総動員体制つまり戦前の軍国体制に賛成しなければならないのだ。そういう筈ではなかったといっても間に合わないのである。
 なお念のため付け加えるならば、太平洋戦争開戦時の元ハワイ空襲特別攻撃隊長、戦後、航空自衛隊幕僚長、そして自民党国防部会長、参議院議員であった、源田実氏が「国の安全保障」という本の中で次のようにのべている。これは現役自衛隊制服組の考えを代表するものと思って差支えない。
 即ち、『自衛隊が守るべき第一の目標は米軍基地、次が自衛隊基地、つづいて重工業地帯』と指摘していて、国民は守るべき対象としては出てこないのである。制服組が国を守るということはそういうことであることを国民の皆さんは肝に銘じてほしいと思う。 私のこの指摘について政府の見解を問う。
 A 尚、海上自衛艦に備えられている「ファランクス」で使用される弾丸は、次期新防衛力整備計画では、タングステン弾なのか、それとも劣化ウラン弾(U二三七)なのか、明確に回答されたい。
 3 第八五臨時国会で当時の福田総理は有事立法について、「自衛隊は有事に備えて存在するもの。有事に備えた立法を自衛隊が行うのは当然」という答弁を繰返した。しかしこの総理答弁には重大な欠落と盲点がある。
 総理の脳裏には有事には自衛隊だけが対応するものだと思っていたのであろうか。国民にとっての関心事は有事に際し自衛隊がどう戦ってくれるかもさることながら、むしろそのような事態のとき自分たちは、自分たちの生活は一体どうなっているかという不安ではないだろうか。専守防衛である以上、戦場は当然のことながら日本の本土内である。
 有事(戦争)に突入したとき一体国民はどうなっているのかというこの肝腎な点を素通りして、ただ自衛隊だけの有事対応を声高に叫ぶのは、野党も国民もきびしく糾弾しなければならないのではないか。これこそが問題の核心であり、私が有事立法論議に重大な欠落と盲点と陥穽があると指摘するのもまさにこの一点である。
 ところがこの問題の核心を衝いた研究が実は秘かに行われていたのである。貴重な研究であると同時に国民に対してはショッキングな警告であろう。
 昨年八月四日の農林水産委員会で私が質問した「輸入がストップした場合におけるわが国の栄養水準(試算)」(昭和四九年一〇月)という農林省、斎藤プロジェクトの研究は重大な示唆を投げかけている。即ちその有事緊急食糧対策として提案するところは現憲法下では到底実行できないということ、有事法制として国家総動員体制を布き、徴用令、土地強制収容等を伴わなければ試案の緊急措置はできないという事実である。これは有事になれば自衛隊関係の超憲法的法規が一斉に要請されるという事実を示唆するものにほかならない。
 もし守るべき対象の第一に国民のいのちとくらしをかかげるならば、そのために欠くことのできない食糧、原油、鉄鉱石など重要輸入資源は有事においても絶対に守らなければ、研究資料が指摘、警告するように日本は疑いもなく飢餓列島と化してしまう。それを証明する資料として「国民生活に基づく所要輸入量に関する研究(食糧編)」(昭和五一年九月一日、海幕防衛部防衛課分析班)があることを明らかにしておく。
 ところがこの重大な輸入のための海上輸送路が果たして自衛隊で守れるかという問題が最後に残る。
 結論は軍事力では到底守りえないということである。かつて一九七三年一月二二日、ときのズムワルト米海軍作戦部長が、米上院国内・島嶼委員会、及び同四月、上院軍事委員会において証言し、米海軍も海上輸送路、特にペルシャ湾は護衛しがたいこと、少なくとも二五%は削減されることを訴えた。世界最強の米海軍にして然りである。
 ましてや日本の自衛隊が守れるわけはない。そのことはすでに同じ年の一九七三年五月末日、当時の田中首相訪米を前にした第八回日米安保協議委員会事務レベル会議に説明資料として外務・防衛当局合同で用意したマル秘文書の中に明確に示されている。国会議論でも、そのときの山中貞則防衛庁長官は『最終的には守れない』(四八・六・二一衆院内閣委)と答弁したし、その時の臨時国会の外務委員会においても防衛庁当局は重ねてそのことを明言している。
 一体、自衛隊は海上輸送路も守れなくて、何を守るというのであろう。これで結論は明白になった。この国は軍事力では守れないということである。
 もし日本を侵略しようと意図する国があるならば、何も血を流してまで敵前上陸をする必要はない。海上補給路を遮断すれば目的の大半は達する。国民は手を上げざるをえないと考える。
 もはや結論はただ一つである。戦争に突入したときにはどうするかでは遅過ぎるのだ。そうなったらもうおしまいである。問題は戦争を避けるにはどうすべきかという発想に大転換する以外にこの国を守るスベはないのではないか。
 結局、軍事的対応を否定した憲法の原点に返ることこそ最も有効で現実的な防衛手段ということになる。平和外交、経済、文化、科学技術の国際的交流と分業など地球規模で非軍事的手段を追求することだけがこの国と国民を守りうるただ一つの道である。今日、人々は一つの重大な事実に気がつき始めた。それは地球が有限であるということこれ以上、自然の綾なす生態系と環境の破壊が進めば、人類はとりかえしのつかない破局をむかえるという事実である。むしろ人間の叡智とエネルギーを傾けるべきは人類が生き残るためのこの事実との闘いではないのか。
 もはや現実的には安保・自衛隊をさけては通れない。幸いシビリアン・コントロールの最高機関である国会に議論の場として共通の土俵がつくられた。即ち、安全保障委員会が設置されたのである。議論をつくして判断材料を国民に提供し最終的に国民の審判をうけるべきである。
 「過去を忘却したものは、過去を繰返えす」。この有名な教訓をもう一度かみ締める必要がある。
 以上、質問が多岐にわたったが、最後に総体として私の見解と疑問は間違っているのだろうか。間違っているところがあるなら、充分に反論、或いは間違いの個所を具体的に指摘されたい。見解を問う。
 4 なお、一月三一日に静岡県焼津市上空付近で突発した日航両機のニアミス事件は、双方機への対処ミスがあり、「適切な管制指示をしていれば防げたのではないか」との見方もあるが、根本的には在日米空軍と航空自衛隊の専用空域の拡大により、民間機の空域が極端に狭められているという問題があるのではないか。政府の見解を問う。

 右質問する。



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