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平成二十七年九月七日提出
質問第四〇八号

沖縄戦などの被災実態等に関する質問主意書

提出者  照屋寛徳




沖縄戦などの被災実態等に関する質問主意書


 今年は、戦後七十年の歴史的節目である。悲惨な沖縄戦が終結してから七十年、太平洋戦争における日本の敗戦から七十年でもある。
 沖縄戦では、約二十万トンの銃砲弾が撃ち込まれ(その不発弾処理に今後七十年を要するともいわれている)、当時の沖縄県民の四人に一人が戦死したとされる。まさに、沖縄戦は「鉄の暴風」であり、「ありったけの地獄を集めた」戦争であった、と表現せざるを得ない。昭和二十年三月二十六日の沖縄県慶良間諸島への米軍上陸に始まり、同年六月二十三日の旧日本軍による組織的抗戦終結に至るまでの沖縄戦の実相、その悲惨さの全てを語り尽くすことは、およそ不可能である。
 沖縄戦が終結した後、二十七年間にわたって米軍の直接支配下に置かれ、昭和四十七年五月十五日の「復帰」以降、今日に至るも在日米軍専用施設の約七十四%が集中する「基地の島」沖縄では、文字通り「戦(イクサ)」の「後」という意味での「戦後」は未だ到来していない。今なお、「沖縄『戦後』ゼロ年」(芥川賞作家・目取真俊)が続く状況下にあって、私を含む沖縄県民の多くは、悲惨な沖縄戦の記憶を継承する日常的な営為の中で、平和を強く願望し、希求している。
 にもかかわらず、政府は、安全保障関連法案(戦争法案)の今通常国会中の成立を急いでいる。私は、平和を実現する手段は「戦争」や軍備増強ではなく、「不戦の誓い」や対話による外交であると信ずる。この思いは、「命どぅ宝」を信念として戦後七十年を生き抜いてきた多くの沖縄県民が共有するものである。
 戦後七十年の節目にあって、悲惨な沖縄戦などの被災実態を明らかにしておくことは、将来の平和創造を見据えて今日を生きる者の責務である。
 ところが、沖縄戦における戦死者数等の被災実態、沖縄戦に先立つ昭和十九年十月十日の那覇市街地を中心とする無差別空襲(以下、「十・十空襲」という)や疎開船「対馬丸」を含む戦時遭難船舶の被災実態等に関する政府調査は、戦後七十年の今日まで全くなされていないようだ。
 以下、質問する。

一 政府・総務省は、「一般戦災ホームページ」を開設し、「全国に存在する戦災に関する資料を調査、整理し、悲惨な体験を記録にとどめ、事実を知っていただく」ことを目的として「全国戦災史実調査報告書」(以下、調査報告書という)をとりまとめてきた。
 かかる調査報告は、昭和五十二年度に開始され、平成二十五年度まで毎年度にテーマを定めて戦災の実情をまとめているが、一部情報を除いて沖縄県は対象外となっている。四十七都道府県のうち、沖縄一県のみを外し、他の四十六都道府県の調査、整理を行っていることについて、同ホームページ及び各年度の調査報告書に特段の記述はない。
 たとえば、(1)昭和五十六年度調査報告書「戦災により犠牲を被った児童の実情(学童疎開)に関する記録の収集」巻末の年表には「昭和十九年八月二十二日 沖縄から鹿児島に向う疎開船『対馬丸』米潜水艦により撃沈」との記述があるだけで、「対馬丸」沈没の被害実態について一切触れられていない。そもそも、巻頭(はしがき)で「今回は、四十六都道府県における戦災により犠牲となった児童に関する記録を対象に調査した」とし、四十七都道府県中沖縄一県のみが対象から外されている。
 同様に、(2)昭和五十七年度調査報告書「戦災により犠牲を被った孤児の実情に関する記録の収集」、(3)昭和五十八年度調査報告書「戦災により犠牲を被った婦人の実情に関する記録の収集」のいずれにおいても「今回は、四十六都道府県における」戦災調査とされ、四十七都道府県中沖縄一県のみが対象から外されている。
 @ 一連の調査報告書は、沖縄県が「復帰」した昭和四十七年五月十五日以降に作成されたものである。にもかかわらず、なぜ沖縄県のみが対象外とされ、四十六都道府県の調査、整理にとどまったのか。右(1)乃至(3)の調査報告書毎にその理由を明らかにした上で、沖縄県だけが対象外となっている事実に対する政府の見解を示されたい。
 A 「対馬丸」沈没の犠牲者数を明らかにした上で、その被災実態に対する政府の見解を示されたい。
二 昭和五十二年度調査報告書「戦災を被った都市の空襲及び被害状況に関する記録の収集」では、実態把握のために直接調査員を派遣した基準を「一都市において、百人以上の一般戦災死者を出している都市」と定め、全国七十四都市が対象となっている。
 @ 「一般戦災死者」または「一般戦災死没者」とは、先の大戦における「空襲」犠牲者に限定されるものか、それとも「対馬丸」などの「戦時遭難船舶」犠牲者や沖縄戦などの「地上戦(陸戦)」犠牲者等も含まれるのか。その定義について明らかにされたい。
 A 「十・十空襲」の一般戦災死者数を明らかにした上で、その被災実態に対する政府の見解を示されたい。
 B 右基準に照らした場合、那覇市は対象となるか、政府の見解を明らかにされたい。なお、対象外との見解であれば、その理由を示されたい。
 C 右報告書において「十・十空襲」が調査の対象外となった理由を明らかにされたい。
三 昭和二十四年に経済安定本部(当時)が作成した「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」によれば、「人的被害」として、「銃後の人口」「軍人・軍属」の被害者数が都道府県ごとに調査、掲載され、また「物的被害」についても「建築物」、「港湾」、「橋梁」、「鉄道」、「船舶」、「電気」、「ガス供給設備」、「電話」、「水道」、「道路」、「林野」及び「分類困難なもの」に至るまで、各県ごとの一覧により被害面積や損害額が詳細に調査、記録されている。
 だが、右報告書には、「沖縄県」のみ記載が見当たらない。「朝鮮、台湾その他外資試算の喪失は計上せず」との記述はあるものの、沖縄県の取扱いに関する但し書き等は一切見当たらない。
 右報告書では、いかなる理由によって沖縄一県のみが対象外とされ、他の四十六都道府県の報告にとどまったのか、政府の見解を示されたい。
四 沖縄戦(昭和二十年三月二十六日の沖縄県慶良間諸島への米軍上陸に始まり、同年六月二十三日の旧日本軍による組織的抗戦終結に至るまでの期間)における戦没者数について、根拠となる資料を明らかにした上で「軍人軍属」、「準軍属」、「その他」の別に分類し、その被災実態に対する政府の見解を示されたい。
五 沖縄戦や「十・十空襲」、「対馬丸」沈没の被害等について、政府が確たる資料を保有しておらず、それらの実態を把握できていないのであれば、沖縄県等が行った調査結果を検証、補正するなどした上で、政府の責任の下、何らかの形で記録に残すべきではないか。
 戦後七十年の節目を迎え、「戦争記憶の継承」や「戦争体験の世代間継承」の在り方が問われる中、国として何らの手立ても講じず、将来にわたってこれ以上問題を放置し続けることは許されないと考えるが、政府の見解を示されたい。
六 私が、平成二十年十一月二十八日付で「沖縄戦犠牲者の未収遺骨と防空壕等に関する質問主意書」を提出したところ、同年十二月九日付の政府答弁書で「厚生労働省として把握している沖縄における戦没者は、約十八万六千五百人である」との回答を得た。他方、沖縄県は、同年十二月八日の県議会で沖縄戦の戦没者数について、推計として十八万八千百三十六人である、と答弁している。
 厚生労働省ホームページに掲載されている「地域別戦没者遺骨収容概見図(平成二十七年六月末現在)」によると、沖縄の戦没者概数は十八万八千百人となっており、沖縄県の認識と近似している。政府として、かかる「沖縄の戦没者概数」を変更したのはいつか。また、右政府答弁書で示した「沖縄における戦没者」より数が増えているのはなぜか、その根拠を示されたい。

 右質問する。



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