平成16年3月18日(木)(第3回)

◎会議に付した案件

日本国憲法に関する件

1.広島地方公聴会(平成16年3月15日開催)の派遣報告を聴取した。

  報告者 仙谷 由人君(民主)
 

2.各小委員会ごとに、小委員長から報告を聴取した後、自由討議を行った。


◎安保国際小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪国家統合・国際機関への加入及びそれに伴う国家主権の移譲(特に、EU憲法とEU加盟国の憲法、「EU軍」)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

近藤 基彦小委員長(自民)

  • 小委員会では、アジアにおける地域安全保障体制の構築は必要であるが、安全保障に対する共通の基盤や経済分野等における信頼関係の形成、あるいは、地域安全保障と集団安全保障及び集団的自衛権との関係等について考え方の整理が必要であるとの見解が示された一方、平和主義を踏まえた北東アジアにおける安全保障対話の必要性や集団的自衛権を是認するNATOは冷戦下に生まれたという背景について発言があった。
  • 欧州の経験は、そのままでは他の地域のモデルにはなり得ないが、地域に政治的安定を醸成しつつ、一国だけで十分な対応ができない問題に対処するというEUの手法は、安全保障、テロ、国際犯罪やエネルギー、環境問題等多くの課題に対応するために、参考にすべき点がある。


●自由討議

楠田 大蔵君(民主)

  • EUは、通貨統合、EU憲法制定等を進め、その過程で国家主権の移譲が行われているが、このようなEUの壮大な構想に比べ、我が国の戦略が欠如していることから、早急に中国、韓国、東南アジアとの関係について検討すべきである。
  • 核・大量破壊兵器の拡散への懸念など、アジア各国共通の課題に日米安保条約だけで対処することは難しく、アジアにおける集団安全保障が必要であると考える。その際、我が国の国家主権が制限、移譲される場合もあると考えられ、「平和と正義を実現するため」という留保を付けて、憲法に明文化することも考えられる。
  • アジアにおける集団安全保障を実現するために、EUのように、まず、FTA等の経済統合や環境・エネルギー問題に取り組むことにより信頼関係を構築することが必要である。また、人権問題への取組みも共通理念の浸透のために重要である。


中谷 元君(自民)

  • 我が国は、日米安保条約だけに頼るのではなく、外交的選択肢を拡げるために、アジアにおける集団安全保障機構の創設を検討すべきである。
  • アジアにはいまだに冷戦構造が残っているが、まず、EUのように経済統合から始め、安全保障分野についても協力的な関係を構築すべきである。北朝鮮問題に関する6ヵ国協議を安全保障問題に広げ、安全保障機構を目指すことも考えられる。
  • アジアの集団安全保障機構が創設されたときに、我が国は、集団的自衛権が行使できないことから、国家としての責務、役割が果たせない。単なる対米協力のためだけでなく、アジアの地域安全保障について選択肢を増やす意味においても、集団的自衛権を憲法に明記すべきである。


斉藤 鉄夫君(公明)

  • 国際熱核融合実験炉計画(ITER)を始めとした巨大科学(ビッグ・サイエンス)の分野においても、人類共通の財産・知識であるとの観点から、国際協力を考えるべきである。
  • EUでは、各国がそれぞれ異なるエネルギー政策をとっているが、EU全体で見たときに整合性はとれていると考える。これに比べ、東アジア全体としてのエネルギーの保障体制については議論が遅れている。


山口 富男君(共産)

  • ツェプター参考人が、EUについて、世界的・普遍的側面とヨーロッパ的な条件から見る必要があるとし、(a)ヨーロッパでは戦後補償も含む戦争責任への対応がなされたこと、(b)人権について、共通の条件を持ち、これを高める方向で努力していること、(c)安全保障についての対話を進めてきていることについて述べたことに感銘を受けた。軍国主義の下での侵略戦争の歴史、北朝鮮による拉致問題などの不法行為が清算されていないアジアの状況に照らし、ヨーロッパの経験をどのように見るかについての問題提起であったと考える。
  • 北東アジアにおける安全保障は、軍事的に考えるのではなく、平和の安全保障対話の枠組みをつくるべきである。6カ国協議という場を設けたことは評価されるべきである。
  • 国際的軍事活動には参加しないという留保の下で国連に加盟したという経緯も踏まえ、9条を基本に置くという日本の憲法制定時の立場を生かしていくことがアジアの安定のためにも不可欠である。
  • 広島地方公聴会では、意見陳述者の述べた平和への思いに胸が打たれ、日常生活の中での憲法の力を実感した。


船田 元君(自民)

  • EU統合が過去の戦争への反省に基づくものであり、これを乗り越えるために、採択の途上にあるEU憲法の各国による批准を望む。
  • アジアにおける地域統合、協力の問題に関しては、国の要素に違いがあるものの、その実現はアジアの安定・発展にとって重要である。アセアン地域フォーラム等における議論を通じて信頼を醸成し、また、現在の北朝鮮問題を巡る6ヵ国協議を活用すべきである。
  • 米国や中国との関係をどのように考えるかは大きな問題であり、我が国が安全保障面でアジアにおいて主体的に役割を果たすためには、集団的自衛権や集団安全保障を憲法に位置付けるべきである。


伊藤 忠治君(民主)

  • 安全保障面での協調よりも経済統合を先行させ、共通市場の形成や通貨統合を実現したEUの成果を踏まえ、北東アジアにおいても、経済を基本に信頼関係を醸成し、それを基盤に安全保障体制を構築すべきである。
  • アジア各国のそれぞれの事情の違いを克服し、我が国は、アジアの経済圏と安全保障体制を確立する努力をすべきである。


仙谷 由人君(民主)

  • 広島地方公聴会では、平和の追求は手段であるとの意見もあったが、平和の追求は目的であると考える。EUにおいて国境における防衛が意味をなさなくなりつつある一方、スペインで鉄道爆破テロが起きたこと等を踏まえ、我が国は、国民を守ることのできる制度を構築すべきである。
  • EU憲法草案に、プライバシー権や個人情報の保護が具体的に書き込まれている理由は、国民が分かり易いからであるというツェプター参考人の説明に感銘を受けた。また、独立した人権救済機関やオンブズマンも憲法草案に規定されており、人権の具体的な保障のための制度構築の在り方を考えさせられた。


武正 公一君(民主)

<斉藤委員の発言に関連して>

  • 東アジアにおける石油備蓄に関する各国間の協力については、すでに話合いが始まっている。

<発言>

  • ドイツ軍のNATO域外派兵に関して、連邦憲法裁判所において、域外派兵は認められるが事前に連邦議会の個別の同意が必要であると判示されたことは、国会における事前承認という我が国のシビリアン・コントロールの参考となる。


土井 たか子君(社民)

  • 欧州統合が「二度と戦争をしない」という教訓の下に行われたことは、北東アジアでの安全保障を考える際にも参考となる。脅威を取り除き多国間で協調していく方向が世界の趨勢であり、EUはその一つの姿である。
  • 北東アジアにおける協調体制の確立には、我が国が中心的役割を担っていくべきである。二国間条約による安全保障から多国間協調に移行すべきであり、その際、超大国の一国主義は協調を阻害するものであると考える。
  • 多国間協調を進める際、経済・環境分野における協調が先行し、核の取扱いがエネルギー及び資源の点で非常に大きな意味を持つ。広島地方公聴会において、「広島の心」は核を廃絶するところにあり、「いい核」、「悪い核」の区別はないという意見陳述者の話に感銘を受けた。
  • 北東アジアにおける非核地帯化構想を進めていくべきであり、非核保有国が連携して構想を進めるべきである。


>中谷元君(自民)

  • 多国間協調や外交努力は大事だが、平和の実現が難しい場合もある。東アジアにおける大量破壊兵器の拡散やテロ、不審船等について、抑止すること、集団的に防止することも必要であると考える。集団的自衛権の行使が認められないことにより目的が達成できないということは望ましくない。
  • 我が国は、米国との連携を保ちつつアジア諸国と米国等との橋渡しをする役割を担い、また、アジアにおける集団安全保障体制の在り方等について提言するなど、イニシアティブをとって関与すべきである。


>土井たか子君(社民)

  • 現在は、核による抑止力が更なる脅威を生み、それが核開発競争に繋がっているのではないか。「いい核」「悪い核」というダブルスタンダードが危険な状況をつくっている。
  • 核抑止を是認しつつ核廃絶を訴えることには矛盾があり、このような立場に依っては、核廃絶は無理である。核廃絶が肝心なのであり、核による抑止力を認めるわけにはいかない。


>中谷元君(自民)

  • 協調だけでは、核の廃絶の実現はあり得ず、力をもってしなければ核保有国による核の放棄はなされない。
  • 我が国にとって、米国の核抑止力や軍事力等に依存する以外に、国民を守る手段が存在しないのが現状であり、そのような状況を改善するためにも、多国間の協調以外にも、抑止力・圧力が必要である。


>山口富男君(共産)

  • 中谷委員の議論は、いわば「集団的自衛権万能論」であり、海上警備の問題等いろいろな問題が集団的自衛権の保持に帰結している。日本がこのような考えを採れば間違いを犯すこととなる。個々の問題に応じて、アジアでの共同対処について考えるべきである。


>武正公一君(民主)

  • 憲法前文には国際協調主義が掲げられている一方、日米安保条約にはそうした規定がない。日米関係と国際協調はどちらが上位概念なのかについて、中谷委員は国際協調が上位概念と認めたことがあるが、川口外務大臣は、まず日米安保条約があって、国際協調主義がその次にあるとしている。
  • 米国の核の傘に守られてきたことは明白であり、非核三原則が守られてきたかについて、正直に国民に示す必要がある。我が国は、唯一の被爆国として、非核三原則を国是として守るべきであると考える。
  • 我が国として、守らなくてはならないものは何か、譲れないものは何かということをしっかりと固めた上で外交を展開していくべきである。


>河野太郎君(自民)

  • 米国の保有する核が「いい核」とも言い切れず、また、我が国が米国の核抑止力に頼ることにより、安全が保障されるとも言い切れない。我が国は、核抑止力によらない安全保障を考えるべきであり、また、冷戦期に秘密とされていた事項があればこれを公開し、将来について議論する必要がある。


>中谷元君(自民)

  • 憲法は、国際協調を掲げるが、当時の日本は米国の占領下にあり、国際協調を目指すというなかで制定されたものである。政府は、国連が機能するまでの間は、日米同盟を堅持するとの方針を示しており、まず、国連が機能するようにすべきである。
  • 我が国が米国の核抑止力の下にあるのは、我が国の安全保障が、必要最小限度とされている自衛力と、それを補う日米安保条約との二本立てで考えられているからである。我が国が真に自立するために、集団的自衛権や集団安全保障を認めるべきである。


>大出彰君(民主)

  • 防衛庁や原子力発電所、石油タンクが核攻撃から守られるようにはなっていないなどの現実を把握した上で核攻撃への対処が論議されているとは思えない。現実を踏まえて防衛政策について議論するべきである。

◎最高法規小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪直接民主制の諸制度≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

保岡 興治小委員長(自民)

  • 直接民主制の諸制度は、主権者である国民が直接に意思の表明をするものであり、また、議会制民主主義を補完する機能を有していることは、各会派に一致した見解であると思われる。住民投票等の制度を導入することについては、積極論・消極論が存在しており、また、憲法改正を要するか否かについては、意見が分かれた。
  • 直接民主制の諸制度に絡めて、国政選挙における投票率の低下の問題が議論されたが、この問題を含め、国民主権や民主主義の在り方といった憲法の根幹にかかわる問題を議論することの意義を改めて認識した。


●自由討議

大出 彰君(民主)

  • プープル主権・ナシオン主権と違憲審査制との関係を問う私の質問に対する井口参考人の発言を聞き、13条で個人の尊重を謳う憲法の下では、極端にプープル主権に考えを寄せることはないと感じた。


赤松 正雄君(公明)

  • 小委員会における中山会長と山口委員の96条を巡る意見交換を聞き、平成12年の衆議院欧州各国憲法調査議員団に参加した際のことを想起した。作家の塩野七生氏が、憲法改正の議論よりも96条に係る国民投票法の問題を先に取り上げるべきと指摘した。
  • 96条に係る国民投票法の問題は、現在、我々が行っている憲法改正の問題も含めた憲法の理念の具体化という議論をし尽くした後に、最初に取り扱うべきテーマであると考える。


船田 元君(自民)

  • 私は当初、代表民主制と直接民主制はトレードオフの関係にあると考えていたが、井口参考人や小委員間の議論を聞き、両者を相互補完的に扱ってもよいという考えに変わってきた。
  • 政党間の議論と国民の一般意思の乖離の発生など、議会制民主主義は万能とはいえないことから、今後の日本の民主主義の健全な発展のためにも、議会制民主主義を補完するための直接民主制を憲法に取り入れることが大事である。
  • 国民投票の頻繁な実施による投票率の低下、レフェレンダム威嚇、プレビシット、イニシアティブ産業による世論の意図的な形成といった、国民投票が抱える問題点に対し、どのように対応すべきか検討する必要がある。
  • 憲法をどう活かしていくか、憲法と現実社会の乖離をどのように克服するかという議論は続けるべきだが、これまで憲法改正に係る国民投票の制度的保障を用意しなかったことは国会の怠慢であり、責任を感じる。今後、この点について議論を進めるべきである。


山口 富男君(共産)

  • 井口参考人の陳述は、憲法の理念の具体化に一番の力点があったと考える。
  • 憲法は、代表民主制を基本としながら、96条の国民投票や裁判官の国民審査など直接民主制の枠組みを入れており、代表民主制と直接民主制とはどちらが主・従という関係ではなく、国民主権という憲法の理念の具体化という点で両者の方向性は同じであるというのが、井口参考人の強調したかったことであると考える。
  • 井口参考人は、今必要なのは、憲法改正ではなく憲法の理念の具体化であるとの立場をとるために、96条を巡る問題について踏み込まなかったと理解している。
  • 96条に係る国民投票法が具体化されないことを、国会の怠慢・立法不作為と捉えて議論を組み立てることはできないと考える。なぜなら、立法不作為とは、国家賠償に係る国民の権利の侵害により生じる問題であるが、憲法制定以来60年間、憲法改正権は、国から侵害されていないからである。
  • 96条を巡る問題は、国民主権の原理を憲法改正権としてどのように具体化するかという問題であるため、現時点での法律の具体化は必要ないと考える。
  • 現在、各党から憲法改正という問題が提案されているが、それと関連して国民投票法案が提出されるなら、反対である。


>中山太郎会長

  • 私の96条に係る国民投票法についての問題提起の趣旨は、民主主義の基本であるところの主権者は国民であるという自信を持って欲しいという点にある。


玄葉 光一郎君(民主)

  • 議院内閣制を維持し、その本来の機能を発揮させるために、憲法上、内閣総理大臣の職権・責任について、より明確な規定を置くべきである。

◎統治機構小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪人権擁護委員会その他の準司法機関・オンブズマン制度≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

木下 厚小委員長(民主)

  • 議会型オンブズマンの設置が必要であるとの見解、その設置を憲法で規定すべきであるとの見解、既存の行政相談制度の活用や衆参の行政監視に関する委員会の機能強化をまず図るべきであるとの見解等が示された。
  • オンブズマンの憲法上の位置付け、特殊オンブズマンや地方オンブズマンの必要性の有無、オンブズマンを導入する際の留意点、情報公開制度との関係、オンブズマンの組織の在り方、その任命における党派性の排除の可能性等をめぐり、多様な見解が示された。
  • 現代行政国家において、オンブズマン制度の導入の是非が大きな論点であること等にかんがみれば、引き続き総合的見地から議論を深める必要があると感じる。


●自由討議

永岡 洋治君(自民)

  • オンブズマン制度の導入の前に、まず、衆議院決算行政監視委員会、参議院行政監視委員会について、機能の強化等を行うなど、審議を一層充実させ、より効果的な国会による行政のチェックを行うことが必要である。
  • 新たな制度の構築は、多大な労力、費用等が伴うこと等から、オンブズマン制度導入の前に、行政相談制度が十分に機能しているかを検証し、必要があればこれらを補完・充実すべきである。
  • 一般に国レベルの行政が担う公益性は地方レベルよりもはるかに重大であると考えられること、また、国会の行政監視のための委員会の活用・充実を図ることが先決であることなどから、国レベルでのオンブズマン制度の導入は、慎重に検討する必要がある。
  • 将来オンブズマン制度を導入する場合には、「議会型オンブズマン」がふさわしいと考えるが、憲法に規定することが適当なのか、新たな法律を制定することで十分なのかを諸外国の憲法の規定例も見つつ、考えていくべきである。
  • オンブズマン制度の成功のためには、国民の間に正しい理解を醸成しなければならない。ここでいうオンブズマンが、いわゆる市民オンブズマンとは異なることに留意する必要がある。
  • 個人の権利と公益のバランスが大切であり、オンブズマン制度が導入された場合にも、申立をした個人の権利だけでなく、行政が担う公益を含め、幅広い見地から適正な解決を図るという運用が必要である。


山口 富男君(共産)

  • 参考人が、オンブズマンの憲法上の根拠について、立法府の国政調査権と主権者国民の主権行使としての請願権とに二重に包まれるものとして有効であると述べていることから、これを積極的に受け止め、具体化を図ることが必要である。


鈴木 克昌君(民主)

  • 行政相談等の制度や議会が十分機能していれば、コスト面からもオンブズマンは必要ないと考えるが、警察や医療等の専門的知識が必要とされる分野において特殊オンブズマンを導入することは十分検討に値する。
  • オンブズマンの憲法上の位置付けについては、まず、法律によってオンブズマンを導入し、国民の認知を得てから、憲法に規定するのが適当である。


辻 惠君(民主)

  • 20世紀後半以降の行政国家化の中で、どのように行政をチェックするのかという課題があるが、国民が主権者である国家の成立とともに生まれた三権分立の枠組みを前提とするのは、必ずしも妥当ではない。21世紀は、地方ができることは地方でという補完性の原理に基づき、地方に根ざした共同体を基本に統治の在り方を考える必要がある。なお、国に残る権能、特に警察、刑務所等の強制的権能に対するチェックのために、オンブズマン制度は有効である。


船田 元君(自民)

  • 国民の多くは、オンブズマンといえばいわゆる「市民オンブズマン」を想起する。その実績は認められるが、行政や市民の中にはこれについて警戒感もある。
  • 本来のオンブズマンである公的オンブズマンについて、政治の場において議論し、国民の認知を図っていく過程が重要である。
  • 現行の行政相談制度は、行政府型オンブズマン的性格を有するものであり、その充実・強化が望まれるが、同じ行政によるチェックには限界がある。参考人も指摘したように議会型オンブズマンが望ましい方向である。
  • 衆議院決算行政監視委員会等の現行制度の役割・機能は不十分であり、充実していくことが必要である。また、議会型オンブズマンを導入した場合、各政党からの独立性をどのように確保するかが課題となる。
  • 参考人も述べたように、16条の請願権を具体化するという形でのオンブズマンを考えることができる。


武正 公一君(民主)

  • オンブズマンは、行政を専門家が国民に分かりやすく解きほぐし、それにより行政が国民の信頼を得られることになり、評価すべきものである。
  • 行政の運営に当たって、国民の信頼は欠かせない。その意味で民主党は、国家行政組織法3条に定める準立法機能・準司法機能を有する独立行政委員会(3条委員会)の新たな設立を訴えており、3条委員会もオンブズマンと同様に取り入れていくべきである。例えば、放送の独立性を確保するため、放送局の許可権限を3条委員会が持つべきである。


山花 郁夫君(民主)

  • オンブズマンは、一般に議会による行政統制といわれており、議会型が望ましい。屋上屋との議論もあったが、現行制度が機能しているのか疑問である。その意味で、廃案となった人権擁護法案においては人権擁護委員会を設置することとしていたが、第三者機関であるオンブズマンを設置することも考えうるのではないか。
  • オンブズマンは、独立行政委員会とも言えることから、オンブズマン任命に当たっての独立性の確保の問題については、現行の独立行政委員会における任命の在り方が参考になる。
  • オンブズマンは、独立行政委員会と同様に法律によって設置することが可能であると考えるが、参考人から、オンブズマンを憲法上位置付けることが望ましいとの指摘もあり、そうしたことについて議論する必要がある。

◎基本的人権小委員会の経過の報告聴取及び自由討議
≪市民的・政治的自由(特に、思想良心の自由、信教の自由・政教分離)≫

●小委員長からの報告聴取(小委員長としての総括部分の要旨)

山花 郁夫小委員長(民主)

  • 思想・良心の自由については、ドイツの「闘う民主制」のように、いかなる思想等をも保護するものではなく、ある程度の限界が設けられるべきではないかとの意見が出された。
  • 信教の自由については、歴史的な反省を十分踏まえて、靖国神社問題などについて考えるべきであるとの意見があった一方、靖国神社問題などは誤解に基づく不毛な議論といえないこともなく、より議論を深めていく必要があるとの意見も出された。また、地方自治法の住民訴訟のような制度を国についても設けることは、立法政策として検討に値するのではないかとの議論があった。
  • 思想・良心の自由及び信教の自由は、歴史的に大変重要な意義を持つ自由であり、人間存在の根源にかかわる自由である。
  • しかし、国民の生活と身近なところには、思想・良心の自由及び信教の自由に関連する多くの問題がいまだに存在している。憲法の人権規定が、具体的な事例にいかなる影響を及ぼし、また、及ぼしうるのかといった点も踏まえ、基本的人権に関する議論を深めていきたい。


●自由討議

小野 晋也君(自民)

  • 戦後の日本においては、自由や権利があまりにも礼賛され、内心の発露である行動について自由を主張し過ぎるようになったため、自分に利があれば善であり、害があれば悪であるというような風潮が生まれた。しかし、本来、自らが自らをコントロールしながら社会的な調和を図るという姿勢こそあって然るべきである。
  • これを首相の靖国参拝の問題に当てはめると、靖国神社参拝に反対する者にとっても、賛成する者にとっても、自分の思想信条の自由が侵されると感じることとなる。
  • 本来、法律レベルでこの問題を解決するのは難しいのであって、憲法において、「自己抑制と他との調和」を明記すべきと考える。同時に、前文などにおいて、先人達が培ってきた伝統・歴史・文化などを尊重すべしということを書き込み、これを判断の指針とすべきである。


辻 惠君(民主)

  • 確かに、小野委員の指摘するように、自らが自らをコントロールしながら社会的な調和を図るべきである。しかし、憲法上の権利・自由という場面にそれを持ち込もうとするとき、どのように規定し、誰が判断するのか。
  • なぜ憲法上、政教分離が制度的保障として設けられたのか。それは、物事の善悪・正否を権力が判断することにより、結果として信教の自由が侵害されることとなった戦前への反省に基づくものである。このことを、今一度振り返る必要がある。


山口 富男君(共産)

  • 野坂参考人は、意見陳述において、憲法の条文を議論するに当たっては、なぜそのような規定が置かれることとなったのかという歴史的経緯や背景を押さえることが大切であるということを強調した。憲法調査会における議論においても、歴史的経緯や背景を押さえることが重要であると考える。
  • 小野委員の指摘は、立憲主義をどう捉えるかにかかわる問題であると考える。すなわち、この問題を考えるに当たっては、市民社会における市民対市民の問題、国家対市民の問題など様々な場面を区別して考えなければならない。
  • 首相の靖国神社参拝については、内閣総理大臣という憲法に位置付けられた存在が特定の宗教施設に繰り返し参拝するということであり、20条3項に違反すると考える。
  • 特に、靖国神社は、戦前、宗教的軍事施設ともいうべき存在だったのであり、そのような歴史的背景を持つ神社に首相が参拝することは、憲法の平和主義の精神にも反するし、あの戦争への反省をないがしろにするものである。
  • 裁判所が首相の靖国神社公式参拝について違憲性の疑いを指摘した以後、政府は、「公人」か「私人」かをはっきりさせないようになってきている。これはまやかしであって、誰が見ても「内閣総理大臣」が「靖国神社」に参拝しているのであり、違憲であると考える。


小野 晋也君(自民)

<辻委員の発言に関連して>

  • 戦前への反省など歴史的経緯や背景を踏まえることは当然である。しかし、その一方で、現在の日本の社会がいかなる状況にあり、いかなる社会であるべきか、そのために政治がどのような努力をすべきかに注目しないことは、政治家として正しい姿勢とは思われない。

<山口委員の発言に関連して>

  • 司法府の判断はきちんと受け止めなければならないが、かつて、首相をはじめ閣僚は、当然のように靖国神社に参拝していた。これがある時点から「突如」その違憲性が問題にされるようになった。
  • 慰霊のために靖国神社が重要であるという国民的合意があるならば、靖国神社問題を解決するために、憲法を改正することを躊躇すべきではない。
  • 憲法改正のための国民投票制度についても、一方において憲法遵守を言いつつ、憲法改正の意図を感じるから反対するというのは、自己矛盾ではないかと感じる。


山花 郁夫君(民主)

  • 首相による靖国参拝は、「私的」なものであっても、個人的には反対であるが、公的なものとすれば憲法上問題である。国立の追悼施設を建設することで解決を図るべきではないか。
  • 小委員会において議論されたが、靖国問題に関する訴訟は、住民訴訟の形式が活用され、裁判所がこの訴訟の形式を受け入れる判断をしたことが契機となっている。ある時期に「突如」発生したものとする理解は当たらない。


辻 惠君(民主)

  • 私も、他者への思いやりや年配者への尊敬の念などが近年おろそかになっているのではないかと感じており、将来の日本に対し危機感を抱いている。決して権利・自由のみを主張し続ければよいとは考えていない。しかし、憲法は、国家対私人の関係を規律するものであることを踏まえるべきである。
  • 政教分離原則は、信教の自由を保護するための制度的保障として定めてあり、私人の関係を規律するものではなく、国家の行為を抑制するものであることを肝に銘じるべきである。


山口 富男君(共産)

  • 首相等の靖国参拝に対しては、戦後早い時期から宗教者などから問題とされていたことであり、「突如」発生したわけではない。また、靖国参拝に対する外国からの非難も、外国と国交を樹立し平和関係を築いていく中で、国際政治の問題として生まれ、広がりを持ってきたものである。
  • 我々は、当然戦没者を悼む気持ちを持っている。しかし、政教分離原則からいって問題のある靖国参拝という方法によってこの気持ちをあらわそうとすることは問題であり、戦没者を悼む場を別に作るといった方法で解決すべきである。また、この問題を、憲法改正によって解決しようとする意見は、まったく理解できない。


船田 元君(自民)

  • 思想・良心の自由は、日本国憲法においてはほぼ無条件に保障されるものだが、ドイツ連邦共和国基本法では、「闘う民主制」の規定により、思想・良心の自由にも一定の制約が設けられている。このドイツの規定を参考にすべきである。
  • 首相の靖国参拝は、戦没者の心情を思うことに伴う自然の発露であり、目的効果基準を適用した場合も、政教分離原則に照らして大きな問題があるとは考えない。
  • 拝礼の方式を一礼だけにとどめるといった方法でこの問題を回避しようとすることは姑息である。また、参拝が公的か私的かにこだわることはナンセンスである。


山花 郁夫君(民主)

  • 仮に首相が靖国参拝をするのであれば、せめて「私的参拝」と言っていただきたい。
  • 人権保障も侵害されたときに争うルールがなければ、画に描いた餅になってしまう。そこで、立法政策の見地としては住民訴訟や客観訴訟の制度の導入を検討し、あるいは、憲法裁判所の導入を検討するべきであると考える。


園田 康博君(民主)

  • 政教分離の判定基準である目的効果基準は、日本の場合、そのモデルとなった米国の基準と比べ社会通念なども考慮しており、厳格さに欠けている。判例をしっかり見直し、20条1項後段にさらに目的効果基準を明記することにより、政教分離に関する議論が明確になると考える。


小野 晋也君(自民)

  • 「法の下における統治」をすべての場面に及ぼすとすれば、首相の靖国参拝について、学界の大勢であるとか、判決において違憲のおそれがあるというようなあいまいな議論で批判を繰り返すのではなく、実際における国民の感覚をしっかり押さえた上で、法というものを日本社会がどう捉えていくのかをしっかり議論しなければならない。
  • 辻委員は、憲法は私人と国家との関係であると指摘するが、憲法に義務規定が明記されていることもしっかり認識しながら議論を深めるべきである。
  • 日本においては、政府と国民が敵対関係にあるのではなく、ともに社会を構成することにより、お互いの良いところを伸ばし合うような考えを盛り込んだ憲法の改正をすべきであると考える。